第19話
ロレンスとしては迷っていた。
そもそも16歳で結婚相手を決めろというのはいかがか。
国王も王妃も若く健康で、そこまで後継ぎ問題に危機感があるわけでもない。
ユリウスはまだ子供ではないか。
勉強だけではなく、情緒もままならない子供が、相手を選んで結婚するとは……。
ましてやお妃候補があのメンツだ。現在の王妃のような出来た女性ならばまだしも。八方ふさがりである。
「お妃候補予想の賭けの件、セイリーンが急上昇してるって」
食堂の隅の壁に黒板があり、賭けの元締めの職員がオッズを書きなおして行った。あれは一体なんなのだろうと思っていたが、エセルがそう言ったので合点がいった。
「……まだそんなことやっていたんですか」
ロレンスは呆れたが、城内では王子の誕生パーティーから3週間たってもお妃候補の話題で浮ついたままだった。
「まだ結果が出てないんだから賭けも終わらないよ」
王族に私的に仕える使用人と、城内の職員はそもそも採用条件からして別物だったが、お妃候補の噂話はそれらの垣根を超えていて、賭けにも区別なく参加していた。
「まあセイリーンの実物は美人だからな、見たら騙されるよな」と納得している。
「その言い方もどうかと思いますが」
「ロレンスは、アリス姫の家庭教師の先生に会うの?」
「ええ。図書館にも来ますので」
カレンの話題の時、やたらと教え子やお妃候補たちにニヤニヤとされているが無視する。
「あの人も綺麗だよね。最近、ロレンスと一緒にいるの誰って聞かれる」
確かにカレンは綺麗な人だ。彼女と一緒にいるのは、今後の指導のためだが、まだ発表が出来ないので、現状では無言で通すしかないのだ。
「ねえロレンス先生」
エセルが周囲に誰もいないことを確認してから、思いつめた表情で尋ねた。
「先生は、国外で学んでいたんだよね」
「子供の頃です。父が留学したのでそれについて行って」
「やっぱ大変なの? 生活とか習慣とか」
「何かあったのですか?」
エセルはぽつり、ぽつりと話しはじめた。またユリウスにも言っていないことだ、と前置きをして。
一人ずつ時間を指定して王宮に呼び出され、通されたのは先日お茶会出来た時よりもこじんまりとした応接室だった。人数の少ない場合に使う部屋らしい。先にソファに座っていると、ユリウスが現れた。
「やあアリス」
「ごきげんよう。ユリウスさま」
立ち上がり、膝を曲げてきちんと礼をして見せると、ユリウス王子はほっとしたように微笑んだ。
「こんにちは。元気そうだね」
敢えて口にはされないが、やはり子供だという言葉が隠されている。打ち解けた表情には女性と接しているという緊張もない。遊び友達といる程度の意識しかおありではないのだろう。
王子はアリスの正面に座ると、向き直って言った。
「話があるんだ」
けれども王子の真摯な眼差しに見つめられてもアリスは何も期待しなかった。
会うことも叶わず、離れていてひたすらユリウス王子のそばにあがれる日を夢見ていた時とは状況は違う。本人の眼を見、直に声を聞いている以上、相手の言葉や視線に恋の証があると錯覚することはできなかった。
はいと返事をした時には、アリスはうっすらと意識していた。王子の言葉や視線には小さなとげがある。本人は意識していないだろうが、アリスの気持ちを知った上でからかうような、無視してのけるような、無邪気な冷たさがある。これだけの年齢の隔たりがある。結婚を考えられないのも無理からぬ話で、アリスを傷つけないように扱われるのが精一杯のやさしさなのだろう。
「……相談なんだけど」
「よろしゅうございます」
ユリウス王子は怪訝そうに顔をあげ、初めて真剣な面持ちでアリスを見つめた。
「悩みの解決なら、ロレンス師やエセルバートさまがおいででしょう? 私ごときに相談だなんて。何か命令があるのでしょう?」
「驚いたな。随分しっかりとした話し方をする。とても十歳とは思えないよ」
「ユリウスさまのお言いつけならなんでも、私は従うつもりです」
アリスはユリウス王子の言わんとしていることを薄々感じていた。
全くの推測でしかないが、おそらくはアリスを妃に定めようという気持ちでいるのだろう。
アリスは王子の表面しか知らない。華やかで凛々しく礼儀正しい、そんなうわべの姿しか見せては貰っていない。
何故だかユリウス王子のアリスを値踏みするような視線を見ていると、何を考えたのか手に取るように理解が出来た。
アリスを妃にする。だが契約を結んだ上での、仮初めの婚約ということにして。アリスがまだ幼いが故に、成婚は叶わない。執行猶予期間をおくことができる。その間に婚約者として相応しい扱いをするし、ゆくゆくは妃にするつもりではある。だがまだ数年の可能性を残しておきたいのだ。
「でも……その話を聞く前に、今一度考え直して頂けませんか?」
王子がどうしてもその気になれないのなら、それはアリスやセイリーンやクインティアたちの責任でもある。その償いをするのに不満はない。
「人生をかけて来ている人もいるんです」
「アリスはセイリーンを推薦するんだね」
