第18話 どうしようもないエゴ

 クラリア先生にウェスタが目を覚ましたので一度来てほしいと言われたのは、それから2時間後。

 丁度勤務時間の終わり頃だった。


 今すぐに行きたいが、しかしまだやるべき作業は終わっていない。なので一旦待ってもらうように告げてから、目の前の仕事を片づける。

 また抜け出して迷惑をかけるのはよくない。


 「じゃあ、私はこれで失礼しますねせんぱいっ」


 最後にフライヤーを掃除していると、制服に身を包んだ姫花ひめかが俺に手を振ってきた。先日マネージャーにハメられた件といい、彼女には申し訳ないことをしている。

 今度、何か埋め合わせをしないとな。


 「ああ。お疲れさん」

 

 俺も手を振り返すと、姫花は笑顔で頷き帰ろうとして──立ち止まった。ニヤニヤといたずらっぽい笑みを浮かべている。


 「それと……『奇行』の練習、頑張って下さいね」

 「ん? あ、ああもちろんだ」

 「じゃ、失礼しますねー!」


 何だか含みのある言い方だったが……まあいい。

 姫花には世話になったからな。

 


 ◇◇

 

 

 体感時間で数十分後。

 俺はクラリア先生のいる研究室へとやってきた。

 こっちの世界はもう夜になっており、揺れるカーテンからチラチラと月光が差し込んでいる。


 「やあ、ごめんね急に声かけたりして。取り込み中だった?」

 「大丈夫です。用事はもう済みましたから」

 「そっかそっか、ならよし」


 クラリア先生は得心したように頷いた。


 「ウェスタはどこに?」

 「さっきまで起きてたんだけど、今は眠ってるよ──と、そうそう。オーエンくんたちにプレゼントがあるんだよ」


 そう言ってから、彼女は白いローブの内ポケットからどこかで見覚えのある首輪を取り出した。銀色の鎖がじゃらじゃらと音を立て、刻まれた幾何学きかがく模様がチラチラとこちらを覗いてくる。


 「……それって」

 「ああこれ? 幻獣と召喚魔導士が契約を結ぶための道具だよ。見たことない?」

 「いや、ありますけど」

 

 あの光景は今でも忘れられない。小柄な美少女がいきなり無骨なデザインの首輪をはめようとしてきたのだから。


 「契約する時はクライエスさんにこれを渡して、また付けてもらってね」

 「……わかりました」

 

 俺の心情を察したのか、先生は苦笑しながら首輪を手渡してきた。

 握ってみるとほんのりと温かい。


 「まだ体調が万全じゃないだろうから魔力は回復しきってないと思うけど、クライエスさんは魔力総量が桁違いだから大丈夫でしょ」

 「やっぱり、ウェスタの魔力総量はクラリア先生から見ても凄まじいんですね。丸1日くらい俺を顕現させてましたし」

 「え、そんなことしてたの!?」


 先生はあらら、と口元に手を当てた。

 

 「そりゃああんなに消耗してるわけだ。普通、幻獣ってのは有事の時に呼び出すだけで、普通は一日中顕現させたりしないんだよ」

 「……でも、クラリア先生も幻獣を」

 「私はちょいと工夫してるからね。

 だけど、私でもクライエスさんと同じことをしたら半日ともたないと思う」


 ウェスタの魔力総量はとてつもなく多い。

 色んな人に聞かされてきたが、彼女が言うと説得力がある。喋るゴブリンを従えてる人だし。


 「ミストレス殿」


 と、ここで当の喋るゴブリンが部屋の一角に姿を現す。


 「クライエス嬢がお目覚めになられました。まだ微熱はありますが、おおむね安定しておられます」

 「ん、そっか。よし行こう」

 「……まだ熱があるのなら、出直しましょうか?」

 

 俺の言葉に先生は一瞬訝しむような顔を作り、胸元のペンダントを確認してから、ポンと手を打つ。


 「あ、そういえばいってなかったか。仮契約って、あくまで主人を失った幻獣を一時的に繋ぎ止めるやつだからさ。半日しか持たないんだよ。だから早めに再契約しないといけないんだよね」

 「そうなんですね」

 

