第20話
ユリウス王子がソファに座って待っていた。「やあ」と言う王子は疲れた顔をしていた。面談の順番はこちらで決めていい、と言われたので、クインティアは「自分はすぐ終わるから」と1番を希望したのだが、アリスがどうしてもというので譲り、セイリーンは「ちょっと夕飯の下ごしらえをして行くから最後」ということになったので三番手だったのだ。
「こんにちは殿下!」
「三日後、妃を発表する。その前に君に会っておきたかった」
「もう決めたんですか?」
「……まだ決めかねている」
だったらここで一押しすれば落とせる、とセイリーンは思った。
まだまだ幼いアリスには出来まいし、男のクインティアには尚更無理な技だが。この美貌と色気で迫ればウブな王子様のことだ、たやすく自分を選ぶ気になるだろう。それに年齢も王子に釣り合うのは自分なのだし。
そう思いかけて見つめた王子の背中越しに、たまたまかけてある大きな鏡が目に入った。城内に住まうようになって以来、家にいた頃とは比べようもないほどの贅沢をさせてもらい、好きなだけお洒落に時間をかけられる生活をしている。家事があるとはいえ、実家で下働きをしていたころに比べたら量的にも質的にも条件がよくなった。他の候補者たちは認めまいが、花嫁修行の一環と言われれば十分納得できる範囲だ。
それに恥ずかしくない程度に身なりを整えることができることは、心から嬉しかった。家にいたころセイリーンには服装に選択肢がなかった。自分より美しい恰好をしている人間に対しては、どうしても劣等感を抱いてしまったものだ。今はそんなことはない。お嬢様育ちのアリスに対しても気後れすることなく対等でいられる。背筋を伸ばす自信が沸いてきて、これまでの自分を捨て去ることができるのが嬉しかった。
館に来てから、鏡を見る時は一瞬だけだが自分の姿に見とれる習慣がついた。
ふと女の顔をしている、と思った。カレンが鏡を見るのが嫌だと言った理由は、この顔なのだ。自己満足に満ちた顔。でも。思いなおす。実家にいたころ、雑務に追われて何気なく目に入った鏡にうつる自分の顔は嫌だった。労働に疲れ、やつれた顔をした、病人のような自分。
でも今はこんなにも幸せなのだと感じる。
「君は、私と結婚したいの?」
「はい」
何を当たり前のことを言ってるのだろう。誕生日のパーティーにいる時点でその意思表示はある。さらに妃候補としてここにいる。
「それは君にとって幸せなの?」
「はい、もちろん!」
ぐずぐずと面倒なことを言い出すのだろうか。自分は愛を知らないとか、愛されないお妃を可哀そうだとか。そういうのはどうでもいい。
「贅沢ができるから?」
「衣食住に困らないことは、幸せですから」
「そうだね。私は王子だから。じゃあ君は自分に何の価値があるから私の妃としてふさわしいと自信を持って言える?」
「顔だと思います! 私以上の美人は、なかなかいないです!」
お妃は美貌であればいい。だったら自分は適任だと思う。
「……確かに」
ユリウス王子は一瞬言葉につまったが、同意した。目の前にするとしばしば忘れてしまうが、確かに美人だった。
「ユリウス、セイリーンがいると聞いたんだけど」
男の声がした。とっさに思い当たる人間がなかったのでセイリーンは狼狽したが、即座にユリウス王子は立ち上がって出迎えた。
「……エセル」
言葉の通り暗闇からエセルバートが姿を現した。
「何故。私とロレンス以外の男は許可がない限りは会えないはず」
王子は親友に約束ごとを破られたのがショックだったらしい。しかも結婚のような大事にかかわる裏切りだったから、顔を強張らせている。
「……ごめん。本当はお妃候補の館の方に行こうと思ったけど、ロレンス先生に予定を聞いたら、今日ここにいるって。セイリーンに会って話さなければならなかったから」
「ちょっと。あたしとあんたとは何もないのに、こんな大切な時に余計な邪推をされたらたまったものじゃないわよ」
セイリーンははっきりと意見した。誤解は早めにといておくに限る。
「推薦した手前、後ろ楯がいなくなるのは可哀相だから。ひとこと言っておこうと思って」
「え、どこか行っちゃうの? エセル」
と言っても妃候補選出以降は少しも世話になっていないが。エセルの言葉に含みがあったのでセイリーンは尋ねた。エセルは笑顔で語った。
「婚約が決まったんだ」
「……は?」とユリウスの方が先に声をあげた。
「話すと面倒だけど、母方の祖父の家系に後継ぎがいなくて。俺がそっちに養子で行くことになって」
エセルはこわばった笑顔のまま、セイリーンの方ばかり見て言った。
「そっちの国の貴族の娘と結婚することになったんだ」
「そう……おめでとう」
よくわからないが、会ったこともない、他人が選んだ女性と、エセルは結婚することになったのだ。
「エセルはいい人だから、いい旦那さんになりそう」
「わかる?」
笑いながら、改めてユリウスに向き直って話しかける。
「それでさ、母方って西アンドリンで」とセイリーンには聞きなれない地名だったが、ユリウスが息を呑んだ。
「エセル……国外に行くのか……」
「うん。婚約して、結婚はすぐじゃないんだけど、そっちの領地を継ぐことになる。向こうで貴族が通う学校に通えって言われていて」
「へえ、学校。いいなあ」
「だからさ、セイリーンの後見できなくなっちゃった。ごめん」
「大丈夫。あたし美人だから」
「うん。セイリーンは確かに美人だよ」
エセルはその点だけは認めた。やっぱりいい奴だ。素直でしかも下心もなく事実を述べる得難い長所を持っている。
「……それで!?」
セイリーンの横で、王子が叫んだ。つまり、まだ親友にも内緒だったのだろう。また変に誤解されなければいいが。
「行くの? エセル」
エセルはうなずいた。穏やかな微笑を浮かべている。
「そういうわけで、も少ししたら発つからさ。セイリーン。頑張ってな。ユリウス、セイリーンのこと頼んどくよ」
頼むと言ったらセイリーンを妃にということ以外のなにものでもないが、ユリウス王子はその件に関しては上の空で親友を眺めている。
「エセルは大丈夫だと思う、頑張ってね!」
セイリーンは、最後には励ましていた。淡々と言いながらもエセルは戸惑いを見せまいとしていて、セイリーンはそんなところがといいと思った。
ただ、王子様の方は突然親友を旅立たせる立場におかれた寂しさ故にか、計画の無鉄砲さ故にか、強い衝撃を受けたご様子で、脱力したままエセルを見つめていた。
セイリーンがたっぷり躊躇するほど、長い沈黙があった。ホントにこの王子様は女性より男性の友達の方に情があるのではないのかと。いくら絶世の美女を誇る自分でも、それでは勝ち目がない。しかしなるほど、それで女を感じない面子ばかりが揃ったのだろうか。
「……そうか」
気持ちを決めるのに時間がかかったようだが、ユリウス王子は最後には笑った。笑って親友の肩を叩いた。
「……そうか」
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