第21話
ロレンス師は授業を終えての帰り際、皆を見渡してから「明日、殿下から皆様に発表があります」と言った。
「 妃を決定されるそうです」
一瞬ははっとなった。とうとうこの日が来たのだ。王子の誕生パーティーの後から共同生活を始めて以来、ひと月。王子がなんらかの決を下したのだ。
この間に何度ユリウス王子と直に会って話したことだろう。王子は女たちの何を見て誰と決めたのだろう。誰もがユリウス王子に手応えを感じたわけではなかった。
セイリーンお手製の果物を入ったパイを運び、お茶を入れると居間に集まると自然としんみりとなった。
「明日決まるのね」
アリスは呟いた。この日常が終わりを告げるのだ。何故か寂しさを感じる。生家に比べたら不自由は多々あったけれど、ここでの生活も嫌ではなかった。貴重な体験だったと思う。彼女たちに二度と会えない可能性があると思うと、自然と表情が暗くなってしまった。
「セイリーン。まだ妃に選ばれるのは絶対自分だって思ってる?」
セイリーンはにやっと笑うと、無言でうなずいてみせた。まったく、と思う。最初から最後まで思い込みの激しい女だ。自分を絶対だと思い込んでいる。現実に直面すれば少しはぐらつくかと期待していたのに、微塵も変わることがなかった。
「……そう。もしあなたが選ばれたらね」
おそらくユリウス王子が自分を指名することはない。怒らせるような振る舞いをしたのだから。美人で年も釣り合って気立てもそこそこの、セイリーンを指名するのが妥当なところだろう。クインティアは……あり得ないだろうが。
「ううん。他の二人のうち、どちらかが選ばれたら、結婚パーティーの後に、一度だけユリウスさまと踊らせてね」
クインティアはカップに口をつけていた顔をあげると、不敵な笑顔で「どうぞどうぞ」と言った。全く自分が選ばれることを想定していないのだろう。それはアリスの切実な願いでもある。クインティアに負けることだけは考えたくはない。
「……ありがとう」
感傷的になっていたのはアリスくらいだったのか、セイリーンはいよいよ自分の世の中になるとばかりに晴々としていたし、クインティアも開放の日も近いと満足げな顔をしている。カレンには城での新しい生活が待っている。イサベラは……どうだろう。なにか収穫があったのだろうか。ここでの生活は悪くはなかった。アリスの一生の宝になるだろう。
発表の当日はユリウス王子だけではなく王妃もやって来ていた。
ロレンス師も発表内容に関しては知らされていないのか、緊張した面持ちで教え子を見つめている。
その日は朝からセイリーンもアリスも言葉数が少なかった。アリスなどは明らかに寝不足で辛そうだった。せっかく妃が発表される場所が城のはずれの小さな館というのは、お粗末な感じがしたが、あくまでも内輪のことでこのあと大々的に発表になるのだろうから、この程度でいいのだろう。
挨拶を交わすと同時に、ユリウス王子は本題を切り出した。さあ来るぞと構える余裕もないほどだった。
「勿体ぶっても仕方のないことだから単刀直入に言う。アリス、セイリーン、クインティア。そなたたちは私の妃になる気があるか? 皆、一緒に」
王子が何を言っているのかわからなかった。アリスが口を押さえてカレンの方を見た。セイリーンも目を見張って王子を見ている。ぴんとこないらしい。
まさか。クイントゥスは呆然とした。この王子は結局、自分の妃を決めることができなかったのだ!
