第6話 甘い再開

 「あぁ……。来てくれましたかオーエンんんんんんんーー!?」


 俺が立っていたのは、今朝と同じウェスタの私室。簡素なベットにぬいぐるみ。足元の謎の文字。微かに光る幾何学模様が描かれた紙。全て同じだ。違うところといえば、西日が窓から差し込んでいることぐらいか。


 「な、な、なぁ……!」


 見限られていなかったことに安堵していると、ウェスタがなぜか顔を真っ赤にし両手で目を塞いでいた。隙間から見えるあかい瞳はせわしなくぎゅるぎゅると動いている。まるでラッキースケベに遭っているみたいだな。


 「……どうしたんだ?」


 心配になり声を掛けても、ウェスタは顔を覆ってうつむくばかり。一歩前に踏み出すと、ウェスタは慌てて一歩後ずさる。それを何回か繰り返した後に、耐え切れなくなったとばかりにウェスタが叫ぶ。


 「な、な、なんで裸なんですかぁぁー!?」

 

 言われて気付いた。一時五感が失われていたとはいえ、服を着ていないことにすら気づかないとは。

 異世界へ来る際に着ている服は、元々着ていた服が反映される仕組みらしい。


 「そりゃ、風呂に入ってたからな」

 「なんで冷静!? と、とにかく隠してくださぁぁーい!」


 うら若き乙女の視界をこれ以上汚すわけにもいかないので、俺は近くにあった布を手に取る。


 「わあぁー! それは使っちゃダメなヤツです! 別の物にしてください!」

 「う、それは申し訳ない。他に何かあるか?」

 「あわわ私が持ってきますから! 待っててくださいー!」


 そう言うと、ウェスタは凄い勢いで部屋を飛び出していく。全裸の男が1人で取り残された形になった。髪の毛から冷たい雫が数秒ごとに滴り落ちる。いらんとこまで再現してるな。


 下手に動くと部屋を汚してしまいそうなので、直立不動で待つことに。


 「……まさか、またこの世界に来られるとは」

 「ほぉ、なかなか立派なモノを持っていらっしゃるな」

 「っ!?」


 噛みしめるような俺の呟きを、かき消すようにクラリア先生が背後から顔を出した。驚きのあまり声にならない叫びをあげて固まってしまう。


 「あっはっは! そんなに驚かなくてもいいじゃあないか!」

 「クラリア先生、ですか」


 両手を腰に当てて、快活に笑っている。


 「あれ? なんで私の……ってそっか。今朝クライエスさんと一緒にいたね。君の名前は?」

 「オーエンです」

 「ほう。オーエンくんね。変わった名前だねえ。君の世界ではメジャーな名前なのかい?」

 「いえ、そういう、わけでは」


 俺の名前は母親が勝手につけたものだ。アイルランド由来らしいが詳しいことは俺も知らない。


 「ふんふん、ちゃんと言葉も伝わってるみたいだね……。ま、それより確認しておきたいことがあるんだけど、いいかな?」

 「なんでしょう?」


 先生は少年のように目を輝かせながら、じりじりと全裸の俺に近づいてくる。


 「うっ……」

 「んふふー♪ それ!」


 窓まで追い詰められ逃げ場を失った俺めがけて、先生は懐からペンダントを取り出した。教室にやって来た時、首にかけていたものだろう。


 「これが何かわかるかい?」

 

 黄金に輝くペンダントを俺の鼻の先に突き付け、いつになく真剣な顔で眼を見てくる。


 「えっと……」


 しかし俺が言う間もなく廊下を走る足音が近づいてきた。


 「こ、これ着てくださいオーエ──ひっ、先生! 私のオーエンに何してるんですか!?」

 

 全裸の俺に詰め寄る先生を見て、羽毛の付いたガウンっぽい服を持ってきてくれたウェスタがすっとんきょうな声を上げた。ウェスタはぐりぐりと眼球を動かした後、一瞬俺の方に目をやり、せいいっぱい顔を背けた。


