第16.5話 ウェンスタラスト・クライエス2
オーエンがため息を吐いた時、私の背筋に冷たい汗が流れ落ちるのを感じた。
「はぁ……わかった、1週間後だな。俺はいつでもいいから、好きな時に声を掛けてくれ」
今までにも何度か向けられたことのある、失望の眼差し。こういう目をしている幻獣は、大抵の場合二度と呼びかけに応じてくれない。私が一向に力を引き出せないせいで、また幻獣に契約を破棄されてしまう。
「は、はい。わかりました」
声が上ずり、息が苦しくなる。
……落ち着くんだ。オーエンは「好きな時に声を掛けてくれ」と言ってるから、まだ完全に見限られたわけではないはず。
私は手の震えを誤魔化すように杖を手に取った。
「【
彼の体が光に包まれる。
完全に消え去るのを確認してから、私は倒れ込むようにして椅子に腰かけた。
「あー……はっ……」
実を言うと、立っているのすらしんどかった。
睡眠時間を削って勉強やオーエンのために作戦を考えていたせいか、ポントゥムに行く前日の夜から熱が出ていた。
解熱作用を持つ薬草で誤魔化してきたけれど、そろそろ限界かもしれない。
だけど、休むわけにはいかなくなった。実戦形式での点数が見込めなくなった分、筆記試験で稼がなければ。
杖を支えにして立ち上がり、机の引き出しから粉薬を取り出して流し込む。
先端の宝石に反射した自分の顔は、汗で白粉が落ちて酷い有様だ。
まあ今日はもう人前に出る予定はないし、これも熱で赤くなった顔を誤魔化すために塗っていたから別にどうでもいい。
少しでも多く、勉強する時間をとらなければ──。
◇
だがしかし、人間の身体というものはとことん合理的で。
ペンを握りしめて机に向かっていたはずなのに、気が付けば寝てしまっていた。
「んぅ……」
カーテンから漏れる光を見るに、まだ日は落ちていないから大して寝てはいない。
それでも薬草のおかげか体調は幾分ましになっている。
顔の火照りも治まったし、外でご飯を食べることにしましょうか。
私は白粉で汚れた顔を洗って、食堂へと赴いた。
結構たくさんの人がいる。軽く見まわしてみたけど、アリテラスはいないようだ。
ハルドリッジはいるけど……男子の友達と一緒みたい。
私には知らない男子に話しかける勇気なんてないので、大人しく1人で食べることに決める。
「あら?」
いや、知り合いはいた。多分バンガルドより会いたくない知り合いが。
「ウェスタじゃないですか。奇遇ですね」
「コルネ……。はぁ、そうですね」
私の姿を見るやいなや、にっこりと笑みを浮かべてこちらにやってくる。
せめてもの抵抗としてため息を吐いたけど、コルネは全く怯まない。
「グループ分け、見ましたか?」
「見ましたよ。バンガルドのせいで、私の退学はほとんど決まったようなものです」
コルネに言っても仕方ないのに、口にするのを抑えられなかった。
「やっぱり、あの不自然なグループは彼のせいでしたか。ごめんなさい、私がバンガルドに日ごろから『ウェスタと同じグループになりたい』なんて言っていたせいかもしれません」
「構いません。座学が出来ないくせに実戦形式でも大したことない女は、いずれ
「そんな悲しいことを言わないでください。私は
「……友人になったつもりはありませんけど」
「ウェスタが私を避けているんでしょう? こちらはいつでもウェルカムですよ」
コルネが苦笑しながら私の目を見てくる。触れば傷が付いてしまいそうな、ガラス細工の如き顔立ち。
けど私は、その中身がガラスどころかオリハルコン製だと知っている。
「それより、体調は大丈夫ですか? 顔色が悪いですけど」
「昨日徹夜したからだと思います。風邪とかではないですよ」
「まあ。徹夜は感心しませんよウェスタ。折角可愛い顔をしてるんですから」
「コルネが言うと嫌味にしか聞こえません」
1年の男子にとどまらず女子からも恋文を貰っていたくせに。
私は男子からも貰ったことがない。
どうやら身長が150センチ前後しかない私は子どもっぽいと思われているらしく、学園の男子たちの恋愛対象にならないみたい。
おまけにオーエンからも「興味ない」って言われちゃったし……。
「……でも、夜中までテスト勉強するのはよくありませんよ。わからないところがあるなら、私に相談してくださいね」
「覚えておきましょう」
「それと──」
コルネの目つきが再び変わる。
自分は絶対に負けない、という強い意思を持った目だ。
「少々不本意ではありますが、1年ぶりにこうして公式の場で相まみえるのは事実。手加減はしませんよ?」
「……バンガルドに勝てたら、ですけどね」
「ふふ。ヒューマ、でしたっけ? クラリア先生から聞きましたけど、彼のポテンシャルには目を見張るものがあります。バンガルドごときに負けるはずがありません」
仮にも学年ナンバー2の男を「ごとき」とまで言ってしまえる自信。
ちょっとくらい分けてほしい。
最近オーエンを顕現させてると、彼の確かな実力と私の実力不足をまざまざと実感させられるのだ。
こっちから契約を破棄しようかと思えるほどに。
「では私はこれで失礼します。ああそれと、彼に会わせてくれる約束。忘れないで下さいね?」
「わかってますよ」
最後にパチリとウィンクをして、コルネは去っていった。
同時に気が抜けて一気に疲れが襲ってくる。また熱も出てきたようで、先ほどから首もとが異常に熱い。
まだ風邪は治りきっていなみたいだ。
「ふう……」
なんとか自室へと戻り戸を閉めた瞬間、その場にへたり込んでしまう。
出来るだけ胃に優しい食べ物を選んだのに、苦いのがせり上がってくる。ここで無理をすれば取り返しのつかないことになるぞ、と脳が訴えかけてくる。
「もう、いいかな……」
もはや体を動かすだけでもしんどくなってきた。暗記は毎日やらないと忘れてしまうけど、さすがにもう……。
そう考えているうちに、ふらふらとベットの方へ吸い込まれていく。
だがしかし。
運が悪いのかいいのか、ベッドに置かれたぬいぐるみと目が合ってしまう。
それは優しくて、恰好良くて、憧れであり目標であり、私を縛る呪いの鎖。
お父さんとお母さんが小さい頃の私にプレゼントしてくれた、今や唯一となった思い出の品。
そうだ。
私は約束したんだ。
平和な時代だから、と必死に引き留めてきた両親と。
『必ず学園を卒業して、故郷へと帰ってくる』って。
もう故郷には何もないけど、それでも、私は。
「……っ!」
足に力を入れる。みっともなくたたらを踏んでしまったけど、どうにかベッドの前で止まった。
薬草の粉を飲み干して、私は机に向かいペンを握る。
そのまま無心で勉強を始めた。夜が明けて、日が昇る辺りまで、ずっと。
◇◇
改めて今考えると、すさまじく意味のない行為だった。何日もほとんど休まずに勉強を続けたところで、頭に入るわけがない。
でも当時の私は、これが最善だと思っていた。何と愚かなことだろう。
──そんなことをしているから、あのような醜態を晒してしまうんですよ。
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