第17話 自己満足
すさまじく空虚な2日が経過した。
出来るだけマネージャーと店長にへりくだるような内容の反省文を提出した俺を待っていたのは、最低賃金以下のアルバイトに勤しむ日々だった。
結局求人サイトでもいい案件は見つからずじまい。近場はワルだった数年前の俺を知っているし、遠方だと体力的にも金銭的にも割に合わない条件のものばかり。投げやりになって工事現場のバイトを辞めたのが悔やまれる。
「今月分の家賃も払えそうにありません」
大家さんの元を訪れてそう口にした時、彼らの表情がみるみるうちに渋くなったのを思い出す。
奥さんの方はならばすぐにでも出て行ってくれ、という感じだったが。
「来月になっても払えないのなら追い出す」
と、大家さんのひと言のおかげで首の皮一枚繋がった。
彼が俺の父親とどんな仲だったのかはもはや知る術がないけれど、正直言って優しすぎる気がする。
金も資格も能力もない中卒フリーターの俺に一体何を期待してるんだか。
だがしかし、旦那さんのご厚意で猶予が出来たのは事実。
ウェスタは次の試験までかなり間がある風な口ぶりだったが、世界同士で時差もあるしそんなに先ではないだろう。
1か月あれば次の試験でウェスタの役に立てる。
それまでは今まで通りバイトしつつ、呼ばれた時には最善を尽くす。
これでいこう。
「……チッ、おいガイジン。早くしろよ、時間がもったいないだろ」
おっと、いけない接客中だった。
「申し訳ございません。こちらのおタバコでよろしかったでしょうか?」
「……ああ」
四大害悪客衆の1人、ロストナンバーがひったくるようにタバコを手にして出て行く。いつも俺のことをガイジンガイジンと罵ってくるくせに、隣の
「せんぱい、もしかしてあの人がせんぱいにクレーム入れた人です?」
「多分な」
「やっぱり」
ちなみに俺は今日一番に妃花の元へ謝りに行った。
「私がサボろうとしたのもありますし、別にいいですよ」と笑いながら許してくれたのはありがたい。
最も、妃花はサボりこそ注意されたが女子贔屓マネージャーのおかげで減給とかはされてないようだ。
あいつもたまにはいいことをする。
「ていうか、このコンビニって変な人よく来ますよね。なんでだろ」
「仕方ないよ。今の時代、みんな余裕がないんだ」
「えーでも、フリーターの先輩は余裕たっぷりに見えますけど?」
「取り繕ってるだけだよ」
俺は開き直ってるだけだからな。
求人広告だらけの新聞を握りしめてたロストナンバーは、俺よりもずっと偉い。
「はぁー……私もいつかああなるのかな……」
「ちゃんと勉強して学校を卒業すれば大丈夫だ。バイトはサボってもマネージャーが発狂するだけだけど、高校はサボっちゃダメだぞ」
「はいはい、わかってますよーだ」
妃花は口をとがらせて持ち場に戻っていった。ちょっと説教臭くなってしまったか。
まあ妃花は計算高い一面があるから、俺のようにはならないと思うがね。
「すみません、アメリカンホットドックを1つ下さい」
「わかりました。少々お時間を頂きますけど──」
っと、そろそろラッシュのお時間だ。
更なる怪物の発生を防ぎたいし、多めに揚げておこう。ちょっとくらいならマネージャーにもバレないさ。
フライヤーにカチカチの物体をぶち込み、スイッチへと手を伸ばす。
──オーエン、今いいですか?
