第11話

「なにやってんだよ」

 授業が終わるなり、クイントゥスは部屋を飛び出していた。イサベラの部屋で彼女を見つけると、即座に非難した。

「見ろ、王子にも全然相手にされてないじゃないか。やめろよ恥ずかしい」

「うるさいね」

 収穫なしだったのか、イサベラの方も不機嫌だった。当たり前だ、クイントゥスだって自分の母親と同い年の女に媚びられてもそれと気づくわけがないし、気味が悪いだけだ。

「でもお前もなんのかんの言ってあの子たちと張り合ってるじゃない」

「僕、父さんの子だから」

「確かに頭のいいところは父親譲りかもねえ」

「ねえ」

 クイントゥスは急に真面目になって尋ねた。

「ほんとに僕、女に見える? 一応髭はそってるけど。あの娘たちと比べたら背はあるし、ごついし。なんか、みんなわかってて黙っているのかなあ」

「自分より下がいる分には、他の二人は気にならないんじゃないかね」

 だがあのぼんくら王子だけでなく識者までいると言うのに、やはり先入観は恐ろしいというところか。

「ま、あんな小娘たちには負けないけどね」

 イサベラはまだまだ諦めない、といった様子である。勝手にしろ、とクイントゥスは思った。


 カレンはこの日の授業を終えたロレンスを館の玄関まで送った。アリスたちに言われた通りにいくらか若い娘らしいドレスを着て、髪も編んでまとめて上げ、わかる程度に薄化粧もしている。履き慣れないかかとの高い靴も履いた。先程の話題の後でロレンスの方も困惑しているようだが、これは別に彼のためにしているのではない。アリスが恥をかかないためにしているのだ。

「あの……」

 ロレンスは目のやり場に困ったようにカレンに話しかける。気づかぬふりもできないし、露骨に褒めるべきか迷うところだろう。

「せ、せっかく(着飾っているの)ですから、宮殿の方へ来ませんか?」

「はい?」

「王立の学問所にわたくしの父が勤務しておりまして、図書館長も兼ねているんです。よろしければ、案内させていただきますが」

「……図書館!?」

 カレンは大声をあげてしまった。アリスやセイリーンが居間のドアのところで聞き耳をたてているのはわかっていたが、思わず興奮して我を忘れてしまった。

「わたくしが紹介状を書きますから、手続きさえすれば、城にいる間は自由に書物を借りられるようになりますよ」

 最初はロレンスの言うことが信じられなかった。王室の図書館に出入りが出来るとは!! 昨日までは存在さえ知らなかった。国の図書館の書庫に入れるとは!!

「はい、ぜひっ!!」

 見るとロレンスは笑いをこらえていた。

「やっぱりそういう方ですか、あなたは」

 いけない。呆然としているとよだれが出てしまいそうだ。感激のあまりロレンスの手を取ろうとしたが、眼鏡がないので距離感がつかめずにそのままつっかかってしまった。

「どうぞ」

 ロレンスは微笑むと、カレンの手を取って支えた。

「ロレンスさまっていい方なんですね。あたくし、昨日あんなことしましたのに」

「同類の人間は直感でわかるものですよ」

 ロレンスは気にした素振りもなく、カレンの手を自分の腕にかけると歩きだした。カレンにはロレンスが神様のように見えた。



 戻ってきたカレンは熱に浮かされたようだった。おぼつかない足取りでふらふらと玄関から入ってきたが、何かあったかと待ち構えていたアリスに気づくと、飛びつくように必死になって説明した。アリスは慌ててソファーに座らせて、順を追って話をさせた。

「すばらしかったです。あんな所があるなんて、夢のようですわ」

「で? ロレンス先生は?」

 あの朴念仁は見るからにどんくさそうだが、カレンの好みを心得ている。図書館に誘うなんてなかなかやるではないか。

「すばらしい方ですわね。あの方のお父上のアーサーさまにもお会いしたんですが、この方がまた、博識で。さすが王立研究所の長をされているだけあって……」

 カレンにロマンスを期待した自分が馬鹿だった、とアリスは悟った。たぶんカレンの意識には、友人の次に恋人があって、更にその上に尊敬する識者が存在し、神にも等しい崇拝の対象となる。ロレンス師やそのアーサー師とやらは、恋愛の域を一気に超越して神々しい御位に達してしまったに違いない。もはや後戻りはできないだろう。

