第16話
クイントゥスは斧を振りかぶっていた。相手は長剣を下げていたが、鞘を払うそぶりも見せない。微笑んだまま、興味深そうにクイントゥスを見ている。それが更にクイントゥスの癇に触った。
「……きさま!!」
「ちょっ……クインティア、やめて下さい」
ロレンスが悲鳴をあげている。
「御前です。控えなさい」
ロレンスが王子を庇う位置に立ち、クイントゥスを叱責した。
「ガブリイル。謝ってください。そうすればおさまります」
ガブリイルと呼ばれた男は、不遜にもクイントゥスを笑いながら眺めたまま、動かなかった。見事な武人の身体で、いくつもの戦いに勝利してきた男の貫祿が漲っている。クイントゥスのような未熟者の挑戦は、幼児に突っ込かかられるように微笑ましいものだったのだろう。
こんな男だったのかと見てあらためて思う。滲み出るふざけた雰囲気が、この男だと示している。
「はは。果して本当におさまるものかね」とロレンスに答えている。
無論クイントゥスにはそのつもりはなかった。一太刀交え、傷でも負わせてやらねば気が済まない。
「クインティア。この男は国でも五指に入る剣豪なんです」
少しは恐れ入るかと思ったのか、そんなことを言ってロレンスは必死で説得を試みる。
「これは授業です。ロレンス師。そのために彼を連れて来たんでしょ」
ロレンスは万一違った場合を考え、カレンに顔を見せて確かめるために授業だという口実をもうけたのだろうが、クイントゥスはそれを利用した。
「勝負をさせてください」
「……殿下、どうか」
これまでかとロレンスが振り返って王子に懇願したが、
「これを使いなさい」
それまでどちらに同意するでなく黙って見ていたユリウス王子が、突然自分の剣を外してクイントゥスに差し出した。王子のものだけあって品の良い、立派なつくりのものだった。
「そんな薪割り斧では不利だろう」
「殿下!?」
ロレンスが悲鳴をあげた。王子の妃候補のために二人の決闘を制止していたのに、裏切られた気分になったのだろう。
「光栄に存じます」
クイントゥスは両手で捧げるようにして王子の剣を受け取った。
「お許しが出たので、やりますか」
ガブリイルは重たげな剣を抜くと、クイントゥス目掛けて構えた。さり気ない動作だったが、隙もなく美しい構えだった。
「クインティア!?」
玄関から飛び出してきたカレンが、クイントゥスとガブリイルの間に入った。
「何をするの」
「どいて。今度こそやっつけてやるから」
クイントゥスはやや乱暴にカレンを押しやると、再びガブリイルに向けて剣を構えた。
「……あなた」
カレンが絶句してガブリイルを見ると、彼は愛嬌たっぷりに片目をつぶって見せた。
「これはこれは。昨日は残念なことでした。またいずれお相手願えますかな」
「……」
カレンは青ざめたままクイントゥスの背後に隠れるようにあとじさった。絶句してそのまま立ちすくんでいる。
「離れてて」
クイントゥスは反射的にガブリイルを斬りつけていた。
許さない。絶対こんなやつは許さない。カレンにこんな振る舞いをして、反省の色も見せない男なんて。
刃が重なる音がした。クイントゥスは軽く押しやられていた。受けたガブリイルの顔は相変わらず緊張感に欠けている。
「まだまだ。もっと踏み込んでいらっしゃい」
本当に授業でもしているつもりなのか、からかうようにそんな批評をしながら剣の素振りをしてみせる。クイントゥスは剣を持ち直すと、奇声をあげながらガブリイルに突進し、相手が受け止めるのに精一杯なほど続けざまに剣を激しく繰り出した。
「そう……もっと、相手をよく見て」
ガブリイルはひょぃひょいとクイントゥスが斬りつけるのをかわしてゆく。一見逃げているようにも見えたがその実、どこまでも見切られていることは、クイントゥスが一番よくわかっていた。その証拠にどんな隙を見せて誘ってみても、一度も剣を自分からは振るっては来ない。
「……このっ……!!」
次こそと構え攻撃しても、ガブリイルに軽くあしらわれている自分にあせりを感じはじめた。スカートの裾がまとわりつくのがもどかしい。
「……てやあああああっ!!」
せめてこいつの目の色だけでも変えさせなければ。本気で打ち返させるような突きを繰り出さねば。