興味深そうにユリウス王子は言ったが、そんなつもりはなかった。今でこそ一目置く気にもなったが、それでもセイリーンに王妃の器があるとは評価できない。
アリスは穏やかな表情を変えるほどではなかったが、王子の不誠実さに憤りをおぼえた。セイリーンは本気だ。打算から出た行動でもあるが、自分の出した結論に迷いもない。
王子にあからさまな幻滅をおぼえたわけではない。覚悟はしていた。むしろこのことで安堵した。夢と現実の違いを知ることができて、ようやくユリウスに近づけたような気がした。
「アリス」
無言のアリスをなだめるようにユリウスは声をかけた。しだいに首は傾き、視線を背けたのは幼い少女故の癇癪だと思われたらしい。
「何が不満なの? 私は君を妃にしようと思っているのに。君はそのためにここにいるのだろう?」
「……ありがとうございます、ユリウスさま。私は殿下のご意志に従います」
アリスは自分でも驚くほどの大声をあげていた。まるで怒っていると受け取られてしまうような厳しい声だった。
「何故? 何が気に障るの?」
「……女はみな、本気です。結婚が人生を決めるから。自分を大切にしてくれる人のもとに嫁ぎたいから。ユリウスさまは本気で仰って下さっていますの?」
ユリウス王子は困ったように口を開いたが、何も言葉を発しなかった。怒ったのか呆れられたのか。
「私、これで失礼しますね」
アリスは自分から話を切り上げると、扉に足を向けた。
「……アリス」
「ユリウスさまのご意志は、皆と共に伺いたいと思います。ユリウスさまの思うとおりになさって下さいませ。アリスはユリウスさまのお言葉に従います」
もはや幻想はなかった。
甘い言葉も熱い眼差しも。男に道化を演じよと求めるつもりはない。
だが、アリスには王子のなげやりな生き方が悲しかった。
何もかもがめんどくさい。さっさと終わればいいのに。
目の前にユリウス王子がいたが、クイントゥスは全く別のことを考えていた。お互いを知るために話をしようと言うことになっているが、こちらから特に言うことはなかった。
もう何も信じられないと思った。人間の心は、確かに複雑にして多様なのだろうが。裏切られた気分だった。いや違う。捨てられたような気がするのだ。
一体、なんなんだ。どうせ女ってやつは、結局男にチヤホヤされる方を選ぶんじゃないか。とカレンの近況を思うと腹が立ってくる。
「ええと、クインティア」
「はい」
「実家に戻りたいということだけど。やはり家族が恋しいのかな」
「え、はい。そうですね」
別居していた父には会いたいが。母は今一緒にいるからそうでもない。
「ロレンスが言ってたのだが。君はルキウスの姪だそうだね」
「はい」
「父方の。ルキウスの兄弟?」
そうきたか。詳しく調べると、該当する人物が誰かがわかりにくいのだ。
「……ルキウス……おじ様の父……私の祖父の先妻の息子の娘なんです。祖父の連子は何人もいて、その長女は皆クインティアなんです」
敢えてややこしい言い方をする。
「普段の住まいは? 」
「国外におります。祖父の最初の妻は、西アンドリン出身で、そちらの親族に面倒を見てもらっています」
「えーと。調べたところ、病弱で療養中……?」
「はい」
沈黙がおりた。宮殿の2階バルコニーから飛び降りたり、スコップだの薪割り斧だの、剣だの振り回していた女のどこが一体病弱だというのだ。
「で、殿下の誕生パーティーは、一生に一度のことなので、そこに照準を合わせて無理やり出てきたのですが、さすがにちょっと無理がたたったようで……」
嘘ではない。西アンドリンには従妹がいる。書類上は伯父の自宅に住んでいることになっているため、彼の住居宛てに招待状が来る。親族に頼んで、城に入るために、その娘の招待状を貰ってきたのだ。
「では、クインティアは西アンドリンに戻るのか?」
ユリウス王子はクイントゥスの手首をつかんだ。失礼だが意外にも素早い動きでクイントゥスが逃げようとするのを封じてしまった。
「……殿下?」
「個人的に話がしたかった。ろくに知る時間もなく、決めるのは失礼だから」
き、決めるって?
一瞬クイントゥスは混乱した。
まさか。自分を妃にするとか、言わないだろうな。
「……クインティア」
王子は太いクイントゥスの腕を握りながら、熱心に見つめてくる。いくらにぶいにしても、背丈も体つきも女とは違う。不審に思わないのだろうか。
まさか。男とわかっていて?
「……!!」
その考えが頭に浮かんだ瞬間、身体中に衝撃が走った。クイントゥスは即座に王子を振り払った。乱暴な扱いだったのでよろけさせてしまったが、まだ近づこうとするなら反撃の用意があった。王家をたばかる恐れ以前に、自分の理性が許さない。
呆然とたたずむユリウス王子との間合いをはかりながら、クイントゥスは少しずつ後ずさった。
「き、気分が優れないので失礼いたします!!」
本当に西アンドリンに逃げなければならなくなった、かもしれない。
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