第5話 帰還

 失われた意識も、数秒の内に回復した。

 

 まず耳に入ったのは軽快なリズムで気分を上げてくれる音楽。次いで意味を持った言葉。恐る恐る目を開けると、白を基調とした室内が飛び込んでくる。簡素なロッカーとイスが置かれており、壁に立て付けられた時計と日めくりカレンダー以外に大した物はない。窓は付いていないのに、やけに空調が効いていた。


 「うおっ!? さ、佐藤君!? こんなところで何してるんだい!」

 「あー……」


 そして倒れている俺を見て後ずさる、バイト先のマネージャー。


 「あれ……俺は……ここで何を……」

 「てっきりもう帰ったもんだと思ってたよ。こんなところでサボっていたのかい? 倒れ込んじゃってさあ」

 「俺が、倒れて……。っ!」


 そうだ。俺は異世界に呼ばれて、ウェスタを手伝うと決めて、そして。

 ミニマムドラゴンの火球が直撃した。

 だが、上体を起こして背中を見てもそんな跡は1つもない。砂埃や火球で汚れた形跡も見当たらない。

 ぼんやりとする頭を掻きながら時計を見やる。時刻は午後8時50分。パートのおばちゃんが持ってきた日めくりカレンダーは、俺が異世界に呼ばれた日付と同じだ。


 「夢、だったのか……?」


 それにしてはリアル過ぎる。体験した出来事も、俺が想像出来ないであろうことばかりだ。


 「はー……全くさ。困るんだよねーそういうことされると。ま、とりあえず今日はもう帰っていいよ。明後日店長も来るし、そこで改めて話し合おう」

 「え、あ、はい」

 

 釈然としない顔でうなっていると、マネージャーが苛立ちを隠そうともせずに部屋から出ていった。俺も立とうとすると一気に身体が重くなり、その場に座り込んでしまう。いや、重くなったというよりは元に戻ったというべきか。妃花やらなんやらの埋め合わせのおかげで5連勤目だったからな。


 向こうの身体は幻だって話だったし、傷なんかが残ってないのも当然か。


 「……帰ろう」


 すっかり元通りになっている衣服に付いたホコリを払い、俺はよろよろと立ち上がった。


 ◇


 「ねえ、貴方正社員ですよね? 客を待たせるってどういうことなんですか?」

 「申し訳ありません。少々トラブルがありまして……」

 「ふーん。ま、いいけど。これ温めてくれます?」

 

 異世界との体を動かす感覚の違いに戸惑いつつも、俺は衣服を着替えて店を出た。

 マネージャーが来るたびに弁当を4つ温めさせる迷惑客──通称クワトロボックスを相手している。あの客は毎回俺に悪態をついてくるのだが、今回はマネージャーだからか幾分口調が柔らかくなっていた。

 あの体験がまるで虚構だったかのように、馴れ親しんだ日常の風景は続いている。


 「どうしたもんかねぇ」


 スマホの液晶画面に表示された時刻は21時。ここまで含めても、異世界召喚からおよそ2時間半程度しか経っていない。時間の流れが違うらしいのは理解できるんだが……。


 「向こうで多分6時間以上は過ごしたから、この世界との時差は……いや、わからん」


 脳内で計算しようとしたが辞めた。昔から数学は苦手だ。加えてここ数年間は頭を使う機会がほぼ無かったのもあって、余計にIQが低下している気がする。ミニマムドラゴンに対して直ぐにあの行動をとれたのは奇跡と言っていい。

 

 コンビニのある繁華街を抜けると、閑散とした住宅街に出た。塾帰りらしき学生がぽつぽつと歩いているだけで人通りはほとんどない。この辺はそれなりに金を持ってる人間が住む場所なのもあって比較的治安が良い場所だ。


 「あ、オーエンさん。こんな時間に珍しいね」


 だから、俺に声を掛けてきたようなJCも1人で帰ることが出来る。


 「蒼。塾は終わったのか?」


 艶の良い栗色の髪をストレートにしたこのJCの名前はあお。絶賛お受験期間中の中学3年生。


 「うん。もう受験対策は万全だし。合格は間違いないって先生にも言われたから」


 蒼はとてとてとこちらに近づいてきた。それに合わせて俺も速度を緩め、並んで歩く。


 「そりゃ良いことだ。大家さんも喜ぶだろうさ」

 「もう伝えたよ。そしたらおばあちゃん、お祝いだーお祝いだってはしゃいじゃってさ。まだ合格が確定したわけでもないのに」

 

