第9話

「王子に食事をふるまって、料理の腕で妃を決めるならやりがいあるんだけどな」

 セイリーンがパンケーキを焼きながら呟く。

「な、なんてことを言うのよ、あなた」

 アリスは激怒したくなった。下働きだったから得意になっているのかも知れないが、全く冗談にならない。

「あたしがエセルに推薦してもらった理由ってこれなんだもの」

「……なんですって!?」

「でも王子さまの理想は家庭的ってわけでもなさそうなんだけどさ。王妃さまと気が合うだろう、程度みたいなのよね」

 アリスは少しほっとした。

「王妃さまがあれだもの」

 アリスが指さす方には王妃が嬉々としてサラダのドレッシングの味をみている。段取りの良さを見れば、普段から王室の食事も仕切っているらしいのがわかる。

「ドレッシングは三種類くらいあればよろしいかしら?」

「ま、なんか一つは気に入るでしょうね」

 クインティアがつっ立ったままそっけない返事をしている。何をしていいのかわからないのはアリスと同様だが、手伝おうという気もないようだ。まだ自分より下がいる。少しアリスは安心した。

 居間でテーブルのセットをしていたカレンが戻ってきて、やはりどうしたものか迷っていた。クインティアの姉は気分がすぐれないとか言って寝ているらしいが、ようするに何もしたくないのだろう。まったく許せない。

「センセ、暇なら鍋にジャム作ったから、それをその瓶に詰めて。アリス、焼けたからこれ向こうに運んで。クインティア、何もしないなら先食べてていいよ。冷めたら不味いからね」

 パンが焼けなかったので代用としてパンケーキを焼いたのだが、セイリーンの腕前が良いのか、料理が出来ない引け目からか、なかなか美味しく感じられた。非常に悔しいが、彼女が場馴れしているのは確かだろう。

「この様子なら大丈夫ですわね。それでは皆様、頑張って下さいましね」

 王妃は朝食に満足した様子で行ってしまった。アリスは未来の姑の性格にふと疑問を感じた。ユリウスがこういう女性を望んでいるのだとしたら、アリスとしてはちょっと困る。

「でも王子たるものが、妻に家事の腕を求めるなんて。美味しい料理が食べたいなら腕のいいコックを雇えばいいのに」

 台所で有無を言わさず後片付けを手伝わされた時に、セイリーンがひとり言を言うのを聞いた。カレンも憮然として命令されるがままに皿をふいている。

「あたしは贅沢したくて結婚するのに。なんで城まで来てこんなことをやってるのかしら」

「あら。ユリウスさまのことをよく知りもしないで来た女らしいわね」

 アリスはここぞとばかり言った。王子の妃になって贅沢をすることしか考えていない、軽薄な女。ぞっとした。こんな女がユリウスの妃になるだなんて。あさましい。なんて卑しい。こんな女にユリウスを渡してなるものか。

「王子と結婚すれば幸せになれると単純に思い込んでいるんでしょ?」

「あんた王子のこと知ってるみたいね」

「そりゃ、物心がついてから毎年のようにお会いしているもの」

 自慢になるが、少し庶民には思い知らせておいた方がいいだろう。本人は貴族の娘だというが、落ちぶれた貴族では庶民も一緒、格が違う。自分と王子はそれだけ親しい仲なのだ。

「王子っていい人?」 

「もちろん。いい方。すばらしい方よ」

「だったらいいじゃない。あんたが保証するほどいい男。で、その男と結婚すれば幸せなれる。どこが間違っているの?」

 セイリーンは嬉しそうに断言した。言いくるめられたような気がしたが、確かにそうだ。アリスは黙るしかなかった。



 王子の誕生パーティーの翌日は、城の雇用人たちのための食堂は文字通りの祭りの後のように静かだった。会場の閉場後も職員たちは働きづめだったので、今朝はまだ寝ているものもあるようだ。現れたロレンスに、先に食べていたエセルバートが声をかける。はやり彼も昨夜は城に泊まった口だ。

「ロレンス、妃候補の教師やるんだって?」

 朝日が白々と射し込んでくる静かな食堂に、元気な声が響く。二日酔いというわけではなかったが、脳天気な声は頭に響いた。

「何教えるの? 数学? 歴史? やっぱりマナー?」

 エセルの前の席につくと召使がメニューを尋ねてきた。あまり食欲はないのでスープだけを頼んでエセルに向き直る。

 妃候補を複数選出すること、期間を設けて教育することは、昨日あの場で突発で決まったのだ。

「適正を見たいので、一通りは。要するに殿下は、彼女たちの素質をお知りになりたいそうです」

 全く健全な人格こそは宝だ。エセルは王子と同い年で貴族の中から学友に選ばれた少年だが、王子に信頼されたおかげであまり有力ではなかった父の株を、一気に上げてしまった孝行息子だった。王子やロレンスにしても、時々目を覆いたくなるような言動をとられても、不思議と許せてしまう。憎めない少年だった。

