第19話 晴れやかな気持ち

 あの後、ウェスタが『完璧に風邪を治します!』と意気込み眠ってしまったので、俺は元の世界に戻ってきた。

 

 「いらっしゃいませー」


 色々あって再びウェスタと再契約を果たしたけれど、俺自身の生活リズムは何も変わらない。

 バイト先と、自宅を往復する毎日だ。

 

 「すいません、これを……」

 「かしこまりました。少々お待ちください」

 

 しかしこれが、不思議と苦にならなくなった。俺を取り巻く環境は何ひとつ変わっていないのにも関わらず。

 自分の本心を理解できたからだろうか。それとも、ウェスタに打ち明けられたからだろうか。


 いや、多分両方だ。


 「お待たせしました」


 心なしか、身体が軽くなった気がする。手ごわい排水溝のつまりが取れたような感覚。

 たったこれだけのプロセスでここ数年の不調を改善出来るなら、もっと早くやっておけばよかった。


 「温めはどうされますか?」


 ……いや、止めよう。

 まだ取り返しのつかないレベルには達していない。ギリギリで気づくことが出来たと考えるべきだ。

 これからのことを考えると頭が痛くなる。だけど、少し前まで思い描いていた未来図よりはずっとマシだろう。



 ──オーエン、今大丈夫ですか? 都合の良いときに返事をください。


 

 「……わかった」

 

 死んだらそこで、終わりなんだから。


 「せんぱいっ」

 「ん?」


 弁当を買っていった客に挨拶をした直後、傍にやってきていた妃花ひめかに腰を突っつかれた。


 「いつもと様子が違いますけど、最近幸せなんですか?」

 「……その言い方はどうなんだ」

 「あああゴメンなさい。でも、ホントに言葉通りの意味です」


 言葉を受け、しばし瞑目するようにうつむいて目を閉じる。

 それからゆっくりと目を開け顔を上げた。


 「そうかもしれない」

 「おおおおおぉぉぉぉぉー……」

 「何だその反応は。別に良いだろう」

 

 半眼で目を合わせると、妃花は慌てて手をぱたぱたと動かした。


 「いやだって! いつも釣り人に捨てられたフグみたいな目してるせんぱいが、突然イワシみたいな柔和な目に変わっちゃったんですよ? 誰だって驚きますよ」

 「え、俺って普段そんな目してたの?」

 「岸本きしもと先輩もそう思いますよね!?」

 

 お弁当のスペースで商品を並べていた壮真そうまが、びくりと肩を震わせてこちらに向いた。

 いつもいがみ合っている妃花に、話しかけられるなんて思いもしなかったらしい。

 彼は俺をまじまじと見つめて、それから小さく頷いた。

 

 「え、ま、まあ。確かにそう言われると……くらいの違いだけど、俺もそう思う」

 「でしょでしょ! やっぱり、せんぱいはそっちの方がモテますよ!」

 「いや、別に俺は異性にモテたいわけじゃ」

 「じゃ、じゃあ……!」

 「ソッチでもない」


 わざと大げさにため息を吐く。時計を見ると、もうすぐ勤務時間が終わる頃だった。


 「……そろそろ時間だ。俺は先に失礼する」

 「お疲れ様です先輩」

 「練習頑張ってくださいねー!」


 妃花に軽く会釈をして、続いて壮真の方にも会釈する。

 やはり、今日も彼のポケットには英単語帳が入っていた。きっと暇さえあればあれで勉強しているんだろう。


 ウェスタにああ言ったからには、俺もいい加減決断するべきかもしれない。



 ◇◇



 自室に戻った俺はウェスタへ合図を出し、彼女の部屋にやってきたのだが。

 艶のあるフローリング。イスとテーブル、ベッドにぬいぐるみ。簡素な内装だったはずの部屋が、ホコリと紙くずに塗れたものへ変貌してしまっていた。おまけに出どころ不明の生臭さが鼻をつく。


 そして。

 

 「お久しぶりですオーエン! さあ、一緒に掃除をしましょう!」


 前時代的なエプロンに身を包んだウェスタが、満面の笑みでホウキを差し出してくる。


 「……いつの間に、ここまで汚したんだ?」


 確か前に来た時は多少汚れていた程度で、息をするのも躊躇するほどではなかったのに。


 「えーと、ですね。実は元からこのくらい汚れてたんですけど……オーエンが来る時は隅っこに押し込んで隠してたんです。だけどいつまでもこのままにするわけにはいかないので……」


 言いにくそうに口を開くウェスタ。

 日頃の疲れも祟って掃除する気力すら起きなかったというわけか。

 

 「わかった。手伝おう」

 「うう……ありがとうございます。助かります……」


 ウェスタからホウキを受け取り、ひとまず一方向に紙くずとホコリを寄せる。床をキレイにした後、何気なくベッドの下を覗く。凄まじい量のホコリが鎮座していたので、許可をとってベッドをどかし、一気に箱状のちりとりへ纏めてぶち込んだ。

 謎の生臭さもこのホコリ軍団が原因らしく、ちりとりに蓋をすると全く臭わなくなった。


 「……よし、とりあえず第一関門は突破したな。次は床を拭かないと、ってなんでベッドの上に蹲ってるんだ?」

 「あああー……」


 最初は俺と一緒に元気よく掃いていたのに、ベッドをどかした辺りから様子がおかしい。

 今ではホコリっぽい掛け布団を頭から被って体育座りしてる有様だ。


 「ふむ」


 ひょっとしてまさか、あのホコリ軍団の中に彼女の大事なものが紛れていたのか?