 蒼の祖父祖母は、俺の住んでいるマンションの管理人。俺がまだ小さい頃はよく遊びに行っていた記憶がある。

 最も、今は嫌われているがね。

 

 「──って、オーエンさん! そんなことはどうでもいいんだよ!」

 「どうでもいいのか……」


 そんな老夫婦の孫こと蒼は蝶よ花よと育てられ、今や国内トップレベルの学力を持つ才女へと成長した。もちろん学力だけでなく、運動の方でも高い成績を収める完璧ぶり。ある一点を除くと、だが。


 「今日は私がいっっちばん注目してた『白と黒のパラダイムシフト』の発売日なんだよ!」

 「……ああ、そうだったな」


 なんと齢15歳にして、筋金入りの美少女ゲームオタクなのだ。しかし蒼は未成年でしかもJC。当然その手のモノを部屋に置けるはずもなく。


 「なによう。お金はわたしが払ってるんだからいいでしょ?」

 「いや、場所がとられるんだよ。毎度毎度思うんだが、なんであんなに箱がデカいんだ。そろそろ足の踏み場が無くなってきた」

 「それがいいんじゃあない」


 なので、蒼の秘蔵コレクションは全て俺の部屋に置かれている。ゲームの他にも流行りのラノベやらなんやらを蒼がポンポン置いていくせいで、すっかりその手のジャンルに詳しくなってしまった。……異世界へと召喚された際にすんなり対応できたのも、蒼のおかげだろうな。


 「あとわたしがおすすめしたアニメも見た?」

 「昨日見た。異世界召喚ものは見つくしたと思っていたが、なかなか面白い」

 「ふふん。そうでしょうそうでしょう」


 学校でサブカルチャーの話が出来ない蒼にとって、俺の存在は色々な意味で貴重らしい。苛烈かれつな競争社会に身を置いているため、周りの人間と会話する時は俗に言う『意識高い系』の話題が多くなるのだとか。


 「あー楽しみ! ねねね、今から行ってもいい? 一緒にやろう」

 「なんで美少女ゲームを年下の女とやらなきゃいけないんだ……。ディスクだけ持って行って自分の部屋でやれよ」

 「えー……そしたら家族の配置にまで気を配んないといけないじゃん。集中できないよ」

 「若い男と一緒にやる方が集中できないだろ」

 「いやーオーエンさんは幼馴染みたいなもんだし、今更っていうか」


 相変わらず、この子の線引きはいまいちわからない。だがそのおかげで、俺は蒼がストレスを解消するために必要な存在へと昇格した。ふらふらとほっつき歩いている俺があのマンションにいられるのも、蒼と仲が良いからだろう。