 召喚魔道士には、原則1体までしか幻獣と契約できないという縛りがある。仮契約はその原則を逸脱する故に、制限があるのだろう。

 

 「それじゃ、病棟まで案内するよ。ついてきて」


 先生に先導され、薄暗い廊下に出る。そこから10分ほど歩くと病棟に続く通路の入り口へ到着した。

 病棟とそうでない場所とは分厚い扉で仕切られ、更に傍へ設置されている受付で許可証を発行しなければ入ることが出来ない。そのため、勝手に出入りすることは出来ない造りになっている。

 学校にこんな設備まであるのは、さすが軍人を育成するための学校と言うべきか。

 

 先生は顔パスで入れるらしく、受付の女性に目くばせするだけで終わった。

 すいすいと病棟の中を進んでウェスタの病床がある個室の前までたどり着く。

 お礼を言ってドアを開けようとした時、おもむろに先生が口を開いた。

 

 「じゃ、私はここまでだから。あとは頑張ってね」


 さすがについては来ないらしい。

 

 「……わかりました。ありがとうございます」

 「ふふ。もしかして緊張してる?」


 先生がニヤリと笑う。どちらかというと緊張よりも、罪悪感の方が強いけれど。

 

 「大丈夫だよ。試験に合格するならオーエンくんほどの適任はいないし、何も心配することはないよ」

 「そう、ですね」

 「応ともさ。んじゃねー」


 そう言って、先生は手をひらひらと振って行ってしまった。皮膚を針で刺されているような沈黙が流れる。

 ……悩んでいる時間がもったいないな。結局、どうするかを決めるのは俺じゃなくてウェスタだ。切り捨てられるならその時はその時だ。

 

 意を決し、ドアを開けて中に入った。


 「すぅ……すぅ……」


 すると、気持ちよさそうな寝息が聞こえてくる。どうやらここに来るまでの間に再び眠ってしまったらしい。

 出直そうかとも思ったが、先生は帰ってしまった。下手に廊下を立ち歩くといらぬ誤解を招くかもしれん。

 

 ベッド側のイスに座るのは躊躇われる。なので、俺はなるべく音を立てないように壁に身を預け、目を覚ますのを待つことにした。


 目を閉じる。どこからかカチ、カチと規則的な音がするのに気づく。この部屋に時計はない。けれど、廊下から響く靴音とはまた違う。

 硬い金属を、爪で叩いているような、そんな音だ。


 音の出所は気になるが、動くことはしなかった。

 今動くと、ウェスタを起こしてしまうし。

 

 俺はまだ、心の準備が出来てない。


 「んぅ……」

 

 だが。

 まるで情けないぞと嘲るように、ウェスタは身じろぎした。ボサボサの髪を邪魔そうにかき上げて、焦点の合わない目で周りを見回す。やがて、口をポカンと開けたまま俺と目が合う。

