第9.5話 ウェンスタラスト・クライエス

 オーエンへの魔力供給を一時的に遮断した後の私は、ほとんど休み無しで机に向かっていた。

 閉め切っているカーテンから、ちらちらと日が差し込んでくる。そろそろ日も出てきた頃合いか。

 のろのろと立ち上がり、勢いよくカーテンを開け放つ。

 

 「はぁぁぁあぁぁぁー……」


 徹夜明けの疲れ切った肉体に、爽やかな朝の陽ざしが染み渡る。日の光に耐えられずベットへと倒れ込んだ。酷使していた脳がわずかに癒され、じわじわと睡魔が襲ってくる。

 今日は1限から補講があるけど、きっと予鈴まで1時間はあるでしょうし、それまで仮眠を……。


 ──ただいま8時をお知らせいたします。生徒の皆さん、おはようございます。今日も元気に学んでいきましょう。

 

 とろうと思ったのに、無情なる予鈴が鳴ってしまった。この学校に入学して2年経つけど骨が震えるような鐘の音と、不安を煽ってくる女性の声には慣れそうもない。ナマリみたいに重い体を無理やり起こして、のそのそとローブを身に纏う。壁に立てかけてあった杖を手に取ると、昨日バンガルドに借りた男子用のローブが目に入った。


 「……オーエン」


 それは、私の人生で8番目に契約した幻獣の名前。この2年間で色んなのと契約し、破棄されてきたけど、彼ほど異質な幻獣と出会ったことはなかった。人語を理解し話すことの出来る幻獣は多くないが珍しくはない。でも彼ほど人間に近い、それどころか別の世界の人間が幻獣として呼ばれたことはないと思う。クラリア先生も「新種の幻獣だぁ!」ってはしゃいでたし。

 やっぱり私は──。

 

 「……」


 もう心の奥底へ封じたはずの思考が、意識の間隙を突いて再び表層に上がってきた。頭をぶんぶんと振り、頬をパチンと叩く。湧き上がる嫌悪感の影響で眉間にしわが寄る。

 忘れるな。入学してからの2年間で、私は学んだんだ。


 自分が特別でも、天才でもない人間だということを。

 

 

 試験まで後1か月半。学力も中の下で、幻獣の扱いも大して上手くない私には、休息日といえど休んでいる暇はない。退学の足音は、もうそこまで迫ってきているから。

 なので私は5連休中にも出来るだけ補講を詰め込んで、なんとか食らいついている。

 

 「よーし、じゃあ今日はこれまで。連休中だけど、試験も近いからちゃあんと自習をすること。それじゃあ頑張ってねえ!」


 相変わらず読みにくいクラリア先生のミミズ文字を自分なりに解釈し、必死に書き写す。どんなに些細な内容でも、一字一句、書き漏らすことなく。情報の取捨選択を不得手とする私がこの学校で生きのこるには、愚直に全てノートに記入するしかない。

 

 そんな調子なので、私が教室を出るのはいつも最後。踏み出すたびにコロコロと色を変える廊下を1人、歩く。


 「──っ」

 「──あっ」


 5連休中だけど、廊下を通る生徒は多い。その中には前にゴブリン三姉妹と一緒に道を塞いできた人もいたけど、私を見るやいなや駆け足で去ってしまった。旧校舎の事件から明らかに嫌がらせ行為が減少しているのと、何か関係があるのかもしれない。


 「おや? そちらにいらっしゃるのはウェスタじゃないですか?」


 だが、そこでよりにもよって一番会いたくない人物に出会ってしまった。

 私の憧れの人で、劣等感を掻き立ててくる女。


 「……コルネ、ですか。奇遇ですね」

 「ふふ。そうですわね」


 付け焼刃の私とは違う、品がありイントネーションも完璧な言葉遣い。

 腰の辺りまで伸ばしたつやのある黒髪をそっとかき分けて、にこりと笑うその姿をクラスの男子は女神ユピテルになぞらえている。『可愛い女子ランキング』という、私からすれば大変恐ろしいランキングでも常に1位をキープしているらしい。

 

 「……本当は貴女と話したくて待っていましたの」

 「えっ、私を?」

 「はい。ウェスタが新しく契約した下僕についてです」


 アルカイックスマイルを崩さぬまま口にした言葉を聞き、背中に一滴の汗が流れ落ちる。まさか、昨日オーエンを連れていたのがバレた──!?


