第7話
夢は着実に現実になろうとしていた。他にも候補者がいるにせよ、三百人のうちの三人に入ったのだからまずは順当というべきだろう。
今日、この日から自分の人生は変わる。この美貌さえあれば、世の中渡ってゆけると確信した。あの貴族のぼんぼん、エセルバートは手放しにセイリーンの美しさを褒めた。正直すぎるのだろうと思うが、感心したように「ホント、綺麗だな」と繰り返した。王子でさえセイリーンの笑顔に見とれた。
自分が人を感動させるほど美しいということ。この現実。今まで仮説でしかなかったことが、これで証明できた。
いける。笑いがこみ上げてくる。変な声をあげて笑い転げてしまいそうなのを必死で堪えたために、肩がひくひくと震える。男は皆、セイリーンが真剣に見つめれば、恥ずかしげに目をそらすか、うっとりとして黙るのだ。
鏡を取り出して覗き込んだ。笑ってみる。とてもいい笑顔だ。もしかしたらセイリーンほどの美貌の女もあの中に何人かいたかも知れない。だが、彼女たちと決定的に違ったのは、自らの目標に突き進んでゆく意志の強さだ。
美貌だけを武器に、王子に見初められるのをそわそわしながら待つ。そんな受け身な女には十年待とうと絶対にチャンスは来ない。せっかくの機会を気取ってふいにするほど余裕のあるご身分ではないし、現実は甘くないことは身を持って知っている。
明日からだ。
このまま順当に王子の妃になって、一生楽しく暮らす。
そう思うとわくわくした。
クイントゥスは窓を開けた。この高さなら充分飛び降りられる。
「無駄なことはやめな」
イサベラが傍で見ていて笑う。わかっている。ここから出ていくのは簡単だ。
「……誰のせいだばばあ」
「あんたの父さんも同罪だよ。小心者だからねえ。あんたが刃物を持っていたんで混乱したんだろうけど」
ルキウスはクイントゥスが短剣を持っていたことに気が動転して、王子に対して必死で言い訳をした。いわく、遠縁の娘で、武芸に優れていて、護身用に持ってきただけで決して王子殿下に対してふらちな真似を働こうと思ったのではありません。
これが逆にユリウス王子の興味をひいたようだった。
「武芸。珍しいな。何が得意だ」
クイントゥスは控えめな意思表示を試みた。男とわかるように、両足を開いて立ち、わざと低めの声を出した。
「剣です。場合によっては斧や棒も使います」
「ほう。斧? 珍しい。あまり女らしくないな」
呆れて呆然と眺めやった。男だというのがわからないのか、このぼんくら王子。普段は学友や側近に囲まれていて、女に免疫がなさすぎるのかも知れない。
クイントゥスは後々までこの時のことを後悔した。父親のためとはいえ、何故黙って女のふりを続けたのだろう。その後王子がクインティアを指名すると知っていたら、スカートをまくり上げていたところだったのだが。
「お前が逃げたらお前の父さんが立ち場に困るじゃないか」
「逃走してクインティアはどっかで療養してることにすればいいんだよ。だいたいなんでお前がここにいるんだよ」
だが何故か踏み切る自信はなかった。息子とほぼ同い年の王子に頭を下げる父の姿を知ってしまった今では。父を軽蔑したわけではない。むしろ裏方でありながら王子に信頼され、それに応えている父を誇りに思っている。王家を、そして父を裏切ることは出来なかった。
「そりゃ可愛い妹が心配だからね」
「その妹ってのはなんなんだ」
「だから、私は独身なんだってば。王子がいらして、もしかしたらお手つきってことになるかもしれないだろう?」
クイントゥスは相手にもしないそぶりで掌をひらひらとさせた。
「あり得ないあり得ない」
ちゃっかりクインティアの元に王子が現れた暁には、あらゆる手練手管で誘惑して妃になってしまおうと目論でいるらしい。それだけは絶対ないと思う。こんな年増に手を出すほどなら、まだアリスとかいう少女に目を付けるだろう。まあ王子が自分を選ぶことも、まずないと思うのだが。
「それに、万一妃になれなくても、なれなかった娘には手当てが出るんだろう? それだけあれば、私の借金は返せるんだよ。お前、確か返してくれるって言ってたじゃないか。頑張っておくれよ」
母は「私の」「私の父の」借金と言うが、「お前の祖父の」とは言わなかった。
「言ったけど、そういう意味じゃないよ」
確かにこの条件には抗いがたいものがある。何日か何十日かは急遽決定したため未定だが、ここにいれば済むのだったら、あのぼんくら王子をうまく騙し通せるかも知れない。検討する価値はありそうだ。
だがクイントゥスは一抹の不安は拭えなかった。他の妃候補があんなのでは、王子がふと気の迷いで自分を選ぶこともあるかも知れないではないか。いや、その前に自分に興味をもったこと自体に、王子の非凡さが表れている。もしや。
いや、あり得ない。万が一にもそんなことはあってはならない。
脳天気な笑い声と共にイサベラが出てゆくと、クイントゥスは寝台に腰掛けたまま、絶望に自分の髪をかきむしった。
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