「長年原本を見たいと思っていた引用元の書物が見つかったんです。どうしましよう。あたくしばかりがアリスさまについてきてこんな幸せにひたっていて」

「勝手にやってていいわよ。わたし一人で妃になってみせるから」

 厭味を言ったのだがカレンは感激したまま、古くさく汚い本を抱きしめている。まあいい。カレンの幸せなんて結局こんなものなのだ。ロレンス師は見た目は悪くもない。あれだけ無礼な真似をされても怒らなかったほど人柄もいいし、将来は絶対に株のあがる王子の信任厚い官僚である。このお買い得な物件に見向きもしないで、ひたすら書物にあつい眼差しを注いできたに違いない。たった今人生最大の好機を逃がして来たとも知らないで幸せそうにしている女。もはやここにいる間に読めるだけの本を読むくらいしか埋め合わせがきかないだろう。勝手にさせるしかない。

「よくわからないけど、そんなに嬉しいものなの?」

 少し台所にひっこんでいたセイリーンが、カレンとアリスの前にカップを置いた。簡単なスポンジ菓子まで焼いてきて、その場でジャムを塗りながら皿に出した。なんのかんのいっても習慣でそっせんしてやってしまうようだ。

「それはもう」

 カレンはうっとりとして言った。ユリウス王子を見てもロレンス師に接しても、なんの反応も示さないくせに、書物を語らせれば雄弁になる。

「いいなー。あたしもなんか暇つぶし欲しいな。あの先生が帰っちゃうと午後、暇なんだもん」

「勉強でもしていたら? 全然できないんだから」

 あんたには家事があるじゃないの、と思ったが腹をたてられてこちらに回ってきたら大変なのでそう言った。

「うーん。そーだね。カレン……は、それ読むのに忙しそうだね。クインティア、ちょっと。何やってんの」

 見るとクインティアはそろそろと玄関に向かっていた。セイリーンが声をかけるとぎくりとして振り返った。

「でかい図体で何こそこそやってんの。ちょっと算術教えてくれない?」

 アリスの見ている分には、どうもクインティアの行動は怪しい。隙あらば館を出ようとしているように見える。だが姉を置き去りにすることはないはず。さっぱりわからない。

「さ、算術?」

 クインティアは困惑したようにおどおどとセイリーンを見ている。背丈のある人間に卑屈になられると、どうもいらいらする。

「だって頭いいじゃん」

「はあ……」

 クインティアは諦めたようにソファーに座ると、セイリーンの持ってきた問題に目をやった。数学的な勘がいいのか、文章を読み下すように難なく問題を解説してしまう。その正確さにはカレンも感心していた。まあ多少できるからと言って自慢げにならないところは可愛げがある。その代わりアリスたちが出来ないという事実が理解できないような様子には腹が立つが。

 確かに言えるのは、セイリーンは目標のための努力を嫌う娘ではないようだ。アリスはちら、と優雅にお茶を飲んでいるイサベラを見た。腹が立つのはこの女。クインティアについて来たはいいが、何もしやしない。貴族の娘のアリスでさえ渋々やることはやっているのに。

「そいつに家事をやらせようだなんて思わない方がいいよ」

 クインティアが顔をあげて言った。言葉数が少ないからおとなしいかと思えば、信じがたいほど荒っぽい言葉を使う。セイリーンにもひどいとあきれたが、クインティアの言葉づかいの悪さはそのセイリーンを三割増しにしたようなものだ。三人の中で一番年上だからにせよ、まるで少女らしくない。特に姉に対する言葉は耳を塞ぎたくなるほど汚い。一体どういう家庭環境に育ったのだか。

「たぶん、館の物をこわすか、腹をこわして寝込むことになるから」

 イサベラはほほほ、と笑った。だったら出ていけばいいのに、とアリスは思う。クインティアも妃候補としてやる気がなく、点数稼ぎには無頓着だ。その点では厨房では全く戦力にならない。アリスやカレンは結局セイリーンに頼って、こき使われるしかない。

 アリスはため息をついた。ユリウス王子も見学に来たはいいが、すぐにいなくなってしまった。会って話くらいしてくれるだろうと思っていた期待もむなしく裏切られた。幸せの絶頂にあるカレンを見るに、自分は何のためにここにいるのだろうと、少し疑問に思えてきた。だが諦めてはいけない。こんな女たちにユリウスを渡してはならない。絶対に。

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