第10話 2度目の帰還

 黒一色の視界が開け、慣れ親しんだ風呂場が現れる。身に纏っていたローブは消え失せて裸一貫の状態。窓からは朝焼けの光が顔を照らし、早朝の冷気が肌を撫でた。


 「寒っ……」


 両腕を摩りながら脱衣所で適当な服を着て、スマホを手に取る。日付はさすがに翌日へと変わり、時刻は午前5時半。

 思ったよりも時間が経っていない。ほぼ丸1日向こうで過ごしたというのに。


 「ま、どのみちだな」


 現場作業のバイトは朝4時から昼まで。既に1時間の遅刻だ。今更行く気にもなれない。

 ぼんやりとする頭を呼び覚ますために、冷蔵庫から麦茶を取り出し喉に流し込む。他に何も入っていないのでよく冷えていた。

 

 さっぱりとすると今度は薄暗い部屋が気になり、閉め切っていたカーテンを開ける。あいにくの雨模様だった。

 諦めて電気を点け、バイト先に連絡をするためにスマホのロックを解除し、『体調不良のため休みます』と電話する。それともう1つの要件を伝えてため息を吐くと同時に、メッセージアプリに1件の通知が。


 『オーエンさん! 早速ゲームしたいから家に行ってもいい?』


 あおからだった。今5時半だぞ。休まなくていいのか受験生。

 まあ断る理由も無いしそもそも断れないので、了承するむねの返信を送る。一応来客なのでコレクション部屋を軽く掃除していると、玄関の方から足音がした。戸を開けると、ジャージ姿の蒼が缶コーヒー片手に立っていた。


 「おはようございまーす!」


 蒼は元気よく挨拶して、俺に缶コーヒーを手渡してきた。


 「ああ、おはよう。……ずいぶんと早いんだな」

 「昨日言ったでしょ、『明日行くね』って。今日は昼から夜まで塾があるから今しかないのさ!」


 玄関の戸を閉め、目をキラキラさせて拳を握る蒼。若いな。


 「それに、オーエンさんいつもこのくらいの時間には起きてるでしょ? いつも洗濯物干してるのが見えてたよ」

 「良く知ってるな……」

 「さすがの私も寝てるところに凸ったりはしないよ。あ、もしかしてコンビニのバイトがあった?」

 「いや、そっちは昼からだ」

 「おっ、丁度いいね」

 

 さも当然のように言い、蒼は軽い足取りで自らのコレクション部屋へと向かう。貰った缶コーヒーをひと息で飲みほして、俺もその後に続いた。


 「はー……やっぱりいつ来てもここの部屋は落ち着くなぁ」


 この部屋は元々母親の部屋だったが、今は蒼が収集したオタクグッズの保管部屋になっている。100冊を超えるライトノベル。お気に入りのアニメのブルーレイディスク。推しのコラボPC。そして、フィギュアにタペストリーが所狭しと飾られている。蒼はこれら全てを両親から支給される小遣いで買えてしまうのだから、やっぱり格差社会って恐ろしいと思う。


 「ええと、『白と黒のパラダイムシフト』は……あったあった。わぁ……! ユリアちゃんのクッソエッチなタペストリー……美しいッ! このために生きてるッ!」


 おおよそ女子中学生の言葉遣いとは思えない。しかしそんなことはお構いなしで、嬉しそうにタペストリーを抱きしめていた。抱擁されて歪んだユリアちゃんと目が合い、なぜか虚しくなる。


 「よーし! 早速やるぞー! ほら、オーエンさんも!」

 「え、ここでやるのかよ」

 「昨日言ったでしょ。『一緒にやろう』って」

 「……そうだったな」


 グダグダ言ったところで蒼には逆らえない。仕方なく意気揚々とPCの電源を入れる蒼の斜め後ろに座る。


 「ふんふんふーん♪」


 ノベルゲーム特有のクソデカい箱からディスクを取り出す蒼を眺めていると、同伴されていた設定集が目についた。

 まさか、ね。


 「これ、読んでもいいか?」

 「もちろん!」


 許可が出たので、俺は設定集を手に取った。ジャンルは『あなたの常識を覆す体験型ADV』だそうで。その下にあらすじが書いてあった。

 

