第7話 ゼンマイナメクジガエル
「そっちの紙はここに入れておいてください」
ウェスタも落ち着き、あらためて協力することになった俺たちがまず始めたのは部屋の掃除。床に散乱している魔法陣の紙を整理し、直に書かれた謎の文字を消す作業。ウェスタはここ数か月の間は週レベルで幻獣と契約し、破棄されるを繰り返しており片づける暇がなかったらしい。
「このペンキ、なかなか落ちないな」
「そ、そうですね……なんででしょう」
紙は全部片づけることが出来たが、床に書かれた文字はいくら
ちなみに俺は「業者といってもファンタジー世界だし、洗濯奴隷とかがやってるんだろう」と思い、興味本位で聞いてみたのだが。
「えっ、奴隷……? そんな前時代的な制度、この帝国には存在しませんけど」
と、ウェスタにドン引きされてしまった。なんでもこのレールス帝国は大陸内で奴隷制度を廃止した初の国家らしく、奴隷という言葉そのものに強い拒否感を抱いているのだとか。「倫理観が私たちに追いついてますわ! なんと素晴らしい!」 ……と思うかもしれないが、その代わり労働者を安い給料で休みなく働かす事業主が多く、たまに暴動が起こるらしい。その辺は日本と大して変わらないな。
額から流れ落ちる汗を拭っていると、控えめなノックの音がした。
「どうぞ」
「やあ、2人ともお疲れ。食堂から夕食を持って来たよん」
ウェスタが戸を開き、入ってきたのはアリテラス。大きめのトレイにホカホカのスープが入った皿と、獣肉と野菜を挟んだパンが2つずつ乗っている。
俺の分は無い。
「……あれ? もしかして君も欲しかった? ごめんねえ。そこまで気が回らなくってさ」
「あーいや、そんなつもりは」
アリテラスが申し訳なさそうに頭を掻いた。表情に出てしまっていたらしい。
この世界で食事をとる必要はおそらく無いが、空腹感は同じように感じるのだ。
「私がひと口あげましょうか?」
「……それなら貰おう」
一瞬ためらったものの、やっぱり異世界の食べ物に対する好奇心に負けてしまう。きっと味付けも地球には存在しないものに違いない。
「次からは1人分多く持ってこないとね!」
快活に笑うアリテラス。机に置かれた皿からはコンソメと山椒を混ぜたような香りが漂ってくる。
「あ、また召喚に専用の液じゃなくてゼンマイナメクジガエルの血を使ったの? 最近魔法陣を買い過ぎてお金がないのはわかるけど、そこまでしなくても」
「えっ、ゼンマ……?」
「ど、どうせ後2年あるんですからその時に消せばいいんですよ! 節約ですよ節約」
これペンキじゃなくて血なのかよ。それにこの世界の文字はごちゃごちゃしているなと思っていたが、単に重ね書きしていただけらしい。
そりゃ消えないわけだ。
◇
「……ふぅ。どうでしたか? レールス原産のシャトーガエルのサンドは」
「悪くはなかったが……カエルなのか」
「オーエンの故郷では食べないんですか?」
「少なくとも俺の居た国で食べる奴はほぼいないな」
見た目は完全に牛肉だったのですっかりその気で食べた俺は、鶏肉の弾力をより強くしたような食感に舌が跳ねそうになった。
不味くはないんだが、弾力をもう少し減らして欲しい。
「へー。オーエンのいたトコではカエル食べないんだぁ。こんなに美味しいのに」
アリテラスは心底驚いた顔でスープをすすった。ちなみにこのスープにもサンドと同じカエルの脂身が溶けている。さっき鼻にきた
「いや、俺の国で食べる人が物好きぐらいだけってことだ。多分探せば食べる地域はあると思う」
「なんだぁびっくりした。やっぱり人間の考えることはどの世界でも一緒なのかな?」
「かもな。今日半日だけウェスタと学校に行ったけど、俺の世界にあるそれと似た部分が凄く多い」
夕食を食べる間、話はミニマムドラゴン事件のその後の顛末に始まり、世間話を経て気づけば俺がいた地球のことになっていた。最も、ドラゴンは俺にブレスを放った直後に、駆けつけてきた先生方によってあっけなく倒されたようだ。結果あの場には居た5人は「今日含め3日間幻獣携帯禁止」の罰を受け、更にアリテラス以外の4人には追加で罰がくだるとのこと。他にも色々あったらしいものの、アリテラスが「つまんない話はこれでおしまい!」と宣言したため詳しいことは聞けなかった。