「で、殿下!?」
ロレンスが驚愕し声をうわずらせて教え子の腕に触れた。
「どういうことですか!? それは妃を三人定めるということですか!? そんな……前例にもないことを」
固い決意を伺わせる表情で即座に言い返したところを見ると、王子は反論の言葉はあらかじめ用意していたようだ。
「事実上、何人もの女と『結婚した』王は何人もいたではないか。正妃以外の女から生まれた王子が位についたこともある。だったら同じことだ。女たちを同列に並べてどこが悪い」
「戯れ言をおっしゃりますな! ご自分のお立場を考えなさい!」
ロレンス師は食い下がる。これまで王子にそんな教育をしてきたつもりはない。教え子を叱りつけた。
「複数の妃を並立すれば、宮廷が混乱いたします!」
「貴族の都合なんて知らない。自分の気持ちを素直に表しただけだ」
つまり、とクイントゥスは思った。どの女も王子にとっては大した存在にはなりえなかったのだ。この女に添い遂げてもらいたいと思えるような特出した存在がないだけのこと。
「殿下。もう少しお考えになられて」
王妃がおっとりと言った。王子の意図を理解したにしては呑気なものだ。ユリウス王子は母親の嘆願を無視した。
「申し訳ございません。私の出した結論です。そなたたち。返事を聞きたい。どうだろうか?」
きっとしたユリウス王子に見つめられたアリスは、ちらとクイントゥスやセイリーンの方を見てきた。混乱しているだろうという予想に反して、何故か瞳の中に安堵のような感情を認められた。
「アリスは殿下の仰せに従います」
優雅に膝を曲げ、頭をかがめて、アリスは言った。
「セイリーン、そなたは?」
「……はい。結構です。お妃になれるんでしたら」
セイリーンは多少不満はありそうだったが、やはり拒否はしなかった。わがままを言ってせっかくの話をぶち壊す気にはなれなかったのだろう。それに彼女には帰る場所はない。もはや王子の妃になる以外の未来は存在しないのだ。
「クインティアは?」
「御意のままに。いったん実家に帰るお暇をいただきさえすれば」
ユリウス王子の眼差しは、ある答えを求めていた。女たちにはわからなかっただろう。感情的にはこの馬鹿王子を怒鳴りつけてやりたいところだったが、クイントゥスは無難な答えをしておいた。ここを抜け出したら手当ての金だけ貰って、実家に戻ったとたんに病気が悪化して辞退したことにさせて貰うことにしよう。
「……そうか」
ユリウス王子は三人を眺めた。苦り切ったような憂い顔をしている。彼が女たちに求めたのはこの従順さではない。
ロレンスも王子の気持ちがわかっていたのか首をふってため息をついた。王子の期待に添える反応がなかったことが無念そうに目を閉じた。
「何も変わりそうにないじゃないね。あんたたちと寵を競うってのはなんだけど、ま、いいか」
セイリーンは拍子抜けして言った。もう少しドラマチックな展開を期待していたのだが、王子がああ言うのだったら逆らいようがない。自分だけじゃなきゃ嫌だの、甘ったれたことを言うつもりはない。時間がなかったのだ。もう少し知ってもらう機会があったなら絶対に自分を指名してくれただろう。三人が妃になったとしても、最終的に一番の寵妃になればいいのだ。その自信はある。
「ひどい後宮もあったものだわね。国中の女を集めて選んだにしては、あまりにもお粗末だわ」
イサベラが呆れたように首を振りながら言った。
「ふーんだ。国一番の女たちじゃないのよ、ねえ」
「国一番、行儀の悪い女たち、か?」
クインティアがぼそりと呟く。こいつに言われる筋はないと思う。
「あんたね。どーするのよ。みんな一緒に婚礼の式あげて、歳の順番で寝室連れ込まれたらあんたが最初でしょうが」
「それでも気づかないんじゃないの?」と適当にクイントゥスが答える。
「ひどいわねー。でもありえそう」
二人の話題にカレンとアリスはしぶい顔をしていたが、クインティアは何か策でもあるのか、随分とリラックスしていた。常にぶっきらぼうで別に気が合うというわけではなかったが、いい友達だと思う。女にしておくことは問題があるが、こんなお妃仲間がいてもいいなと思う。
セイリーンはカレンに聞かれないようにして小声で尋ねた。
「たぶん、もうあんたとは会えなくなるんでしょ?」
クインティアは、にやりと笑った。大声で笑うことはないが、近頃は自然に笑顔を見せるようになった。悪くない笑顔だ。
「まあね。次会う時には、別の恰好して城にあがることになると思うよ。その時にはどうかお引き立てを。お妃様」
軽く頭をさげてみせる。なるほど。クインティアも成人した暁には親戚だというルキウスにならって役人になるのだろう。あれだけの武術の腕と学識があれば王子の側近としての出世も間違いないが、きっと地道に真面目で勤勉な役人になることだろう。
「まかせといて!」
その時には王子はどんな反応をするだろうと想像すると面白かった。 やっぱり気づかないかも知れないが。
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