第14.5話 父への謁見
ネアール・アウグル・ポントゥム。
彼女はポントゥム家の四女、7人兄妹の末っ子としてこの世に生を受けた。
ネアールが生まれた当時は、戦争終結からまだ3年ほど。
それに加えて末っ子ということも手伝い、彼女は『父祖に恥じぬよう強く在れ』という家訓を掲げるポントゥム家の子としては、異常なほどに可愛がられて育った。
欲しいものは望めば何でも買ってもらえたし、他の兄妹も特にそれを妬むようなことはしなかった。
当時は、それが自分にとっての『当たり前』であったのだ。
今から1年と少し前。
ネアールは入学式の前日に、父親の部屋へ呼び出されていた。
「ネアール。遂にお前も『レールス帝国立召喚魔導士育成学園』へと通う時が来た。おそらくお前は、多くの壁にぶつかるだろう。だがしかし、どんな苦境に立たされようと──」
「『父祖に恥じぬよう強く在れ』ですわよね? もちろん心得ておりますわお父様」
自信たっぷりに宣言すると、彼はこわれものを扱うような手つきで頭を撫でてくれた。
「そうか。さすがは私の娘だ」
あの時は正直、その言葉の真の意味を理解できてなかった。
召喚魔導士としての実力は既に充分ある。兄妹きっての天才である三男のパウルスには遠く及ばないものの、それでも平均以上の力は身に着けている。
自分なら、この学園で上位を目指せる。
──と、あの頃は本気で思っていた。
◇◇◇
オーエンと別れて数分ほど経った後。
ネアールは見る人が見れば劇場か何かと見紛うほどの荘厳さを湛える、美しい宮殿の廊下を歩いていた。
等間隔で配置されたガラス張りの窓。大理石を削って造られた噴水や彫刻。
よく手入れされた芝生は、恒星の光を反射し美しい黄緑色を虹彩に運んでくれる。
しかしネアールは、このような景色になど目もくれずに足を踏み出す。
彼女は入学しておよそ1年半の間、散々家に迷惑を掛けてきた。
元来のワガママさも抜けきらず、加えてストレス発散のために平民出身の生徒を無差別に虐めてきた。耐えかねて自主退学した生徒も、1人や2人ではないだろう。
無論多くの苦情が学園に寄せられたものの、それがネアールに実害をもたらすことはない。
レールス帝国の貴族はとてつもなく巨大な権力を持つ。
建国時からの貴族の証『アウグル』を名乗るポントゥム家の令嬢に、手出しできる者などそうはいない。
しかしながら、旧校舎を半壊させる事件を起こしたことで状況は一変する。
ネアールの暴挙に耐え切れなくなった学園の上層部は、遂にポントゥム家への手紙を送ることを決断する。
彼らの積年の想いを受け取った、当主である彼女の父親は直接校内に出向き、謝罪をして修理費を出した。
その代わりにと、事件に関わった者全てを許すように懇願。
結果としてネアールはまたしてもお咎めなしになったのだが……。
『父祖に恥じぬよう強く在れ』
『この家訓をお前が忘れていないのであれば、一度会って話がしたい』
後日届いたポントゥム家の紋章が入った手紙の中身には、この文だけが添えられていた。
怒るでもなく、呆れるでもなく、ただ『話がしたい』と。
この文の真の意味を察することが出来ぬネアールではない。
この手紙が、事実上の最後通告だと理解出来ぬほど、落ちぶれてはいないのだ。
「……お父様、ネアールです」
恐怖による手の震えを抑え貴族の令嬢として、おしとやかにドアをノックした。父の部屋に入ろうとしているネアールを見て、廊下を行き来している使用人たちが、訝しむように眉をひそめる。今更どの面下げて会いに来たのかと。口にこそ出さないけれど誰もが思っていた。
しかし、数刻の後。
「入りなさい」
低くくぐもった男の声がネアールの耳に届いた。ごくりと唾を飲む。舌で唇を湿らせている間に喉が締まる。
声が上ずることのないように、もう一度唾を飲み下した。
「失礼します」
樫の木で造られた光沢のある戸をゆっくりと開けたネアールは、内心ほぞを噛んだ。
父の近くに、我が物顔で立つ青年がいたからである。
彼の名はパウルス・アウグル・ポントゥム。7人兄妹の中で最も優れた才覚を持っている。