「んー。それにしても、オーエンの暮らしてる世界は想像すら出来ないや」
「確かに。魔法を用いずそれだけの文明をどうやって築いたのでしょうか……」
「俺からすると、むしろこの世界が驚きの連続なんだがな」
時計やペンといった地球にも存在する物もあれば、実際に効力を持つ魔法陣などファンタジー世界特有の物もある。
蒼のおかげで多少は耐性が付いているとはいえ、腰を抜かしそうになることもしばしば。
「──さーて、そろそろ明日は朝早くからクラリア先生のところに行かなきゃいけないし。そろそろ帰ろうかな」
アリテラスはやや気怠そうにトレイを持って立ち上がり、部屋を出ようとする。
「そうそう。私も行かないといけないんでした」
「ウェスタもなんだ。あー面倒くさいなあ。どうせ大したこと言われないだろうし」
「そういや明日はプラレールってやつの見学をするんだろ? 間に合うのか?」
「プラレートですね。大丈夫ですよ、その辺はクラリア先生が配慮──あ」
言いかけて、ウェスタはぴしりと制止する。
「そういえば、『幻獣携帯禁止』の罰を受けているんでした……」
「じゃあ、俺は明日見られないってことか?」
「どうしましょう。オーエンに多少なりとも試験の流れを掴んで欲しかったのですけれど……」
いきなり試験合格への計画が崩れ、ウェスタは頭を抱えるように机に突っ伏した。練習では決して味わえない本番の空気をウェスタは知ってほしいのだろう。練習では出来たのに本番で出来なかったというのはよく聞く話だ。「俺は大丈夫だ」と言いたいところだが、部活動をろくにしてこなかったので実際そうなる可能性も否めない。
「じゃあさ、オーエンが生徒に成りすませばいいじゃん」
「「え?」」
どうしたものかと悩んでいると、アリテラスが「簡単じゃない」といわんばかりに口を開いた。
「オーエンは人間に似た……というより人間だし、制服を着て適当な杖を持ってればバレないよ」
そう言われるといけるような気がする。
「で、ですが。杖は私が使ってないやつを持ってればいいですけど……肝心の制服がありませんよ。私の制服は女子用だし、そもそもサイズが合いません」
「あ、そっか。うーん、いいアイデアだと思ったんだけどなあ」
俺の身長が190センチなので、150センチ前後のウェスタの制服はどう頑張っても着られない。
「サイズが合わないにしても、せめて男用の服があればな。女子用だと肩幅がキツそうだ」
「今から昔のローブを縫い直すのも間に合いませんし、明日は朝早くクラリア先生のところに行かないといけないので、誰かに借りることも出来ません……」
「今からじゃダメなのか?」
「異性のフロアに行くことが出来るのは夕方までなんです」
公序良俗に反するってヤツか。思春期の学生には必須の校則だ。
「ならさ。今から借りに行こうよ」
「えっ? ま、まさか名も知らぬ男子の部屋に忍び込むんですか!?」
「……そんな変態みたいなことはしないよ。リジーの部屋が1階にあるからさ。オーエンに抱えてもらって飛び降りれば、エントランスの警備員に見つかることなく行けるってわけ!」
革命的だ、とばかりに大はしゃぎするアリテラスを尻目に俺は窓から下をのぞいてみた。……うん、無理だ。どうみても7階分の高さがある。しかも床は芝生どころか石畳だ。
「なるほど。1階にあるハルドリッジの部屋なら窓をコンコンと叩けば応じてくれるでしょうし、いいアイデアですね」
「でしょ!? まあリジーはオーエンより小柄だけど、ローブくらいなら押し込めばいけるいける!」
「いけないいけない。2人ともこの高さを見ろ! 落ちたら死ぬ高さだぞ」
俺が指さした先を2人が覗き、顔を見合わせてきょとんとする。
「え? オーエンは幻獣なんだし余裕でしょ」
「おいおい……」
さも当然のことのように言わないでほしい。
「大丈夫ですよオーエン。【ギフト】を発現させれば、このくらいの高さはへっちゃらです」
「だが発現には」
「好物、が必要なんでしょう? 昼に言ってたじゃないですか」
