第17話
その後もロレンスによる授業は行われていたが、生徒との関係はぎくしゃくとしたものだった。それでも屋敷に入れてもらえるだけマシで、カレンの方が空気を悪くして申し訳ないと謝るのだが、それに対してはロレンスは一貫して「彼女たちが気分を害したのはもっともですから」と答えたので、多少セイリーンの気分は晴れた。
「どうしても、彼がカレンに直接謝りたいというので」
そんなある日、ロレンス師が女性たちの住む屋敷に男を連れてきた。
「なんでわざわざここ?」
とセイリーンが尋ねる。
「彼にとって、極めて居心地が悪いからです」
セイリーンがガンを飛ばし、クインティアが剣に手をかけ、アリスが怯えてイザベラのスカートにしがみついている。
ロレンス師はガブリイルに、とてもとても怒っていた。女性に対しての不埒な行動は言うまでもなく、王子の教育係の一人でありながら、王子に恥をかかせるような真似をしたことに対しても。
「カレンのみならず、あなた方にも大変な不快な思いをさせましたし、二人きりにしてふざけた雰囲気で一応『謝罪はした』という形にされるくらいなら、あなた方に立ち会っていただいた方が良いでしょう」
「それ王子も知ってるの?」
クインティアは「本人たちで話せばいいのに、巻き込まれたくはないんだけど」と迷惑げだった。
「あの後、殿下は生まれて初めて臣下を叱責されまして。『失望した』と。本人はそれが随分こたえてはいますが、表立った処罰はされていません」
ロレンスは懲罰の一環としてユリウス王子とカレンの同意を取り付けたうえで、ガブリイルを連れ立ってきたのだ。
「許されるんだ」と呆れているセイリーンに「すまなかった」とガブリイルが答えた。ずいぶん静かで、先日とは態度が違って驚いた。武人の正装をしていて真面目に見えないこともなかった。
セイリーンはあっさり「まあ、反省してるんならいいよ」と答えた。「あなた、男を簡単に許すのね」とイザベラが言うと「あたしの不快感に対してはね。ただ問題はカレン本人だから」とカレンを振り返った。
「あたしたちはもういいよね、この人はカレンには直接謝りたいだろうから」とセイリーンは居間からアリスたちを連れ出そうとした。
「クインティアは残って下さい」とロレンスがとどめた。
「なんで」とクインティアが立ち止まる。
「ガブリイルの隣に座っていただけますか。私では何かあった時に動けませんから」
「そんなに信用ないんですかこの人」
実はロレンスは、このクインティアの素性が気にかかっている。
財務官ルキウスの親族とのことだが、彼の一族にはこの名前の少女が複数いて、正しい続柄がわからないのだ。ルキウス本人に聞くと「私の姪にあたります」との説明だったが、その該当する少女について調べると、王子の誕生パーティーには出られないのでは、と考えられた。そもそも何年も前から実家を離れて国外で療養していたのだ。他にも同じ名の姪がいるそうなので、そちらかもしれないが。
クインティアの顔を見すぎたせいか、「なに」と睨まれた。
女たちの好意的ではない扱いを含めて、ロレンス師はガブリイルをここに連れてきたのだろう。この人は怒らせるとめんどくさい人だ、とクイントゥスは思った。
居間にテーブルを挟んで、カレンとロレンス師が横に並び、カレンの正面がガブリイル、その横にクイントゥスが座った。クイントゥスだけが帯刀している。
ずっと黙っていたカレンが小さなため息をついた。ロレンス師がそれを見て「不快でしょう。すみません」と声をかける。本音はどうであれ、カレンが「許す」ということになっているからだ。
「カレン」
あの時はカレンは名乗らなかったし紹介されたこともなかったため、ガブリイルがカレンの名を呼ぶのは初めてだった。
「怖い思いをさせて申し訳なかった」
こうして真面目そうにしていれば、腹は立たない。ただロレンス師もそうだろうが、普段の不真面目で「やめろ」と制止した時でも図に乗る態度を知っているから、信用できないのだ。
カレンは俯いたまま「はい」と答える。申し訳なかった、反省している、許して欲しいと言われたら、「わかりました」という流れだ。
「自分のいつもの調子で声をかけて、怒らせるつもりではなかったのに、まずいと思っても、取り返しがつかなくなってしまっていた」
カレンは、この男のこれまでの行動範囲にはいなかったタイプの女なのかもしれない。通常は女性が拒絶するにしてももっと穏やかだろう。過剰反応をされて収集がつかなくなったのだ。クイントゥスの乱入を含め。
「ただ、俺があなたに一目ぼれしたというのは本当だ」
「は?」とロレンス師が目をむいた。
「その後の行動が、悪かった。俺がいつもの調子だったので、全然信じてはもらえないと思うが」
「ガブリイル!」
「つきあって欲しい」
ばん、とロレンス師がテーブルに手をついて立ち上がった。
「クインティア、刺していいです!」
誰が刺すか。
カレンは茫然としている。
「……え?」
「信じてもらえないかもしれないが本当に、会った時に目を奪われた」
これ、僕は聞いていなきゃいけないのか?
