第18話

「お妃は、いつ頃決まるんでしょうか」

 勉強後のお茶の時に、イザベラがふと尋ねた。お妃候補たちやカレン含め衣食住に慣れ、生活のパターンが出来て落ち着いた頃だが、生殺しの期間が短いに越したことはない。

「それは殿下次第なのです」

 現在お妃候補たちにとって唯一の窓口になっているロレンス師が答える。

「決める気はあるんですか」

 クイントゥスの直球に、ロレンスは言いづらそうに「皆さまのことは、日々気にかけてはいらっしゃいます」と答えを避けた。

「長くなるようでしたら、いったん家に帰りたいのですが」

 ちら、とイザベラがクイントゥスを睨んだ。息子は戻ってこないつもりであるのだ。確かに窮屈で、そろそろ限界だろう。

「……そうですねえ。ご実家も心配されていることでしょうし」

 ロレンスも意味ありげにクイントゥスを眺めている。素性について不信感を抱いているのは間違いない。

「殿下には相談してみます」

「あたしは帰らないので、ここに残ってても大丈夫?」とセイリーンが言うのに対し、「あ、あたくしも残ります」とカレンも同調した。「図書館?」「ええ」

 それだけではないだろう、と娘たちはロレンスとカレンを見比べている。

「私はお屋敷に戻ります……ただその前にユリウス様にお会いしたいです」

 アリスの言葉に「そうですよね。お伝えします」とロレンスは答えた。

 王子には全くやる気が見えないが。いつまでもこのままでいいわけではない。

 


 ロレンスとしては迷っていた。

 そもそも16歳で結婚相手を決めろというのはいかがか。

 国王も王妃も若く健康で、そこまで後継ぎ問題に危機感があるわけでもない。

 まだ判断力もない子供ではないか。

 勉強だけではなく、情緒もままならない子供が、相手を選んで結婚するとは……。

ましてやお妃候補があのメンツだ。現在の王妃のような出来た女性ならばまだしも。八方ふさがりである。

「お妃候補予想の賭けの件、セイリーンが急上昇してるって」

 食堂の隅の壁に黒板があり、賭けの元締めの職員がオッズを書きなおして行った。あれはなんなのだろうと思っていたが、エセルがそうに言ったので合点がいった。

「……まだそんなことやっていたんですか」

 ロレンスは呆れたが、城内では王子の誕生パーティーから3週間たってもお妃候補の話題で浮ついたままだった。

「まだ結果が出てないんだから賭けも終わらないよ」

 王族に私的に仕える使用人と、城内の職員はそもそも採用条件からして別物だったが、お妃候補の噂話はそれらの垣根を超えていて、賭けにも区別なく参加していた。

「まあセイリーンの実物は美人だからな、見たら騙されるよな」と納得している。

「その言い方もどうかと思いますが」

「ロレンスは、アリス姫の家庭教師の先生に会うの?」

「ええ。図書館にも来ますので」

 カレンの話題の時、教え子やお妃候補たちにニヤニヤとされているが無視する。

「あの人も綺麗だよね。最近、ロレンスと一緒にいるの誰って聞かれる」

「そればかりですね……」

 他に話題はないのか、と呆れる。最近は国王や王妃にまでその話が耳に届ているらしい。

「ねえロレンス先生」

 エセルが周囲に誰もいないことを確認してから、思いつめた表情で尋ねた。

「先生は、国外で学んでいたんだよね」

「子供の頃です。父が留学したので家族でそれについて行きました」

「やっぱ大変?」

「何かあったのですか?」

 エセルはぽつり、ぽつりと話しはじめた。またユリウスにも言っていないことだ、と前置きをして。





 翌日にはユリウスから、それぞれ面談をする時間をもうけて指定するとの返事があった。ロレンスがそれを伝えると、それぞれ緊張した反応はあった。

 が、それ以外のことで、お妃候補たちの風当たりは少々厳しい状況にあった。

「だいたいあんたが不甲斐ないからいけないのよ!!」とセイリーンが怒っている。アリスは無気力な様子で、表情を変えることがない。

 たまたまこの日はカレンが王城に呼ばれて授業に付き添うことはなかったために、かばう人物もなく直接攻撃を受けるはめになってしまった。


 カレンが、あのガブリイルという男と会っている。カレン本人は「手も握らせませんわ」と笑っているそうだが、それをロレンスが黙認して放置している、ということが彼女たちには許せないのだそうだ。

