第23話 前を向くために

 ウェスタはこの後筆記試験の勉強をしなければならないらしいので、俺は自室へと戻ってきた。

 戻った後すぐに仮眠をとり、ホコリっぽいベッドから起き上がる。

 時刻は8時半。まだ体は怠いままだったが、正午からバイトがあるのでこれ以上は眠れない。

 午前中にどうしても赴かなければならない場所があるからな。


 未だ覚醒しきらない脳を包む、頭の皮膚をポリポリと掻きながら起き上がる。電気も点いておらず、カーテンも閉め切っているため薄暗い部屋の中を進んでいると、床に転がっていたアルミ缶を蹴飛ばしてしまった。足の指先が少しだけ痛む。

 暗いのでよくわからんが、おそらくストロング缶だろう。母親が生前飲んで床に捨てていたのが掃除されずそのままになっている。

 俺はスマホで床を照らし、缶をつまみ上げてゴミ箱へ捨てた。

 

 ウェスタも部屋を掃除していたし、俺もそろそろ取り組むべきかもしれない。


 

 洗面台で髪を整え、出来るだけ綺麗な服を着て外に出た俺は、とある場所を訪れた。

 居住地であるマンションから徒歩数分の距離にある、赤レンガを基調とした一軒家。

 生前の父親が建ててあげたという、大家さんの住む家である。


 「……いらっしゃい」


 俺の顔を見て露骨に声のトーンを上げた大家さんの奥さんが、気だるげにリビングへと案内してくれる。

 この部屋には父親が顕在だった時に何度か来たことがある。どこかの画家の卵が描く絵画。指紋1つついていない、海外から取り寄せたらしいガラスのテーブル。やたらとデカいテレビ。俺が一生読むことはないであろう本棚のラインナップ。アルティポとかいうイタリアのブランドが発売している、巨大な藍色のソファ。それらを慎ましやかに照らす、天井のシャンデリア。

 要するに金持ち特有の部屋である。

 

 「佐藤君か。……久しぶりにみたぞ」

 

 俺が部屋に入ると、ソファに寝転がって政治関連のニュースを見ていた大家さんが、ゆらりと首を動かしてこちらを見据えてきた。

 その視線は冷たく、鋭い。

 家賃を滞納している奴がのこのこやってきたんだから当然か。


 「お久しぶりです」


 挨拶を交わしつつ、俺はあえて地べたに座る。こちらはお願い事をする側だからな。

 俺の様子を見ていた奥さんも何かを察知したらしく、大家さんの隣に腰かけた。

 

 数刻の沈黙の後に。

 俺は唇をきゅっと結んで顔を上げ、大家さんの瞳を正面から受け止めた。

 

 「もうお察しのことかと思いますが……。実は、とあるお願いをしにやってきた次第です」

 「なんだ?」


 奥さんが何か言いだけに腰を浮かすも、大家さんにたしなめられて座りなおした。

 一連の動作を目を逸らすことなく視界に収めてから、ゆっくりと口を開く。

 

 「家賃の支払いを、もう少しだけ待っていただきたいのです」

 「駄目に決まっているでしょう!」


 奥さんが立ち上がる。


 「既に1か月滞納しているというのに、これ以上待てと?」

 「はい。ですが必ず、全てお支払いいたします」

 「必ず、ですって? 今までも数々の悪事を働いてきた貴方の言葉を、誰が信じるというのですか!」


 履歴書に傷こそついていないものの、高校を中退したばかりの頃は荒れに荒れていた。

 父親が失踪してから11年。呪いのように俺の人生を縛ってきた母親が、突然いなくなったのだから。

 そりゃあもう湯水のように金を使ったものだ。大家さんに言われてしぶしぶ始めたバイトも、簡単にサボりまくっていた。

 今俺の口座にある金は、母親の部屋にたくさんあったブランド品を売却した金となけなしのバイト代である。

 母親が死亡したことで手に入った、およそ数千万の保険金は、わずか1年ほどで使い切ってしまってもうない。

 