クイントゥスはため息をついた。
案の定、青ざめたカレンは
「一目ぼれだから何? それで女が男に好かれて、大喜びするとでも!?」
と、王家のしきたり、王子の誕生日のパーティーの存在を、根底からひっくり返す問題発言をした。
ロレンス師がカンカンに怒り、クイントゥスが「部屋に戻っていいですか」と言うそばで、ガブリイルの口説きは続いている。
「顔が気に入った、というのが気に食わなかったならすまないが、俺は本気だ」
「ではあたくしは、本気であなたの顔が気に入らないので、といって断ってもよろしいのですね」
平行線だった。
「どうしたら俺を受け入れてくれるか、条件を出して欲しい」
「ありませんわ」
「会いに来てそのたびに謝ればいいのか、髪や身なりか、言葉遣いか。頭の中身は早々に良くはならないが」
「ではその『改心して、相手の好みになればいい』という考え方を改めてください」
テーブル越しにカレンに手を伸ばそうとしたガブリイルだったが、クイントゥスはその足を踏みつけた。剣を使うまでもないし、なんだかバカバカしかったからだ。
「失礼させていただく」とロレンスが怒りながらガブリイルを連れ出そうとする。
「謝罪だというから特別に殿下から、ここに来る許可をいただいたのに!」
居間の扉の前に人の気配があり、セイリーンやアリスが中の様子を聞いているのはわかった。たぶん爆笑している。「結局、最終的にはあいつを許すんだ」とセイリーンは呆れていたが、カレンがガブリイルを全く相手にせずフッたことに、溜飲を下げていることだろう。
「申し訳ありません。今回のことは、完全にわたくしの予想が外れました。こんなことになるとは」
屋敷の外に追い出してからロレンスが玄関口でカレンに頭を下げていた。
「いいえ。たいしたことはなかったのですから」
カレンが微笑むとロレンス師は救われたような表情をした。
「あの、それで……話は変わりますが、別件でお話が」
「お。プロポーズかしら」
部屋に戻ろうとするクインティアとのすれ違いざまに、セイリーンがずばりと言った。
「とっととくっついてくれた方が、こんな面倒なくていいわよねえ」
あの朴念仁も今回のことでやっと自分の気持ちに気づいたのだろうか。情けない。他の男にとられるという危機に面さないかぎり、カレンを好きだという気持ちを認めないのだから。
「ロレンス師はちょっと頼りないけど。いいわよね、クインティア」
アリスが尋ねると
「そーだね」
クインティアは興味がないわけではないのだろうが、どうでも良さそうに答えた。アリスはセイリーンと顔を見合わせた。こっちも負けないくらいに恋色沙汰に疎い。だがクインティアも四つ下のハンデは承知しているだろうし、さほどカレンに執着はなさそうだ。それにカレンはクインティアのことを女だと思っているから、そもそも勝負にならない。
「そ、それじゃこの後、城の方に来ていただけますか?」
アリスたちの会話が丸聞こえだったのか、ロレンスが咳払いをしてからわざと大きな声で言った。
「センセイがんばれー」
セイリーンが口笛を吹き、歓声を送った。
二人を見送ったアリスが振り返ると、クインティアは階段を昇って行くところだった。
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