『魔法が生活に根差す世界。1か月前に両親を事故で失い、心の傷も癒えぬまま魔法高等学校へと入学した主人公──拓海たくみ白崎しろさき黒川くろかわと名乗る2人の少女と出会った。彼女らに拓海は到達すれば人を生き返らせる魔法の書が眠る禁忌の地【ジパング】の存在を教えてもらう。「この書があれば、父さんと母さんを生き返らせられる!」拓海は一縷いちるの望みにかけて、禁忌の地へと挑むのだが……』

 

 もしかすると召喚魔導士がどうの、みたいなことが書いてあるのかと思っていたが、全く違う内容だった。さすがにあの世界がゲームの中、なんてことはないか。少し疑心暗鬼になりすぎた。


 「どうどう? 結構面白そうじゃない!?」

 「……ん? あ、うん、そうだな」

 「でしょ! ちなみにこれは考察なんだけど、あらすじにある禁忌の地って、元から存在しないと思うんだよね。だって【ジパング】ってそもそも──」


 全オタクが患う病を発症している蒼に、適当なタイミングで相槌を打ちながらペラペラと設定集のページをめくる。……えっ、ユリアちゃんって濡れ場ないじゃん。なんでタペストリーになってるんだよ。


 「どう!? 絶対当たってるでしょう?」

 「え、お、おう」

 「ふふーん。凄いでしょ──あれ? オーエンさんのスマホが鳴ってるよ?」

 「うん?」

 

 言われて気付いた。どうやらメッセージアプリを介したものではない。画面に映し出された名前は『たちばなさん』……今朝入れてたバイト先の人からだ。


 「悪い、先にやっててくれ」

 「はいよー」


 蒼に断りを入れて、俺はリビングまで移動する。ここなら電話中の声も聞こえないだろう。


 「はい、もしもし」

 「おい佐藤! 今、どこにいる!」


 苛立ちを隠そうともしないだみ声が耳を突きさす。いつも俺に仕事を押し付けてタバコ吸ってるのに、こういうのはいっちょ前にやるんだな。


 「申し訳ありません。その、頭痛が酷くてですね。連絡が入ってると思うんですけど……」

 「あぁ!? ンな事知らねえよ! テメエが来ねえとこっちは普段の倍働かねえといけないんだよ!」


 今回はちゃんと仮病なので反論はしづらいが、この人だけには言われたくなかった。

 とはいえ口答えすると面倒くさいことになるのは確実なので、黙って平謝りを続ける。


 

 「次のシフトまでには必ず体調を整えておきますので……」

 「チッ! いいか、テメエみてえなポンクラの代わりなんぞいくらでもいるんだぞ! 次やったらただじゃおかねえ!」


 人格攻撃のオンパレードを耐え忍ぶこと数分。ようやく橘さんは舌打ちをして電話を切ってくれた。

 ふう、と息を吐く。次のシフトは明後日。次呼ばれた時にどれくらい向こうにいるかわからないが、たとえ間に合ったとしても行く気にはなれなかった。

 それにさっき辞めるって言ってしまったし。のこのこ出て行くのも気まずい。


 第一。

 


 ──ごめんなさい……。私……んぐっ……ありがとうございます……。

 ──テメエみてえなポンクラの代わりなんぞいくらでもいるんだぞ!

 

 どちらを優先するかなんて、考えるまでもない。

 くたびれた男より、白髪赤目の美少女の方がいいに決まってる。


 ◇


 時刻は午後7時10分。

 俺はいつもの如くコンビニでバイト中。こっちの時間だと前回のバイトから1日しか経っていないのに、ずいぶんと久しぶりに感じる。決まって俺のところに来る『名持ち』の客も相変わらずの態度だ。


 「……チッ、もっと手際よく出来ねえのかよ」

 「ありがとうございましたーまたお越しくださいませー」


 いつもより早く来たクワトロボックスを乗り越えた俺は、ため息を吐いて控室へと向かう。

 昼から働いていたからか、昨日にも増して疲労感が重くのしかかる。異世界での睡眠はどうやらこっちでは反映されなくらしく、徹夜した時並みにしんどい。

 朝起きた時空腹感を感じなかったから、向こうで食べた飯はちゃんと満腹中枢を刺激してくれてるだろうに。睡眠もついでに反映してくれよ。

 よろけてしまいそうになりながらも押すようにしてドアを開ける。

 