 「ほほう、『私の』か。今日契約したばかりなのに随分と信頼しているんだねえ」

 「違います! あれは、その、言葉のあやというか。オーエンはとりあえずこれを着てください!」

 「ありがとう」


 先生にいじられて顔が真っ赤なウェスタに、お礼を言って服を受け取る。俺が知っている物と造りはほとんど同じだったので、さして苦労せずに着ることが出来た。

 

 「もういいぞ」


 俺が声を掛けると、ウェスタは錆び付いたロボットみたいな動作でこちらを向いた。


 「き、着心地はどうですか?」

 「普段俺が着ている部屋着よりもずっと上質だよ」

 「それなら、良かったです。……ていうか、クラリア先生はいつ入ってきたんですか」

 「例のドラゴン事件の事後処理が終わったことを伝えに来たら、クライエスさんがゆでクラーケンみたいな顔色で飛び出していくからさ。つい気になってね。ゴメンゴメン」


 頭をきながら、先生はペンダントをポケットにしまった。結局あれの正体は何だったんだろう。

 考えていると、ウェスタがおずおずと前に出てきた。


 「その、けが人の方はいたんですか?」

 「大丈夫。運のいいことに、当時旧校舎には人がいなかったから。けが人は0人だよ」

 

 先生の言葉を聞いて、ウェスタはほっと胸を撫で下ろした。


 「それなら良かったです」

 「俺も身体をはった甲斐かいがあるってもんだ」

 「……ですね」

 「まあとにかく、オーエンさんに契約を破棄されてなくて良かったよ。魔法陣は高いからね」

 

 控えめに頷くウェスタを励ますように、先生が明るい声を出した。


 「はい。オーエンが寛大な幻獣で助かりました」

 「え? 俺が破棄? てっきり俺はウェスタに切られたとばかり思ってた」

 「ふえっ!? そんなこと、畏れ多くてとても出来ませんよ私は」

 

 ウェスタが青ざめた顔で否定してくる。その様子に戸惑っていると、先生が人差し指を立てた。


 「オーエンさんは知らないだろうけど、幻獣が契約を一方的に破棄してくるのはよくあることなんだよ。契約したばかりの幻獣は、ミストレス……つまり主との信頼関係を構築できていないからね。オーエンさんは、痛いのは嫌でしょ?」


 俺は首を縦に振った。そういえば、ゴブリン三姉妹が『幻獣に逃げられる』と言っていたな。


 「だよねえ。んで、幻獣は生命の危機に瀕するレベルのダメージを負うと、本来生活していた世界に戻されちゃうんだよ。召喚魔法陣によって付与された安全装置みたいなものかな」

 「そして戻った幻獣を再び召喚するには、その幻獣が応じてくれないといけないんです」


 どうやら俺が元の世界に戻ったのは契約を破棄されたわけではなく、その安全装置が働いたかららしい。

 ほう、とため息を吐く。

 

 「じゃあ、俺は見限られたわけじゃなかったのか……」

 「むしろ見限られたのは私だと思っていたんですけどね」


 ウェスタが苦笑交じりに言った。

 その様子を見ていた先生が嬉しそうに顔を綻ばせる。

 

 「うんうん。とりあえず、クライエスくんが契約を破棄されてなくて良かったよ。そんじゃあ私はこれで」

 「あれ? もう行っちゃうんですか?」


 頷きながらドアノブに手を掛ける先生をウェスタが呼び止める。


 「てっきり、私を理事長室に連行しにきたものだとばかり……」

 「ん? あーそのことなんだけどね。あちらさんが想像以上に動いてくれたから、そんなに大ごとにはならないと思うよ」


 あちらさん、というのはおそらくあの三姉妹の親のことだろうか。元はといえば挑発してきた彼女たちが悪いので、ウェスタに罰がくだるのも変な感じはするが。


 「え、そうなんですか。拍子抜けですね」

 「全くお咎めなしとはいかないけどね。なにせ、旧校舎が半壊しちゃったんだから」


 うっ、と言葉に詰まるウェスタ。


 「じゃあそういうことで。一応明日の朝イチで研究室に来てよー。形だけでも説教する姿勢をお上に見せないとだから」

 「……はい」

 「あ、それともう1つ。せっかく男の子を部屋に入れてるんだから、部屋の掃除くらいはしたほうがいいと思うよ?」

 「ちょっ!?」

 「んじゃあねー!」


 今度こそ、ドアノブに手を掛けて先生は去っていった。召喚された時はあまり気にしていなかったが、この部屋の床には魔法陣の描かれた紙が散乱して足の踏み場がほとんどなくなっており、その上にはうっすらと埃が積もっている。掃除した方がいいのは間違いない。