 「だいたい貴方あなたは──」

 「母さん。少し静かに。佐藤君。なぜ待ってほしいのか、理由を教えてもらいたい」


 奥さんの言葉を途中で遮って、大家さんが鋭い眼光で俺を貫いてきた。


 「理由は2つあります。1つは、諸事情により今月分の給料が減額されてしまった、ということです」

 「それはっ!」

 「母さん」


 一度間を挟んで。


 「……もう1つは、その、高卒認定試験を受けたいので、対策のために勉強をしたいんです」


 もうおぼろげにしか残っていない、父親の記憶。

 その中で俺は、『大きくなったらお父さんと同じ学校に入ってやる!』と豪語していた。

 それを聞いて嬉しそうに頭を撫でてくれた時の父親の表情だけは、十数年経った今でも鮮明に覚えている。

 とうに諦めてしまった夢ではあったが……。

 ウェスタとの出会いを経て、俺の気持ちにも変化が生じていた。もう少しだけ、足掻いてみようと。

 たとえ達成できなくとも、いけるところまでは行ってみようと思えたのだ。


 「今更何を言ってるの! 今までさんざん言ってきたのに、どうして! 今!」

 「それは」

 「あの忌々しい女の血が強く出ている貴方の言うことなんて、信じるわけないでしょう!」


 だがしかし。奥さんの言う通り、あの母親と似たようなことを数年間やってきた俺の信用は、既に地に堕ちている。

 この辺に住む人は裕福だ。幼い頃から懸命に努力し、社会の荒波に揺られながらも、激しい競争を勝ち抜いてきた者たちだ。

 そんな人たちから見れば、俺みたいな人間のお願いなんぞ反吐が出るだろう。

 10代の大事な時期を放蕩ほうとうに費やしたあげく、家賃の支払いは待ってくれという始末なのだから。


 「お父さんは立派な人だったのに。精神病の遺伝子が入ると、息子までおかしくなってしまうのかしら!」


 だから奥さんの人格攻撃に対しても、俺は言い返す術を持たない。

 もし俺が大家さん側の立場で、似たような奴が似たようなお願いをしてきたら、人格攻撃はしないまでも確実に拒絶するだろうから。

 