「昼……おい、まさか」
「え、えいっ!」
俺がもしやと思っている隙に、なんとウェスタが腰の辺りに抱きついてきた。臀部の辺りに思いきり胸を押し当て、鼠径部付近を優しい手つきで撫でまわしてくる。背中にウェスタの熱い吐息がかかり、脳内のスイッチを直接刺激されるような感覚。一瞬理性が飛びそうになるのを唇を噛んで防いだ。
「ええ!? い、いきなり何してるの!?」
アリテラスが7割の驚きと3割のドン引きを組み合わせた表情で後ずさった。慌てて説明しようとするも、世の男性全てを肯定してくれるみずみずしい弾力のせいで言葉を上手く紡げない。これ以上の誤解を招く前に、俺は尻にへばりつくウェスタを引き剝がす作業を開始する。
「お、おいっ! 俺はウェスタには興味ないって言っただろう! って痛え! そんなことが出来るなら俺いなくても飛び降りられるだろ!」
「──っ!」
声にならない声を上げて必死の抵抗を見せるウェスタ。引き剥がそうにも上手く力が入らない。
このままじゃ
「いい加減に、しろっ!」
「ふあっ!?」
その
「はあ……はあ……ふふ。成功しました」
「へっ、何が?」
「【ギフト】を発現させることに、です」
「はっ?」
窓を鏡代わりにして首筋辺りを見やると、なんと淡い朱の光を発していた。これが【ギフト】が発現した証なのか。ミニマムドラゴンとの戦闘でも全く機能しなかったのに。
「えっ、オーエンの【ギフト】ってもしかして……」
「はい。アリテラスの予想通り、好物を与えることで発現するギフトです。オーエンは未成年に興味がないと言っていたので心配でしたけど、私の胸でも機能してくれました。まだ最低レベルですけどね」
「うわあ……」
得意げなウェスタと本気で引いているアリテラスに弁明する力を、今の俺は持ち合わせていなかった。
「……ふっ!」
徐々に石畳の関門が迫る中、どうにか音を立てずに着地する。すぐに立ち上がることはせず、その場にしゃがみ込んで周囲を見回す。人がいないことを確認してから、ゆっくりと立ち上がった。背中に掴まっていた2人がそろそろと進んでいく。
「……よし、成功だね。リジーの部屋まで案内するよ」
「わかりました。それにしても、発現レベル1でこの性能。十全に引き出せば、あるいは……」
「ウェスタって男に免疫ないとか言ってたけど、嘘だったのか?」
「む、失敬な。私としてもあれは相当恥ずかしかったんですから。あくまで退学の可能性と自らの羞恥心を秤にかけた結果です」
アリテラスが目を合わせてくれないのに落ち込みつつも、俺は忍び足で2人の後を追った。ハルドリッジの部屋はここから真反対にあるらしく、音を立てないように歩くとかなりの時間がかかる。
それでも少しずつ進んでいると、正面入り口付近へと辿り着いた。エントランスからは靴音が響いてくる。
「うっ、丁度監督生徒の見回りの時間と被っちゃったわね……」
「監督生徒って?」
「寮内で先生の代行を務める生徒のことです。学年の中で男女1人ずつ優秀な生徒が選ばれるシステムで、女子はコルネ、男子はバンガルドという生徒が務めています」
確か、クラリア先生がミミズ文字を書いてる時に発言してた女子生徒がコルネって名前だったな。見かけの通り優秀らしい。
「今1階を見回ってるってことはもうすぐ終わるはず。ここでしばらく息を潜めていましょう」
「「了解」」
ウェスタの指示に従い、俺たちは近くの柱へと身を寄せてしゃがみ込んだ。少しでも監督生徒の動向を探ろうと耳を傾けると、僅かだが何やら話している声が聞こえてくる。
「……だ。──で」
「──あっ──そ」
「……この距離だと、何話してるが聞こえない」
ぼそりと呟き、アリテラスは距離を詰める。それに合わせて俺たちも前にいくと、今度ははっきりと会話の内容が届いた。
「ほう、なるほど。あの爆音の裏でそのようなことが」
「貴方が監督生徒なので教えましたが、口外禁止ですよ。……例の三人組が関っていますので」
「ウェスタくんとアリテラスくんには同情する。彼女らの家が持つ権力にかかれば、か弱き学生など従うしかあるまいて」