しかしながら、押す直前に脳内へと語りかけるような声が響いた。この感覚は久しぶりだな。
自然と口角が上がるのを感じる。
「今行く」
俺はそう告げて休憩室へと向かう。
「は!? ちょっと佐藤君! 休憩時間はまだ……」
「まあまあマネさん。私がやりますから」
マネージャーが何やら言っているが、構うものか。
俺を必要としてくれている人がいるんだから、今すぐ行く必要があるんだよ。
俺はコンビニを出て裏出に回り、ウェスタに合図を出した。
◇◇
体感時間で数分後。
実に2日ぶりに俺はこの世界にやってきた。眠気や疲労感とも無縁なこの体はやはり素晴らしい。
ローブを纏い戦鎚を手に取ると、よりそれを強く実感する。
「はぁ……それにしても、オーエンに契約を切られてなくて本当に良かったです」
机に向かい何かを書いていたウェスタが、ぽつりと呟く。
「俺も良かったよ。もう呼ばれないかもと思ってたからさ」
「あ、あの時はすみません。気が動転していたもので」
「大丈夫だ」
俺は出来ることをやるだけだからな。
「そうですか……それならいいんですけど」
こくりと頷き、ウェスタはふらふらと立ち上がった。
首筋には玉のような汗が浮かんでいる。
「さて、訓練場に行きましょうか。バンガルド相手に頑張りましょう」
「お、訓練場のサウム狩り予約とれたんだな。急に倍率が上がったから取れるかわかんないって言ってたのに」
「私にかかれば余裕ですとも」
得意げなウェスタの後を追い、俺も部屋の外に出た。
この学園は全寮制であり、ネアールのような超富裕層も例外なく、基本的に全ての学生が寮生活を送ることになる。
そのため今いる建物は全10階の大規模なものだが、厄介なことにエレベーター等は存在しない。
なので階段を使って降りる必要がある。
「俺は運動になるからいいんだけど、生徒が毎回これを上り下りすんのはキツそうだ」
「一応ここは軍人になるための学園ですから。この階段も体力づくりの一環ですよ」
幻獣としての肉体をもってしても疲れるのに、ウェスタは軽い身のこなしですいすいと降りてゆく。
あんなに重心を前に倒しても落っこちないのは、きっと体幹が優れているからだろう。
普段から鍛えている証拠だ。
「……っとと」
……たまにふらふらしているから完璧ではなさそうだが。
真似できる部分は真似せねばなるまい。
「あ、すみません。ちょっと」
と、急にウェスタが立ち止まった。
重心を前に倒し過ぎてたせいか、よろけるようにして手すりに掴まっている。
「どうした?」
「許可証を忘れてきてしまいました。なのでとってきます」
「おう。玄関で待っとくぞ」
顔を伏せて言いつつ、俺の横を通り過ぎていく。
責任でも感じているのだろうか。相変わらず真面目だな。
どこかのマネージャーに爪の垢を食わせてやりたい。
そう思いながら階段を降りていると。
結構なスピードで何かがすぐ傍を通過した。直後にバタン、という音が辺りに響く。
「ん?」
何の音だろう。
俺は音の出どころを確認しようと、首を動かす──ことは出来なかった。
今まで経験したことのないレベルの頭痛が襲ってきたからだ。
立っていることすら出来ず、背中から踊り場に落下してしまう。
「ぐっ!」
身体に力が入らなくなり、段々と肉体の感覚が遠のいていく。
何とか起き上がろうと無理矢理手を動かすと……ぬめっとした温かい液体が付着する。
ほぼ白に埋め尽くされた視界で周囲を確認するために、俺は錆び付いたように重い首を強引に向け──。
「……っ!?」
頭から血を流して倒れているウェスタを見つけた。
その後直ぐに意識を失ったのは言うまでもない。
◇
そして、再び意識が戻った時には。
埃っぽいベットの上に寝かされていた。
「やあ、調子はどうだい? あ、私のこと覚えてるかなぁ?」
長い水色の髪をひとまとめにした妙齢の女性が、俺の眼を覗き込むようにして見てくる。
確か、彼女の名は……。
「クラリア……先生?」
「おっ、覚えててくれたんだ!」
未だぼんやりとする頭で答えると、彼女は嬉しそうに目を細めた。
「【
「仮……ってことは」