「ロレンスがアリス姫を指名したんだろ? なんで?」

 そうだった。王子に下問されて助言という形で発言したが、成り行きでそうなってしまったようなものだった。後で自分らしくないと反省した。

「まあわたくしとしても、教師としての意地ってものがあるのですよ」

「なにそれ」

 説明する気になれなかったから、エセルはわからなそうな顔をしていた。

「それより俺、昨日気になった子がいたから声かけてふられたんだけど。ユリウス狙いだったのかな。全然相手にされなかった」

「それは悲しいでしょうね」

 エセルの顔がさらに曇った。

「本気で言ってるの? ロレンスってこういう時って全然親身になってくれないよな。人を好きになったりふられたことがないからだろうけど」

 痛いところだ。別に女性を遠ざけてきたわけではないのだが、宮廷に上がって以来、王子の教育にかまけてろくにプライベートの時間を持ってこなかった。侍女や貴族の姫君たちにはそれなりに粉をかけられたのだが、次第に彼女たちが「王子の教師」をからかってみたいだけなのだと気づくと、相手にもしなくなっていた。

 まあ、そんなロレンスが推薦した娘だからと王子も興味を持って即座に決定したわけだ。アリスを選んだ理由は曖昧にしたため不思議そうだった。

「エセルは何故、セイリーンさまを選んだんでしたっけ? 料理や裁縫ができるから?」

「それもあるんだけどね。確かに美人だし。でも、あの子が王妃だったらユリウスも楽しいかな、と思って。ユリウスって全然好みわかんないだろ」

 そう、王子の好みがさっぱりわからないのだ。今までは「特に希望がないからだろう」と思っていた。だが。

「あのクインティアって子を最後に指名した時には驚いたけど」

 ロレンスも驚いた。疲れが出たのか一時会場から姿を消していたユリウス王子は、戻ってくるなり「ルキウスが連れていた少女を」と妃候補に付け足した。王も王妃も興味津々で、どんな女性を選んだのかと心待ちにしていた。だがロレンスは出てきた少女を見た時、育て方を間違ったと思った。姿は少女だけれども、少年にしか見えなかった。自分が女性に疎いだけで、女性にもさまざまなタイプがいるのだろうか。

「ルキウスが親族を推薦したのかなあ」

「彼はクインティアさまを辞退させようとしていたように見えませんでしたか」

 パーティーが閉会した後、ルキウスは目通りを願い出て、王と妃の前で辞退を嘆願していた。だがルキウスの悲痛な訴えも、日頃は物分かりのいい王子がすげなく退けたので、クインティアはそのまま妃候補とされたのだ。

「謙遜かな。誰だって嫌じゃないよな。自分の親族が王妃になるかも知れないんだぜ」

「ルキウス殿は謙虚な方ですからね」

 あの三人の中では年長なだけあって、一番もの静かで落ちついた雰囲気の少女ではあったのだが。少なからず自信を喪失した。あんな女性が好みだったとしたら、今までロレンスは王子を半分も理解していなかったことになる。……見間違いでなければ、あの少女には喉ぼとけがあったような気がする……!!

「で? 王妃さまってあの娘たちに何を教えるの?」

「城の生活の初歩についてだそうですけど? なんでしょうね」

 ロレンスには王子本人が心配だった。妃候補を選ぶに際しても、まだ決心のつかないような、投げやりな様子が気にかかる。妃の教育期間は王子が妃を決定するまでとはなっているが、もしある時期までに決められなかった場合は王妃とロレンスが決断を下すことになる。そういうことになって欲しくないと思う。そのために王子が気に入るような、少女たちの美点を引き出してやりたいのだが。

「でも楽しみだな。ユリウスが幸せになれそうな子がいるといいな」

 ぎくりとしてロレンスはいま一人の教え子に忠告した。

「頼みますから、妃候補たちにだけは近づかれないように。その前に館には出入り禁止ですがね」

 王子が妃に誰も選ばなかったら。

 もし選んでもそれが妥協の結果だったとしたら。

 ロレンスは押し付けにならないように、且つ王子が自然に妃にしたいと思えるように、全力で努力しようと思った。




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