 「お願いします」


 しかし今の俺に出来ることは、頭を下げることだけである。少しでも、俺の誠意を感じ取ってもらう。

 本当に、それしか、ないのだ。


 「──高卒認定試験を受けて、合格した後は、どうするつもりだ?」


 俺が深く頭を下げている間、奥さんが次の人格攻撃弾をセットするまでの、間隙を。

 意識の虚を突くタイミングで、大家さんが重い口を開く。

 はじかれたように顔を上げた。


 「……バイトしつつ試験勉強をして、奨学金等を借りて大学に行くつもりです」

 「ただ大学に行くだけか? 将来の目標は?」

 「詳しいことまでは決めてないですけど、父と同じ道に進みたいと考えています」


 俺の父親はとある有名大学に進学後、誰もが名を知る大企業に就職。俺が産まれる少し前に独立して会社を立ち上げた。

 その会社は名を変えて存続しているが、父親が頭だった頃の業績は超えられていないそう。

 時代や需要の移り変わり等、考慮すべきことはあるものの、彼が優秀な男であったのは間違いない。


 俺にはそんな才能などないだろうし、そもそも父親と同じ大学に合格できるかもわからないが……。

 それでも、出来る限り追いかけてみたいと思っている。

 女を見る目以外は素晴らしかった、父親の背中を。


 「そうか」


 大家さんは深くため息を吐いた後、真意を探るように俺の瞳を覗き込んでくる。

 毛穴という毛穴を針でつつかれているような、重く苦しい沈黙が豪奢な部屋に漂い始める。

 壁に立てかけられた時計の秒針が動く音以外、全てが静寂に包まれて。


 「わかった」


 大家さんが膝に手をつき立ち上がる。

 ほんのすこしだけ、口角が上がっていた。


 「佐藤君の主張を受け入れよう」

 「あなたっ! 何を──」

 「ただし、条件はつけさせてもらう。家賃の滞納を許すのは、4か月分までだ。それ以上滞納した場合は速やかに立ち退いてもらう」


 それでもいいな、と目で語りかけてくる大家さん。奥さんはまだ何か言いたげにしていたけれど、再びたしなめられて口をつぐむ。

 俺の願いが、条件付きとはいえ受理された形となった。思ったよりもあっさりと。

 喜びに震える拳を握りしめ、勢いよく。


 「それで構いません! ありがとうございますっ!」


 頭を下げた。


 ◇


 「お疲れっ、オーエンさん」


 帰り際。玄関の上がりかまちに腰かけて靴を履いている俺の後ろから、ジャージ姿のあおが話しかけてきた。


 「蒼。……今、家にいたのか」

 「うんいたよ。気づかなかったの? ほらそこ、私の靴があるでしょう?」


 蒼に指さされた方向を見やると、そこには確かに彼女の靴が。


 「本当だ……全く気付かなかった」

 「いつも冷静なオーエンさんが珍しいね。んふふ、相当緊張してたんだねえ」


 からかうような口調で言われてしまう。

 どうやらあのやり取りは全部聞かれていたらしい。


 「からかうなよ。こっちは人生がかかってたんだぞ」

 「ごめんごめん。これあげるから許してよ」


 蒼はそう言って、缶コーヒーを差し出してくる。

 前に貰ったのと同じやつだ。

 

 「……わかったよ、ありがとう」

 「いやー、お礼はいいよ。むしろこっちが言いたいくらいだから」

 「どういうことだ?」

 「実はその缶コーヒーについてたシールのQRコードを読み取ると、抽選でアグリッピナちゃんのストラップが当たるんだよね」

 「それがどうしても欲しくて、つい買いすぎちゃったと」


 ちなみにアグリッピナちゃんというのは、俺が異世界へ召喚される前日に見たアニメのヒロインだ。


 「うん。おばあちゃんを唆して買ってもらったはいいんだけど」

 「おい老人を唆すな」

 「おばあちゃん飽き性だから、15本くらいで飽きちゃってさ。だからたくさんあって困ってるの」

 「15本も飲んでくれたんだから感謝しろよ……」

 「もちろんしてるよっ!」


 なんかズレてる気がするが、まあいい。


 「じゃあ、俺はそろそろ戻るよ。昼からバイトなんでね」

 「あっ、待ってよオーエンさん」


 靴を履き終わり腰を上げたところで呼び止められる。


 「なんだ?」

 「勉強、頑張ってね」

 「……ああ」

 「じゃないとオーエンさんも私も、おじいちゃんとおばあちゃんを裏切っちゃうから」

 「もちろんだ──ん? 『私も』?」

 「あっ、とぉ……」


 しまった、というふうに口元を押さえて後ずさる蒼。

 俺は靴を脱いで上がり框の上に立った。

 

 「もしかして、大家さんが思ったよりもあっさり許してくれたのは……」

 「あー、えっとね」


 気まずそうな表情で俺から目を逸らす。


 「……実は、さ。おばあちゃんはともかくおじいちゃん、悩んでたんだよね。『佐藤さんには返しきれないくらいの恩があるし、息子のことを見てやって欲しいとも言われている。でも──』って感じで。だから私が『もう少しだけ、待ってあげたら?』って言ったの」

 「そうだったのか……」


 大家さんたちが父親に恩義を感じているのは知っているし、それでも俺に我慢ならなくなってきていたのも知っている。

 だから、大家さんが存外簡単に許してくれた時は若干拍子抜けした。


 だがまさか、裏で蒼が説得してくれているとは。


 「で、でもっ! それでもおじいちゃんが許してくれたのはオーエンさんの決意のおかげだよ。スーパーに売ってる半額シールがついた生魚みたいな目じゃなくなってるもん」

 「……俺、そんなに魚みたいな目してたのか」


 なんか前にも似たようなことを言われた気がする。


 「でも、あんなにあっさり大家さんが許してくれたのは、蒼のおかげだよ。ありがとう」

 「えへへ、いいよぉ」


 蒼はニマニマと笑いながら。


 「だって、オーエンさんは私の勧めたアニメとか本とかゲームとか、なんでもやってくれるし。……私が、唯一趣味を共有できる人だから」


 と言って、嬉しそうな笑みを浮かべるのだった。

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