「うん。今君はクライエスさんとの契約は破棄された状態。だから彼女が目覚めたら再契約してね」
「ウェスタが、目覚め……!」
急いで上体を起こし、周囲を見回す。前に訪れた研究所だった。
もちろんウェスタの姿はない。
「彼女は倒れているところを通りがかった生徒に発見されてね。今は病棟のベッドで眠ってるよ。階段から落ちたことによる軽い怪我、酷い寝不足と疲労に加えて、熱も出ていたみたいだ」
「熱……風邪ですか?」
そんな素振りは見せていなかったような。
いや、そういえば今日はやけに汗をかいてたし、足ももつれそうになっていた。
兆候はあったのだ。
「……オーエンさんのその様子だと、やっぱりクライエスさんは黙っていたのか」
「そう、ですね。少なくとも自分は何も聞かされてませんでした」
あちゃー、と額に手を当てる先生。
「うーん、やっぱりあの子は何でも1人で抱え込んじゃう癖があるね。お父さんとお母さんによく似ている」
「……ウェスタの両親、というと、ドラゴンを従える召喚魔導士の方でしたっけ」
先生が目をぱちくりとさせる。
「あれ? 知ってるの?」
「少し、小耳に挟んだ程度ですが」
「へえ……じゃ、彼女がレールスの英雄で、追放されて──クライエスさんがここに入学して1か月後に亡くなったってことは?」
今度は俺が目をぱちくりとさせた。
「いえそこまでは知りませんでした」
「あら、そうなの。彼女の母親もまた、1人で抱え込んじゃうタイプでね。父親の方もそうだったから、色々あった後、2人纏めて仲良く辺境に追放されちゃったんだよ。この国は貴族様──特に、『アウグル』を名乗る人たちの権力が強いからさ。その後のことはよく知らないけど……常にストレスのかかる生活をしてたんだろうし、病気にでもなったのかもね」
先生は多くを語らなかったが、その表情と声色でだいたいのことは察せられる。
おそらく救国の英雄として名をはせたものの、その武力と人気が権力者からすると邪魔だったという黄金パターンだろう。
こういうのは時代、地域を問わず同じなんだな。
それにしても、まさかウェスタの両親が既に亡くなっていたとは。
なんだか親近感を感じる。
ま、救国の英雄らしいし、どっかの飲んだくれとは比べ物にならんくらい良い親御さんだったと思うけど。
「仲が、よろしかったんですね」
「同じ部隊だったから。まあ私はあそこではまだまだ新人だったもんで、足を引っ張ってばかりだったけど」
「そうです……えっ?」
同じ、部隊だと?
どう見ても20代前半にしか見えない、この人が?
「おや、意外だった? ふふ。実は私、こう見えて今年で36歳なんだよぉ」
滅茶苦茶嬉しそうだ。
いやでも、本当に20代にしか見えないんだよなぁ。この人。
「ミストレス殿」
と、ここで聞き覚えのあるしわがれた声がした。
そちらを向くと、真っ白な髭を生やした小男が膝をついていた。
サウム狩りの時にいつも会う、ウィザードゴブリンだ。クラリア先生の下僕だったのか。
「おっ、クライエスさんが目を覚ましたの?」
「いえそれはまだです。ですが、サウム狩りを希望される生徒さんの数が多くなっておりまして……一時、私の方へ魔力を回して頂けないかと」
「あらま、それは大変だ」
先生は頭を掻きながら胸にぶら下げているペンダントをしばらく凝視した後、俺の方に向き直った。
「と、いうわけでオーエンくん。しばらく魔力をウィザードに回さないといけなくなっちゃった。ゴメンね」
「構いませんよ。ウェスタの調子が良くなったら教えてください」
「応ともさ。ま、時差を考えると多分そこまで時間はかからないと思うけど」
「……どうして、時差のことを?」
「え? ああ、それはね……ヒミツ! 色々済んだら教えてあげるよ」
この人は時差があることまで知ってるのか。
なんだか含みのある言い方だったが、まあいい。出来ればあの辺の仕組みについてご教授願いたいものだ。
先生はむにゃむにゃと口を動かした後、左手をこちらに向けてくる。
「じゃ、いっくよー!」
ウェスタのものとは違い、頭痛を感じることはなく。