 「それに、今はゲームをするって気分じゃないんだよ。色々あって疲れたんだ」

 「え、色々? 変なお客さんでも来たの?」

 「変なのは毎日来る。……なんていうか、その、うーん」


 異世界での出来事をつい馬鹿正直に話してしまいそうになり、なんとか踏みとどまる。変なのが来すぎて疲れたとでも言っておけばよかった。


 「……ふーん」


 どう言い訳したものかと悩んでいると、蒼が何か納得したように俺の瞳を覗き込んでくる。


 「……なんだ?」

 「いつもの目じゃない。もしかしてオーエンさん、彼女でもできたの!?」


 一瞬でも身構えた俺が馬鹿だった。


 「ンなわけないだろ。俺のどこに彼女ができる要素がある」

 「え、いっぱいあるよ。顔も良いし、背も高いし、それに──」

 「あのなあ、見てくれの良さで恋人が出来るのは学生までだ。フリーターの俺に女が寄り付くわけないだろ」


 確かに西洋風の容姿がトレンドな影響も手伝って、学生時代はそれなりにモテた。だが、それは過去の話。多少見た目が良くても、経済力が無いと見向きもされないのが普通だ。


 「わかった! 一緒にバイトしてる、あの金髪の女の子でしょ? あの人可愛いもんねー」

 「だから彼女はいない」


 第一妃花は彼氏持ちだ。


 「……じゃあ、何があったの?」

 「ちょっとバイトで失敗してな」

 「うっそだあ、だったらそんな目にならないもん。いつもは釣り人に捨てられたフグみたいな目してるのに、今はギリ水中にいるって感じだよ?」


 表現が独特すぎる。


 「とにかく。ディスクは後で渡すから、今日は1人にしてくれ」

 「ちぇー連れないなあ。分かった。じゃあ明日行くね」

 「はいよ」


 そうこうしているうちにマンションまでたどり着いた。蒼の家はすぐ隣なので、ここで別れる形になる。


 「じゃあな蒼。また明日」

 「んじゃあねー! あ、そうそう。おばあちゃんが『先月分の家賃が振り込まれてない』って言ってたから、早く払ってねー」

 「……肝に銘じます」


 払えれば、苦労しないんだがね。


 

 「はぁ……」


 部屋の鍵を開けて、電気も付けずに俺は玄関に座り込んだ。右手には衣類の入ったバックが、左手にはポストから回収してきた美少女ゲームが握られている。なんとか気力を振り絞って電気を付けると、靴箱の上に家賃滞納を注意する大家さん直筆の手紙が置いてあった。

 蒼のコレクション部屋にゲームを置いて、俺は寝室へと直行する。他にも部屋はあるが使っていない。衣服が散乱している床にバックを投げ、そのままベットへとダイブした。


 「俺にも、チャンスが回ってきたと思ったんだがな……」


 紙の上だけだと思っていた異世界に召喚され、希望とは少し違えどやるべきことを見つけられて。間違いなく俺の人生で一番幸せな時間だった。もし夢ならばもう一度味わいたいほどに。


 「……無い」


 首筋に刻まれていたはずの刻印はきれいさっぱり消失している。

 

 部屋の壁に取り付けられた時計は──電池が切れていた。スマホを見ると、現在午後9時25分。向こうではもう数日が経過しているかもしれない。ウェスタはあの後無事逃げられただろうか。


 「逃げられたとしても、また呼ばれないってことは……」


 見限られた。いや違うな。あのブレスを食らった拍子に契約が切れてしまったというべきか。本来幻獣はあのミニマムドラゴンみたいなちゃんとしたモンスターのことを指すみたいだし。俺が幻獣として呼ばれたのは色々な意味でイレギュラーだったのだ。そう考えると納得は出来る。


 「……ん」

 

 つまらないことを考えていると、喉が渇いた。だるい体に鞭打って床に転がっていたペットボトルを手繰り寄せる。その時に、床に転がっているひびの入った写真立てに目がいく。5年前に死んだ母親の写真だ。ろくに日本語も覚えず「故郷に帰りたい」とばかり言っている人間だった。だが、写真の中ではそれなりの容姿を保っている。


 「ああはなりたくないな」


 まだこの家にいた頃の母親の姿を思い出し、俺はベットから起き上がり部屋を出た。ファンタジー世界に夢を見るのは、蒼と会話してる時だけで充分だな。明日も朝からバイトが待っている。いい加減家賃を払わなければ。これ以上滞納すると本当に追いだされかねない。


 俺は寝る前にシャワーを浴びようと、脱衣所へと足を運ぶ。適当に服を脱いで洗濯機に放り込む。風呂場のバスチェアに座り、冷たい水を頭から被った。これだけ冷たいと風邪を引いてしまうかもしれないが、今の俺にはこれくらいがちょうどいい。



 ──我が呼びかけに答えよ!



 「ん?」


 今、聞き覚えのある声がしたような。水音に紛れて幻聴かどうかの判別が出来なかった。

 俺はシャワーを止めて、目を閉じて耳を澄ました。しかし、待てど暮らせど例の声は聞こえない。


 「オーケー……って、何言ってんだ俺は。どれだけ未練があるんだよ……」


 自分が嫌になる。俺は自らにカツを入れるべく、更に冷たい水でシャワーを浴び始めた。あまりにも冷たいので、身体が痛くなってくる。しかし俺は目を閉じ、じっと耐えた。


 だから、足元から延びる純白の光に気付くことが出来ずに時が過ぎ、例の頭痛を感じた頃には既に視界が白く染まっていて。


 「ま、まさか!」


 歓喜の声を上げると同時に、俺の身体は地面へと吸い込まれるように消失した。

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