 気まずさでうつむいているのであろうウェスタの代わりに、俺はうんと伸びをして口を開いた。

 

 「ひとまず許されたことだし、部屋の掃除をしないか? 俺も手伝うぞ」

 「……オーエン」


 出来るだけ軽い調子でそう言ったが、顔を上げたウェスタの目には水が溜まっていた。


 「どうして、また私のところへ来てくれたんですか? 私のせいでドラゴンのブレスを受けてしまったのに……私があの人たちを助けてなんて言わなければ、オーエンが辛い思いをすることもなかったのに」

 

 どうやら、先のことで責任を感じているらしい。俺としてはこんな貴重な体験をさせてくれるだけでありがたいのに。しかし、そんなことを言ってもウェスタは納得しないだろう。


 「なんでって、そりゃあ……俺はウェスタの下僕だからな。例えドラゴンのブレスを受けようとも、望みとあらばはせ参じるさ」

 

 出来るだけ口角を上げ、熱血イケメン男が言いそうな台詞を口にする。上手く出来ただろうか。

 恐る恐るウェスタの方を見ると。


 「……っ! そう、ですか」

 

 潤んだ目で俺を見上げていた。照れくさくなった俺は咳払いをする。


 「というか、俺はてっきり契約を切られたもんだと思ってたよ。首筋の刻印が消えてたからな」

 「ミニマムドラゴンのブレスを食らって、召喚魔法陣がオーエンに施した安全装置が働いたせいですね。それより、私は呼びかけに答えてくれた方が驚きです。たいていの幻獣は一度痛みを味わうと、そのまま契約を断ち切ってしまいますので。……オーエンは、その。怖くないんですか?」

 「怖い?」

 「一応あれは三姉妹との『実戦形式』の模擬戦。つまり、本番の試験でもああなるかもしれません」

 「……」


 直ぐに問題ないと返そうとするも、あの激痛を思い出し口ごもってしまう。

 俺が答えないでいると、ウェスタはうつむき加減で後ろを向いた。


 「無理、しなくてもいいんですよ? 別にオーエンにとっては関係のない、遠い異世界の人間が夢を叶えられなくなるだけのことです。そんな話、よくあることでしょう?」

 「……そうだな」


 夢を諦めて、現実を見る。

 俺もそうしてきた。


 「ですから──」

 「だからこそ」


 俺はゆっくりとウェスタの正面に周り、かがんで目線を合わせた。


 「俺は、ウェスタに協力する。外的要因で夢を諦めるほど辛いものは、無いからな」

 「でも……」

 「今朝も言ったことだが、俺に気を遣う必要はない。黙って俺に命令しろ。『私のために働いて下さい』ってな」


 俺の言葉を受けて、ウェスタの瞳から水が溢れ出してくる。慌てて袖で拭うも、涙が次から次へと生成されていく。


 「ごめんなさい……。私……んぐっ……ありがとうございます……」

 「大丈夫だ。これからもよろしく」


 俺へ謝罪の言葉を口にしながら、静かに涙を流すウェスタ。彼女を慰めるように言葉を掛けながらも、俺は無意識のうちに違うことを考えていて。



 ──ウェスタを助けることが出来る。

 ──俺が、俺自身だけが、ウェスタの夢を叶えてあげられる。


 

 俺の深層心理に巣くう欲望が、むくりむくりと姿を見せる。俺自身も気づかない内に膨れ上がったそれは、やがて表情筋に反映されていく。


 現実逃避がもたらす甘露かんろを味わい、歪んだ表情の醜さを最後まで俺が知ることは無かった。

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