 「クラリア先生から伺ったのですけど、どうやら別の世界からお越しになったお方だとか。一度お話してみたいなー……と、思いまして」

 「えっ、ああそのことですか」

 「おや? うふふ、安心して下さい。昨日のウェスタの行動には目をつぶっていますから」


 しっかりバレていた。バンガルドが話したのか、あるいはクラリア先生にオーエンのことを教えてもらったか。どちらにせよ断ればこのことをネタにされるのは目に見えている。

 

 「それくらいなら、別にいいですけど」


 せめてもの抵抗として目を合わせずに言ったのに、コルネは嬉しそうにはにかんだ。


 「まあ。ありがとうございます。では、ウェスタの都合の良い時を教えてくださいね」

 「……わかりました」

 「では、ごきげんよう──それと」


 一度言葉を切り、コルネの目が淑女から獲物を狩る目つきへと変わる。


 「もし、相まみえることになった場合は……よろしくお願いしますね」

 「……その時は、手加減してください」

 「ふふ、お断りします。だってウェスタは、私の『好敵手ライバル』なんですから」


 最後に本物の淑女のお辞儀をして、軽い足取りで去っていく。コルネの姿が見えなくなってから、ひく、と喉が鳴った。


 「……私では、もう役不足ですよ」


 この学園に入学したばかりの頃。1年生にもかかわらずドラゴンと契約できた生徒が、2人いた。

 1人は、コルネ・プレ・キンナートゥス・クラウディア。

 もう1人が、私だ。


 あの時の私は、確かにコルネの好敵手ライバルだった。


 ──まさか私が負けるなんて……。あぁ! やはりウェスタはすごいです!


 自分でも信じられないけれど、今から1年と数ヵ月前はコルネにこんなことを言われていたのだ。

 当時のストレンジレートは、1155。コルネを超えて、学年トップだった。

 

 けれど。


 ──私に敗北の味をプレゼントしてくれたウェスタに勝つため、私は人生で初めて努力したんです。覚悟しておいてくださいね?

 ──あらどうしたんですか? ウェスタならまだ立ち上がれるでしょう?

 ──ふふふふっ! あぁ! 楽しい、楽しいですねぇ! 終わらない戦いというのは、本当に、楽しいですっ!


 その次の試験では、完膚なきまでに叩き潰された。苦しくて、怖くて、早く終わってとさえ願った。やりたいことを全て潰されて、心が折れてしまったんだ。そこで私は、「この世には理解の及ばないような天才がいる」と知った。

 

 それからはずっと、落ちて落ちて落ち続けた。かつては学年トップだった成績も、今や退学のレッドライン付近でさまよう、落ちこぼれに相応しい値へと変化した。

 所詮は、早咲きの才能だったのだ。もし今、私がコルネに好敵手だと思われてるだなんて言えば、たちまちクラス中の笑いものになるだろう。


 当時の私は、何でもできると思っていた。都会でちゃんとした教育を受けてなくとも、ドラゴンと契約できるのだと。

 しかし、結局私はドラゴンの【ギフト】発現レベルを1以上にすることが出来なくて。半年後に契約を破棄されてしまった。


 いくら強力な幻獣の召喚に成功したとて、【ギフト】を発現しレベルを上げるには、召喚魔導士の才覚も求められる。


 私にはその才覚が無くて、コルネにはそれがあった。

 そして、あれから時が経って。私は嫌というほど思い知らされた。


 自分は、天才でも、特別でもなかったのだと。


 「……」


 嫌なことを思い出してしまった。同時にどっと疲れが押しよせてきて、その場に座り込んでしまう。ローブのポケットに入れていた一枚の紙が落ち、目の前で広がった。


 『この幻獣くんはすごーく扱いが難しいけど、その分強いから頑張って!』

 

 『強い』の文字を見て、私は全身に鞭打ち立ち上がる。

 落ちこぼれに、休んでいる暇はないんだから。

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