ふりかぶった剣はやすやすと受け止められ、逆に捩じるようにして振り払われた。やはり実力の差がありすぎる。
「クインティア!!」
カレンが叫ぶのが耳に入った。ガブリイルはふいにカレンの方を見て笑った。そんな余裕さえあるのに怒りをおぼえた。
「いけ! クインティア! あたしが許す!」
セイリーンだろう。ちらりと視線を走らせると握り拳を固めて怒鳴る彼女の姿が視界に入る。そうとも。退くわけにはゆかない。丈の長いスカートが邪魔だったのが縫い目が裂ける音がした。
「そんなサイテー男はてってーてきに叩きのめしなさい!」
「セイリーン、なんてことを」カレンが振り返ってセイリーンを諭す。
「やれーっクインティア!」
威勢のいい叫び声に背中を押されるようにして、クイントゥスは一歩踏み出した。先程よりももっと深く踏み込めるようになった。受けたガブリイルは一瞬だけ、おやという顔つきをした。
「うおおおっ!」
奇声をあげながら、クイントゥスは切りかかった。一太刀でも与えてやる。
わずかだがガブリイルの腕をかすり、布地が裂けた。引っ掛かったと言うほうが正しいかも知れない。
更に追い詰める。逃げの一手のままガブリイルは動き回った。相変わらず正確に剣を払い続けたが、余裕が失われつつあった。クイントゥスの剣を勢いよく振り払うと、体勢を整えるために大きく退こうとした。
「……っ」
ふいにガブリイルはしまったという表情を浮かべた。王子を背後にしたのが気になったらしい。クイントゥスが間違いでも王子に剣を向けることになっては。踏みとどまったために不利な姿勢になってしまった。
「ちっ!」
初めてガブリイルが真顔になった。
「……ああもう、こざかしい!」
その言葉を終えないうちに、ガブリイルは剣を持ったまま体当たりしてきた。衝撃でクイントゥスの持っていた剣はうち落とされ、後ろに尻餅をついた。頭がくらくらしていたが、手をついて素早く立ち上がろうとした。
その喉元には剣先があった。立てば喉に当たる。
「……」
「また出直しておいで」
勝敗は決まった。笑いながらガブリイルは言って剣を収め、屈んで手を差し出した。
クイントゥスはさっさと立ち上がると、ガブリイルの足を踏みつけた。全然びくともしなかった。
「……本当に、女の服を着せておくのはもったいない奴だな」
ガブリイルはロレンスに向かって苦笑いをした。むかむかするような薄笑いだ。
ガブリイルは一礼すると、王子の背後に下がってしまった。王子もうなずいている。もう手が出せないとさとるしかなかった。
「よくやったよ、うん。最後、足踏んだのは良かった! わかる!」
セイリーンがいつの間にか横にいて、クイントゥスの肩を叩いた。彼女の眼も悔しさに涙に濡れている。
「よくやったよ」
セイリーンは握手を求めてきた。なんだかわからないが握り返す。
「これで気がすんだか?」
王子はクイントゥスに歩み寄って言った。
「……無様なところをお見せしました」
袖であふれ出た眼をぬぐうと、クイントゥスは答えた。負けだ。認めなければならない。
「あれに勝たれてしまったら、私が困る。皆もこれで機嫌を直してくれないか」
カレンがはい、と言ってしまったのでクイントゥスも従うしかなかった。負けは負けで、しかも自分は当事者ではないのだから、これ以上の勝手は出来なかった。黙ってガブリイルが王城へ戻るのを見送るしかなかった。
アリスはクイントゥスに近寄ると泣きそうな顔で「カレンのためにありがとう」と言った。「あなた、いい人だわ」と一言付け加える。
カレンは座り込んだクイントゥスの顔を見るなり、「なんてことをするの」と呟いた。怒ったような、泣きだしそうな表情をしてクイントゥスを見つめている。
「あいつが気に入らなかっただけだ。あんたとは関係ない」
そう。他の少女たちが同じ目にあってもこうしただろうし、気に入らなければ王子にだって斬りかかっていただろうから、カレンには関係がない。あの男が悪いのだ。
「……ありがとう。大好きよ」
カレンはクイントゥスを抱きしめた。授業を始めるというロレンスの後を追って駆けてゆく。
クイントゥスは立っていた。
自分は彼女にとって女でしかない。
それでいいと思った。
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