まるで深海へと落ちていくように、意識が沈んでいった。
◇◇
再び意識を取り戻した時、俺の眼の前にはマネージャーがいた。
彼は未だ感覚が鈍く、呆けたように立ち尽くす俺を見つけると、目じりを吊り上げて迫ってくる。
「おい! 何してるんだ! 勤務中だぞ!」
胸ぐらを掴みかからん勢いで目と鼻の先まで距離を詰められる。
とてもじゃないが、さっきまで俺と妃花に任せて休憩室でスマホをいじっていた男の発言とは思えない。
「すみません。どうしても直ぐに出る必要のある電話がかかってきたもので……」
だが、俺は喉まで出かかったその言葉を飲み込む。
今ここでマネージャーのサボりを咎める発言をしても水掛け論になるだけだ。
そもそも途中抜けした俺も悪いし。
「電話!? そんなのどうでもいいだろう! それより早く持ち場に戻れ! 私は忙しいんだぞ!」
「……はい。申し訳ありませんでした」
マネージャーは俺の腕を引っ掴むと、肩をいからせて歩き出した。
「ほら、とっとと行ってこい! 自分の立場をいい加減理解しろ! 貴様の替えなんぞその辺にごろごろしてるんだからな!」
「わかりました」
俺の腕を離すと、マネージャーはどっかりと椅子に座ってPCを凝視し始める。
液晶画面には『
「……」
後頭部をぶん殴りたくなったが我慢する。どうせあと数か月しかいないんだ。無用な争いは控えるべきだろう。
それに、俺の居場所はここではない。
ここには、俺を必要としてくれる人は──。
「いや……これは言い訳か」
休憩室のドアを開ける直前で、ぴたりと立ち止まる。
最近の俺は、マネージャーたちに叱られる度、ウェスタの存在を持ち出して自分の心を守っていた。
今更ながら、そのことに気付く。
「何をしてる! 早く行け!」
「すみません」
思考を一度中断し、戸を開けるとかなりの人数が妃花の元に並んでいた。
慌ててもう片方のレジへ赴いて客を
そうして一通り客を捌き切った辺りで、妃花がこちらに近づいてくる。
「あーあ。せんぱいがどっか行っちゃうから、あの後タイヘンだったんですよ? お客さんは怒って帰っちゃうし、マネさんはせんぱいのことばっかりで手伝ってくれないし……」
「すまなかった。どうしても出なきゃいけない電話がかかってきたんだ。後でかけ直せばよかったのに、冷静な判断が出来てなかった」
明るいトーンで不満を口にする妃花に対して、俺は頭を下げた。
「わわ、ちょっと急に頭下げないでくださいよ」
「でも」
妃花は俺の額に手を伸ばすと、優しい手つきで上に押し上げる。
「せんぱいにはお世話になってるんですから、たまには恩返しさせてください」
「別に俺は何も……」
「そんなことはありません」
神妙な顔で俺を見上げた。
彼女のこんな顔は初めて見たかもしれない。
「せんぱいはいつも私の……一応、岸本先輩もですけど……やりたいことを応援してくれますから。今回は、その立場が逆になっただけですよ」
「応援……と言われても、シフトを代わってやったくらいしか思いつかないけど」
「それで充分応援になってるんですよっ。あ、いらっしゃいませー」
俺が何かを言う前に、妃花はお客の方へ行ってしまった。
耳が赤くなっているから、多分照れくさくなったんだろう。
「応援、か」
確かに彼女らがシフトを代わって欲しい時は、積極的に代わっていた。でも、それは『応援』なんて気持ちじゃなくて。
投げやり気味になっていただけだ。
金を稼ぎたかったのもある。けれど一番は自己満足のためだった。
『やりたいことを応援してやれている』なんて、全く寒気がするような──。
……ああ、そうか。
ウェスタに対しても、無意識下で同じことを思っていたのか。
彼女が夢を賭けて下僕にした男は年頃の娘の純粋な気持ちを向けられ、舞い上がっていただけの馬鹿野郎で。
結局、俺はウェスタを助けたいのではなく。
自分の存在を肯定してくれる、存在が欲しかっただけだったのだ。
「ハッ」
こりゃ、ウェスタは再契約してくれんかもしれんね。
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