「貴方は例外でしょう? レールス建国時からの由緒正しい貴族の生まれなんですから」
「それは彼女らも同じだ。思うようにはいくまいて……ポントゥムの娘は、特に」
おそらく、あのミニマムドラゴン事件のことを話しているのだろう。2人の肩が強張っている。
「では、私はこれで失礼します。明日は頑張ってくださいね」
「フハハ! 任せておけ! コルネくんが出られないのだけが残念ではあるがな!」
「お家の都合ですから仕方ありません。……では、ごきげんよう」
しかし、幸い2人は長話をすることなく立ち去っていく。徐々に靴音が遠ざかっていくのを確認し、俺たちは大きく息を吐いた。
「はー……これでようやく動けるぅ……」
「いつまでも部屋を開けているわけにもいきませんし、早めに着きたいですね」
「ダイジョブダイジョブ。ハルドリッジの部屋は正面玄関を回ったすぐのとこだから、任務達成みたいなもんだよ」
エントランスにはまだ灯りがついている。俺たちは身を屈め、かつ早歩きで通り抜けようとするも。
「やあ少女たち。とうに外出可能な時間は過ぎているぞ」
まるで俺たちの位置を把握しているかのように待ち構えていたバンガルドに、あっさりと見つかってしまったのだった。
「こ、こんばんは。今日も、その、いい天気ですね」
「星々は分厚い雲に覆われてしまっているがね」
いとも簡単に発見された俺たちは、先ほどまで隠れていた柱の近くに移動……いや、追いつめられていた。微笑を浮かながら向かっているバンガルドからは、威圧感のようなものを感じ取れる。
「さて、ウェスタくんにアリテラスくん。なぜここにいるかを聞かせてもらおう。あと、そちらの見慣れない男のことも」
「「……」」
重苦しい沈黙が流れる中で、バンガルドだけが笑っている。数刻の後に、ウェスタがようやく口を開いた。
「せ、制服を借りようと思いまして。ハルドリッジに。この赤毛の男性はえっと、私の幻獣なんですけど、色々あって罰則を受けていまして。彼とは最近契約したばかりなので、明日の『プラレート』で本番の空気を知って欲しかったんです。ローブを使い変装出来れば、なんとか誤魔化せるんじゃないかと……」
「ふむ。つまり、彼の背丈に合う男子用のローブが欲しかったと」
「バンガルド、えと、提案したのはあたしだから! まだ男子の部屋に入ったわけじゃないし、適用されるのは無断外出だけでしょう?」
納得したように頷くバンガルドに、アリテラスが慈悲を求める。しかし、彼は笑顔のままどんどん眼光の鋭さを増していく。顔を見られている以上、逃げても無駄だろう。万事休すか。
「男子用の制服が欲しいと、言ったな。それはハルドリッジの物じゃないとダメなのか?」
だが、バンガルドが発した言葉は俺たちが予想だにしないもので。
「え? それは、別に……オーエン──彼が着られるサイズであればなんでも」
「では代わりに我のローブを貸そう。それの体格を見るに、ハルドリッジのローブでは小さかろうて」
バンガルドの体格はこの薄闇の中では判別しづらいが、目線の高さはほとんど同じ。なので彼の提案は素晴らしいモノだと思ったのだが。
「な、何が目的なんでしょう」
ウェスタはそう捉えず、むしろ警戒心をあらわにした。
「確かに、我は良からぬことを考えている。だがウェスタくんが我の提案を蹴るのなら、その時は意気揚々と先生方にこのことを報告させてもらう。乗るなら、もちろんこのことは秘密だ」
「……乗るしかありませんね」
交渉とすら呼べない圧倒的なカードの差に、なすすべもなくウェスタは話し合いのテーブルを降りた。
「フハハ! そうこなくては。では明日の朝一に監督生徒権限で制服を送っておこう」
ニマニマと不気味な笑みを漏らしながら、バンガルドは正面玄関へと戻っていった。張り詰めていた糸が切れたように2人はその場に蹲る。
「はあぁ……ごめんウェスタ。あたしのせいで」
「いいんですよ。結果的に丸く収まりましたから。バンガルドが何を考えているかはわからないですけど……」
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