 きょとんとしていたウェスタは、しばらく後に得心がいったとばかりに。


 「おお父上! 息災か。わらわは元気に過ごしておりませう」


 ものすごい訛った口調で、俺に話しかけてきた。内心ほぞを噛んでいたけれどさすがに面食らってしまう。

 俺を、亡くなった父親と勘違いしているのか。そういえばネアールがウェスタの敬語は下手くそって言ってたし、学園に入学する前はこういう喋り方だったのかもしれない。

 ゆっくりと壁から身体を離して、ベッド近くのイスに座った。


 「おや、母上はいずこに? 畑のところですかな?」

 「……俺はウェスタの父親じゃない。オーエンだ」

 「父上ではなく、オーエン? はて、わらわは物覚えが悪いゆえに……」


 ウェスタはあぐらをかいて腕を組み、しばしの間唸った後。

 見たことないくらいに頬を紅潮させて震え出した。


 「な、な、なぜそなたがここに……? わらわとの契りは既に途切れたはずなのじゃが……」

 「……落ち着いてくれ。口調が戻ってないぞ」

 「く、くちょう……はっ!」


 ウェスタはパァンと頬を強く叩き、目をぐるぐるさせながら水差しを手に取り飲み干した。

 両頬に真っ赤なヒトデ模様が張り付いている。

 痛そうだ。


 「も、申し訳ありません。少々取り乱しました」

 「いや、いいんだ。……その、さっきのは」

 「忘れてください」

 「俺はべっ──」

 「忘れてください。本当に、本当にどうか、どうかお願いします」


 俺の腕を掴み、すさまじい形相で懇願してくる。なすすべもなく白旗を上げた。


 「わかった。わかった今忘れた。本当に忘れた」

 「……誓いますか?」

 「…………わらわ」


 口内に指を突っ込まれた。そのままガチャガチャと動かしてくる。


 「嘔吐反射ってあるでしょう? 人間の身体というのは実によく出来てるもので、喉奥に指を突っ込まれると吐いちゃうらしいんですよ。…………試してみます?」

 

 涙目になりながら首を振った。


 「ユルシテクダサイ」

 「いいでしょう」


 俺の様子を見てウェスタは満足げに頷き、指を引き抜いてくれた。

 指を紙ナプキンで拭いて居ずまいを正し、拗ねるように俺を見据える。

 

 「それで、本題に戻りますけど。どうしてオーエンがいるんですか?」

 「クラリア先生が消えかかってた俺と仮契約を結んだんだ。おかげで消えずに済んだよ」

 「そうでしたか。なんともまあ、タイミングのいい……」


 一度目を閉じ、それから再び目を開けた。今度は敵意すら混じった視線をぶつけてくる。


 「女神ユピテルにこの身を捧げたいくらいの幸運ですけど、もう、オーエンと再契約するつもりはありません」

 「そうか」


 突然飛び出した、衝撃的な発言。

 驚くべき時なんだろうけど、俺はすんなりと受け入れることが出来た。

 ウェスタは遊びでやってるわけじゃない。きしょい自己満足のために、上から目線で協力を申し出てくる奴なんかお呼びじゃないんだろう。

 やはり彼女のためにも、これ以上は関わらない方がいいか。

 

 俺はそう思い、腰を上げようとしたが。


 「私なんぞの裁量では、オーエンの力を引き出すことができそうもありませんから。身の丈に合った力を持つべきなんですよ私は」

 「……えっ?」


 予想外過ぎる言葉を受け、これ以上体を動かすことができなかった。


 「今まで黙ってましたけど、貴方あなたの【ギフト】である身体強化は私の予想を遙かに超えて強力です。現にレベル1の状態ですら武器を持ち、少し練習しただけで、サウムを一方的に蹴散らしてしまうほどの力を持っています。……しかし、私ではこれが限界です」


 弱々しく、俺の首筋にある刻印を指さす。

 今はウェスタの魔力供給を受けていないが、仮契約は元の刻印を流用する形で造られているらしく、彼女が付けた刻印は残ったままだった。

 

 刻印は【ギフト】の発現レベルによってその形状を変化させる。現在俺はレベル1だから、首筋全体へ薄く広がる程度に留まっていた。


 「私には、召喚魔導士としての、才能が無いんですよ。魔力量はあれど、幻獣の力を十全に引き出せない」

 「……まだ、俺と契約してから2週間も経ってないだろ。そう思うには早すぎるんじゃないか?」


 語り終えるまで黙っていようと思っていたが、つい口を挟んでしまう。

 しかし、ウェスタはそれを咎める素振りは見せず、自虐するように口端を緩める。


 「私は一応、これまでに8体の幻獣と契約してきました。全て破棄されましたけど……その過程で学んだんです。私ではこれ以上、オーエンの【ギフト】を強化出来ませんし、バンガルドに勝つことも出来ません」


 真紅の双眼は光を失い、いっぱいの涙をたたえている。どこかで見たことのある瞳だ。


 「なので、私には無理なんです。立派な召喚魔導士になるって、お父さんとお母さんと、約束したのに……。私には、どうしても──」


 ……思い出した。こんな目をしてるやつは、決まって将来への希望を失っている。自暴自棄となり、正常な判断が出来ない。

 酒が抜けた時の、母親の目だ。


 俺はウェスタをダシにして承認欲求を満たそうとしたクズだ。

 もし彼女が拒否するのであれば、再び同じポジションに収まろうとは思わない。

 だが、果たしてこの状態とウェスタと別れていいのか。今の彼女は、優秀な旦那の事業を引き継いだが自分の才は彼に遠く及ばず、劣等感に心を支配されていた俺の母親と同じ目をしている。もし放っておけば、俺の母親や、俺自身のような人生を歩むかもしれない。