 大きく深呼吸する。何日も考えあぐねた結論だった。努めて穏やかにロレンスは言った。

「皆さんの勘違いを訂正させて頂けますか?」

「何よ。言い訳?」

「わたくしは一度もカレン殿に異性としての好意を寄せていると言った覚えはありませんが」

「はん。言わなけりゃチャラってのは、卑怯ですわね」

「敬意は抱いていますが、彼女を恋愛の対象としては見ていません」

 言葉を選ぶようにゆっくりと繰り返す。簡潔な表現をするしかなかった。

 その場にない女性を評価するのは本来不本意ではあるが、ここまではき違えも甚だしいと訂正する必要がある。

「確かに彼女は綺麗な人です。そして若くして聡明です。ですが。お互いの教え子への教育方針が根底から相いれないのですから、人生観が異なるんです」

「わかるようなわからないような」

 とセイリーンが呟いている。

「そういう対象ではないだけで、同僚として好意や敬意はありますよ」

 けして貶めるつもりはないのだ、とロレンスは付け加えた。 

「で? さっきカレンのことを同僚っておっしゃりませんでしたか?」

 アリスが尋ねた。

「ええ。先日彼女に話して、今日呼ばれているのはそのことなんです」





 カレンには、ロレンスから事前に具申があった。彼の父親の推薦で、王室の学問研究所の研究員にならないかとの勧めだった。女が推薦されるのは国始まって以来とのことで、非常に名誉なことであるらしい。

「素敵じゃない!」

 戻ってきたカレン本人からそれを告げられたセイリーンは、無条件に喜んで言った。

「それってカレンの好きなことしてお金貰えるってことなんでしょう?」

 女の仕事は糸紡ぎや刺繍のように、家にこもることが大前提だったので、男と対等に城に勤務する仕事は極めて珍しかった。

「そうですね。研究者たちも一流ですし、環境も申し分ないし」

「わたし、反対だわ」

 アリスがひとこと言った。カレンの顔を見ないのは、機嫌が悪い証拠だった。

「カレンに城は似合わないしね」

 クインティアもぼそりと理由を言った。

「なんでよ。認められたのよ。すごいことなのよ。なんで二人とも素直に喜ばないの?」

「私も意見を言わせて貰えば反対だね」

 セイリーンのなだめを削ぐように、イサベラも言った。他の二人のように感情から出た言葉ではないのでカレンには気にかかった。

「ま、最終的に決めるのはあなただけれど」

「理由をお聞かせいただけますか」

「環境が悪いわよ」

「なぜ?」

「ここにはあの男がいるから」

 アリスもクインティアも念頭にそれがあったのだろう。イサベラの言葉に意を得たりとばかりに軽く頷いた。セイリーンも思い当たったのかはっとなって黙ってしまった。

「いけませんか」

「あなたは今、のぼせあがっているからね」

 他人から見ると今の自分はさぞや無様なのだろう。生まれて初めて女として浮ついて、有頂天になっている。確かにそうだ。今までの自分だったらそんな女、世界で一番軽蔑していたことだろう。

「わかっているでしょう? あなたの人生には必要ない男だって」

 クインティアが「そこまで言うか」と呟いている。

 わかっている。自分を待っていた男に、自分から近づいた時から。自分を目で追うあの男の表情を見た時から。けれど結果を知りながらも敢えて近づいた。

「あんなことで世界の半分、男性を軽蔑したくないんです。だからあの人と話をしようと思ったんです。それだけです」

 今までカレンは万人に通用する真理を求めてきた。だが今は自分だけの答えを手に入れたいと思う。

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