兄妹で一番の落ちこぼれのネアールはこの9つ年上の兄が大の苦手だった。
「どうした? 立っていないで、座りなさい」
立ったままのネアールに父親はねめつけるような視線を送る。
だが彼女はそれに屈せず、こう言い返した。
「……いえ、私はこのままで結構です」
「ほう……? なぜそう思う?」
「未熟者には、この姿がお似合いでしょう」
ネアールの言葉を聞き受けた彼は満足げに頷く。
いつの間にか、娘を見る目は穏やかなものに変化していた。
「よろしい。心を入れ替えて励みなさい」
「ありがとうございますっ……!」
今のやりとりだけで、なぜネアールを許してしまうのかと思う人もいるだろう。末っ子だからっていくらなんでも甘すぎるんじゃないか、と。
だがしかし、ネアールの父は彼女の目を見ただけで今回のことを許していた。
末っ子だからではない。娘の目に、『ポントゥム家の者としての覚悟』を感じたからだ。
彼は知っている。眼前の娘が、どれだけ悩み苦しんできたのかを。
武の才を重視するポントゥム家に生まれながら、その才能が全くと言っていいほどないということを。
入学早々にしてドラゴンを操る天才に蹴散らされ、退学寸前にまで落ちぶれたことを知っていた。
だが、それでも。
女であるネアールがポントゥム家の人間として生きると決めたならば、父として背中を押してやるだけでいいのだ。
余計な言葉を交わす必要はない。
「なっ……! 父上、いくらなんでもネアールに甘すぎますよ!」
しかし第三者から見れば、そのやり取りはあまりにも情報不足であった。
パウルスはネアールの覚悟に気づかず、また父が末っ子特権で許したのだと思ってしまった。
「そんなことはないぞ、パウルス。私はこの子の意思を感じ取った」
「意思ですか!? 父上、お言葉ですが、自分には妹の意思など見えませぬ。どうせまた、問題を起こすに決まっております」
ビシリ、とネアールを指さすパウルス。
ネアールは兄の言葉に反論したかったが、それだけ自分が問題ばかりおこしてきたのもまた事実。
今の彼女に反論する余地はない。
「ふむ。では、パウルス。お前はこの子を勘当すれば良いと言うのか?」
「いえ、そうではありません。……実は、本日帰宅したのは妹を私の手で変えてみたいと思ったからなのです」
ネアールは自分の頬がひきつりそうになるのを感じた。
「近々、私の指揮する第57軍団が学園で手ほどきをする、というイベントを計画しておりまして。そこに妹を参加させたいと思っております。……もちろんそれだけではありません。既に妹用の更生カリキュラムを組んでまいりました」
そう言いながら、分厚い書類を父の前に置くパウルス。
彼は優秀過ぎるがゆえに、何かとお節介を焼こうとすることが多い。善意の押し付けというやつである。
つまるところ、他人の気持ちを察する能力に欠けているのだ。
「ひとまず、直近に開催される『実戦形式』で3位以内に入ることを目指す方向でいこうかと──」
「なるほどな──」
ネアールが一言も発さないまま、どんどん話が進んでいく。この兄と父には、昔から自分の思うがままに語り続ける悪癖があった。
しかし覚悟を決めた以上、兄に「やめてくれ」というわけにもいかない。
憎いことに自分で頑張るよりも、彼に手綱を握ってもらった方が確実なのだから。
「……いいだろう」
そして父もまた、ポントゥム家の人間である。
合理的に、素早く強く在れることを好んでいた。
「ネアール」
「はい」
「しばらくの間、お前にパウルスをつける。父祖に恥じぬ振る舞いをせよ」
「……わかりました。お父様」
内心ネアールは、彼らの提案を退けたいと思っていた。
だがポントゥム家は家父長制を是とする貴族の家。長である父には逆らえない。
善意100パーセントの笑みを向けてくるパウルスに対して、ネアールは心の内で彼を激しく罵りながら微笑み返した。
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