 「そんなことはない」

 「…………え?」


 俺は、ウェスタにはそうなって欲しくなかった。

 まあ当の俺も母親みたいな人生に片足を突っ込んでいるし、あんまり響かないかもしれんけど。

 反論せずにはいられなかった。

 

 「さっきも言ったが、まだ2週間ほどしか経ってない。諦めるには早すぎる」

 「だからっ──」


 ウェスタの言葉を遮るように、立ち上がって勢いよく頭を下げる。


 「頼む。俺も心を入れ替える。だから、もう少しだけ自分を信じてあげてほしいんだ」


 生前の母親は、父親のようになれず挫折した。

 結果、十数年ニートを続けた挙句にアルコール中毒で死んだ。

 

 俺も入学した高校の授業についていけず、そのことについて母親から責められ、人生を諦めかけていた。結果的には穏便な形で中退したが、もし母親がもう少し長く生きていればどうなったかわからない。

 

 だが、それから通信高校とかに入ればいいものを、あれやこれやと言い訳して自堕落な日々を過ごした。

 俺はシフトを代わったり、必死に努力してきたウェスタの補助輪になったりしただけで、勝手に悦に浸る怪物へと変貌した。


 自分を信じて努力するのは、俺のような人種にとってものすごく勇気がいること。俺や母親には出来なかったそれを、ウェスタにはして欲しいという、どうしようもないエゴである。

 

 「……私はともかく、オーエンは別に心を入れ替える必要なんてないと思いますけど」

 

 ウェスタは困惑と逡巡が入り混じった複雑な表情で俺を見る。

 大げさに首を横に振った。


 「いや、入れ替える必要がある」


 それから俺は、今までウェスタに協力していた理由を語った。俺の家庭の事情も絡むため、分かりづらいだろうと感じたところはたとえ話を用いたが、そのせいで余計にわかりづらくなってしまった。

 それでも、ウェスタは話の腰を折らずに最後まで聞いてくれた。


 「──だから、頼む」


 もう一度、頭を下げる。意識の外側にあったあの金属音が、再び耳朶を打つ。

 数刻が経過した後。


 「顔を上げてください。オーエンの気持ちは充分に伝わりました」


 ゆっくりと顔を上げる。

 ウェスタは、ばつの悪そうな表情で俺から目を逸らして言った。


 「実は、私もオーエンが来る前にクラリア先生から言われたんです。『君は相棒を信じず、相談というものをしていなかった。だから1人で抱え込んで無理をして、体調を崩してしまったんだ』って。私はどこかで、オーエンはいずれ私を見限り、コルネみたいな才能あふれる召喚魔導士の元へ行くのだろう、と思ってたんでしょう」


 幻獣に見限られ慣れたせいで、俺も同じと思われていたようだ。

 ウェスタはウェスタで悩んでいたんだな。


 「でも、オーエンの言葉を聞いて……もう少し頑張ってみようと思えました。私よりも遥かに過酷な人生を歩んできた貴方に言われて頑張らないようでは、女がすたるというものです」


 俺からするとウェスタの方がよほど辛いと思うけど、どこをとって『過酷』とするかは、人それぞれ。そこに重さはない。

 でも、不幸自慢をしてる最中は自分に対して反吐が出そうになった。

 だがウェスタの心中に響くものがあったなら、身を切った甲斐かいがあるというものだ。

 

 彼女に首輪を手渡し、出来るだけ身体を伸ばして付けてもらう。

 立ち眩みのような症状が一瞬だけ襲い、そして消えた。


 「再契約、完了しました。これからもよろしくお願いします」

 「こちらこそ」


 ウェスタはぎこちないけれど、しかし華のような微笑を浮かべている。

 やはり俺とは違うな。もし俺が彼女と同じ年の時に同じことを言われても、聞く耳を持たずに自堕落な生活を続けているだろう。

 

 俺も、頑張らないとな。

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