 「本当にわかってんだろうな!?」

 「はいはい、わかってるからこうして反省文書いてるんでしょうが。頭大丈夫です?」

 「はぁ!?」


 控室では昨日と同じく妃花ひめか壮真そうまが激しく言い合っていた。前この2人を水と油だと言ったが、壮真という火に妃花が油を注いでいる、と例えた方がいいかもしれない。


 「あっ、せんぱーい。お疲れ様でーす」

 「……お疲れ様です」


 俺に気付いた妃花が猫なで声で、壮真は気まずそうな声で挨拶してくる。


 「ああ、お疲れ。2人はもう終わりじゃなかったのか?」


 そう言うと、2人はお互いを指さした。


 「だって岸本先輩が反省文をどうしてもここで書けって言うんですよ」

 「坂本のやつが反省文をすっぽかそうとしたんですよ」


 声がハモリ、互いに顔をしかめる。しかしそれも一瞬のことで。


 「ちょっと岸本先輩。その言い方誤解されそうなのでやめてくれません? 店長が『次のシフトの時までに……』って言ってましたよね?」

 「前回、前々回にそう言われて結局提出しなかっただろ!」


 再び言い合いを始めてしまった。おそらく反省文というのは昨日サボったことについてだろう。本来であれば俺が変わるはずだったのだが、異世界に召喚されてしまったからな。ばつが悪い。


 「先輩が気に病む必要はないですよ。元はと言えばこいつが全部悪いんで」

 「そ、そうか?」

 「いやいや、『そうか?』じゃありませんよ。何してたんですかー」


 妃花がぷっくりと頬を膨らませる。壮真に向けるよりずっと柔らかい口調なので、怒っているわけではないだろう。


 「まー……ちょっと、な」

 「え何その反応。まさかとは思いますが、彼女でも出来ました?」

 「はッ!? 先輩に、か、カノジョ!?」

 「うっわキモっ。何ですかその童貞クサイ反応」

 「な、なんだと!」

 「……違うわい。全く、年頃の女の子はどいつもこいつも」


 俺は恋愛とは無縁の生活を送っているというのに。

 ため息交じりに否定すると、妃花が俺の眼をのぞきこんできた。


 「……じゃあ、やりたいことでも見つかったんですか?」


 妃花が人差し指をピンと立てる。


 「ほら、オーエン先輩くらいの歳でバイト暮らしの人って、なんか自分探ししてるイメージですし」

 「ちょっ!? おま、失礼だろうが!」

 「うわーそれ無意識の差別ですよ岸本先輩。サイテー」

 「んなっ!?」


 ウェスタの退学を回避し、立派な召喚魔導士になるためのサポートをする。

 これが今、俺のやりたいことだ。

 だが、異世界うんぬんの話を馬鹿正直に話すわけにもいかない。


 「いや、そういうわけじゃ──」


 この場では嘘をつくか、との思いで口にしたその時。



 ──オーエン、今いいですか?



 「うおっ!?」

 「「へっ?」」


 今までに二度聞いた、頭の内側から語りかけてくるようなウェスタの声。

 とっさに口元を抑えたが、既に遅く。先ほどまで言い争っていた2人がばっとこちらを向いてきた。ったく、向こうはもう明後日なのかよ。こっちではまだ24時間も経ってないぞ。


 「あーいや、その」


 ──あれ? 聞こえてませんか?

 

 「いや聞こえ……て」

 「……? 先輩、誰かと話してるんです?」

 

 まずい。ついウェスタに返事してしまった。何か言い訳をしないと……。


 「……気功」

 「えっ?」

 「そう! 実は最近気功を習い始めたんだよ! これがなかなか難しくってなあ……ハハ」


 大げさに壁の時計を見る。


 「やべぇ! もうこんな時間だ! 悪い、また明日!」

 「あっ、ちょっと待っ」


 妃花が何か言っているが無視して、俺は控室を飛び出した。


 「行っちゃった……ヘンな先輩」

 「なあ坂本……きこう? を習うって、どういうことだ?」

 「さあ? 習う必要なんてなさそうですけどね」

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