 俺に見られたくない系のやつが。

 ウェスタも年頃だし、あり得る。


 「ウェスタ」

 「……ぁい?」


 ちりとりを彼女の眼前に運び、ゆっくりと蓋を取る。


 「もしかして、この中に何か必要なものでもあったか?」


 俺は前にウェスタのことを慮れず、結果大惨事になりかねない事態へと陥った。

 だからこそ、彼女のことを最大限慮れるようにならなければ。

 モテる男は女性の僅かな変化を敏感に感じ取り、細やかな気配りが出来る。

 別に俺は異性にモテたいわけではないが……要するに気配り上手になりたいということだ。


 「……っ!」


 ウェスタは涙目になりながら、ちりとりの中をのぞきこんでいる。

 やはり俺の予想は当たっていたようだ。


 「じゃあ俺は雑巾を濡らしてくるよ」


 要件を済ましたならば、スマートに立ち去るべし。

 コンビニに置いてある週刊誌にもそう書いてあった。


 ◇


 それから2時間ほど後。

 ゴミ屋敷と化していたウェスタの部屋は、無事本来の状態へと回帰することが出来た。

 ちりとりに溜まっていたゴミは俺が雑巾を濡らしてる間にウェスタが処理したらしい。

 戻った時はキレイさっぱりなくなっていた。


 「さっぱりしたな、ウェスタ」

 「……そうですね。オーエンは計算高いように見えて、実は純粋なだけだったということが分かりました」

 「えっ?」

 「なんでもないです。ともかく、お疲れさまでした」


 ちなみに俺なりの『気遣い』は不発に終わったようで、先ほどからウェスタはどこか素っ気ない。

 目も合わせてくれなくなった。

 デキる男になるための道のりは厳しい。


 などと思いながら腕を組んでいると、戸をノックする音が。

 

 「クライエスさーん、調子はどうだーい?」


 向こう側から聞き覚えのある声がする。クラリア先生だろう。

 ウェスタが返事をしつつ出迎えた。


 「失礼しまーす……おっ! 随分とキレイになってるじゃあないか! これで男の子を呼べるね」

 「さっき掃除したばかりですから。あと、男子を呼ぶ予定はありません」


 先生は感心したように部屋の中を見回している。

 

 「あれっ? オーエンくんも来てたの?」

 「掃除を手伝って欲しくて呼んだんです。……実際、彼のおかげですぐに終わりましたし」


 苦笑してから、拗ねたように口を尖らせた。


 「それで今日はどうしたんですか? 先生のことですし、ただ私の様子を見に来たってわけでもないんでしょう?」

 「ああ、そうだったそうだった。クライエスさんの部屋がいつもと比べてキレイすぎるから忘れてたよ」


 先生はポンと手を打ち、ローブの胸ポケットをまさぐっている。

 ちなみにウェスタが「私の部屋って、いつも汚かったの……?」と呟いてるが、先生は気づかない。

 もちろん俺も気づかないフリをした。

 

 「あったあった! はいこれ、2人にあげるよ」

 「……これって」


 眼前に差し出されたのは、先生が日ごろから胸元に付けていたペンダント。

 彼女が時折大事そうに眺めていた代物しろものなだけに、一瞬反応が遅れてしまう。


 「クラリア先生がいつも付けてたペンダント、ですよね? どうしていきなり」

 「ふふ、この間約束したじゃないか。『時差について教える』ってね」

 「あー……」


 そういえば言ってたな。色々あって忘れてたけど。

 

 「あのぅ、じ……ってなんです?」

 「ん、そっか。クライエスさんは時差を知らないんだったか。すごーく簡単に言うとね。この世界と、オーエンさんのいる世界は、時間の流れるスピードが違うんだよ。私の見立てだと、向こうがだいたいこっちの3分の1くらいの早さかな?」


 そう言ってから、先生がペンダントをパカリと開いて見せてくれる。

 両側の中は空洞というわけではなく、それぞれにすっぽりと時計が収まっていた。ふちには文字がびっしりと書かれているが、こちらは魔法陣製翻訳の対象外らしく俺には読めない。


 「こっちがレールスの時間で、もう片方がオーエンさんの世界の時間だね。今まで時差のせいで不便だったと思うけど、これを見れば一発で互いの時間がわかるってわけさ!」


 先生は自慢げに胸を張り、ドヤ顔で俺を見てくる。まあ確かにこれはすごいし、彼女がああいう態度になる気持ちも良く分かる。

 これがあればバイト中に声を掛けられることもなくなるな。

 ウェスタも俺と似たような感想を抱いたようで、呆けた目で秒針を見つめていた。


 「……こんなすごいモノ、本当に頂いてもいいんです?」

 「もちろん! 新種の幻獣を召喚してくれた、クライエスさんにはたくさんサービスするつもりだよ」


 口ではああ言ってるけど、時折眼球に好奇心の塊をねじ込んだような瞳を向けてくるから、たぶん試験が終わったら研究へ協力しろと言いたいんだろう。実際先生にはお世話になってるし、協力するのもやぶさかではない。

 しかしこんなもの、一体どうやって作ったんだ……?

 でも聞いたところで俺が理解できるとは思えんしなあ。あ、前に研究室で見たあの紙の束とか本棚とかをまさぐれば──。

 いや、藪蛇になりそうだし止めとこう。下手につついていい代物には思えない。


 「ありがとうございます。クラリア先生にはオーエンを召喚した時の魔法陣も提供してもらいましたし、頼りっぱなしですね……無事試験に合格出来たら是非とも恩返しさせてください」

 「ふふ、もちろんそのつもりですとも。じゃ、試験頑張ってね。私は立場的に学園の試験には関われないから、特にできることはないけど……」

 「この時計をくださっただけでも充分すぎるほどですよ。必ず合格してみせます」


 力強いウェスタの返答に、クラリア先生は嬉しそうに目を細める。

 ここではないどこか遠くを見ているような、そんな表情で。

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