第6話

 月が塔に刺さったように見える高さまでのぼった。式典の閉会を告げる十二時の鐘が城内に響きわたった。

 それまで厳かに流れていた音楽が止まると、侍従長が現れ、よろよろと広間の中心へ歩んだ。

「ここで王子殿下より発表があります」

 静まりつつも期待に色めき立つ娘たちをよそに、侍従長はゆっくりと重々しく三人の娘の名を読み上げた。

「アリス」

「セイリーン」

「クインティア」

 何度が繰り返されると、三人の少女たちは人前に進み出て揃って並んだ。

「以上の三名は王子殿下の妃候補として、城内の研究所で教育を受けます。この期間を経た後、王子殿下自らがこの三名の中よりお妃をお選びになります」

 アリスは凛と顔をあげ、周囲を威圧するように毅然として立っていた。幼いとはいえ、未来の妃として恥ずかしいふるまいは許されないと。

 セイリーンは握り拳を固めていた。得意気に、周囲を見渡した。思いどおりだ、どうだ娘ども、あたしは王子様に選ばれたのだと。

 クインティアは震えて動けなかった。助けてくれという顔をしていた。見渡す限りの女が殺気だって自分を睨み付けている。……男だと知られたら本当に殺されるかもしれない。

「なお、お妃教育には王子殿下の教育係であるロレンス、ならびに王妃殿下があたられることになっております。以上」

 ユリウス王子は王の傍に立ち、美しい娘たちを満足そうな眼差しで見つめている。娘たちは特別席で王の隣に座っている妃を見上げた。

 三人の娘の視線を受け、美しい王妃はにっこりと微笑んだ。

「頑張ってまいりましょうね」


 三人の娘の住居にあてられたのは、城の中に建てられた小さな館だった。一階部分は食堂と台所と居間で、二階にはバルコニーのついた寝室が五つある。国王夫妻が新婚当時に住んでいた館だそうだ。

「原則としてこの館に入れる男子は教師であるわたくしロレンスと王子殿下のみとなります」

 娘たちに館の中を案内しながら、ロレンスは簡単に説明した。夜半を過ぎているので早く寝室に振り分けて、全ては明日から始めることになる。

「ええと、アリスさまは一番右端のお部屋をお使いください。家庭教師のカレンさんはそのお隣。真ん中がセイリーンさまで……。お一人でよろしいのですか? 付添いが必要でしたら寝台を増やすなり、調整しますが」

「いりません。子供じゃありませんもの」

 セイリーンはあれから、すがりつく義母や義姉をあざけるようにして退場してきた。せっかく手に入れたチャンスだ。あんな邪魔者どもを近づけてたまるものか。優越感に浸りきったひとときだった。今夜はいい夢が見られそうだ。

「育ちの悪い証拠ね」

 アリスが聞こえるように呟いた。

「夜中に一人でお手洗いに行けるようになってから言えば?」

「料理にひどいマナーでがっついていた方に言われる筋合いはなくってよ」

「へー。泣きべそかいていたくせに」

「あの……。ええと、クインティアさまと姉上のイサベラさまは……」

 気を取り直してロレンスは姉妹に話しかけた。少女はうつろな眼をしてロレンスを見上げた。

「は?」

「あの、お部屋は。姉上さまと……」

 クインティアははん、とため息をついた。

「こいつは姉じゃなくてはは……」

 突如イサベラがけたたましい声で笑った。

「おほほほほほほっ。クインティア、あなたははじっこの部屋ね。大丈夫? 一人で寝れる? 寂しがり屋さんだものね。一緒に寝てあげましょうか?」

「やめろよ」クインティアが姉を突き飛ばそうとする。姉が軽やかにかわしたところを見ると、そういう家柄のなのかも知れないとロレンスは思った。武術の基礎は習得していると見える。

「野蛮ね」とアリス。

「身体もごついし、乱暴だし。信じられない。あんたみたいなのが妃候補に選ばれたなんて」とセイリーン。

「あら、わたしにとってはあなたも同類だわ。ユリウスさまも気まぐれな方」

 二人が険悪になるのをカレンが止めにはいった。

「アリスさま、馬鹿を相手にしてはいけません」

 やはり教育者だと一瞬期待したロレンスが馬鹿だったのか。彼女は当然のように火に油を注いだ。

「なによ行かず後家っ!!」

「あたくしは十九です!!」

「それ言ったらうちの奴なんか三十……いたあっ」

「ほほほほほ。みなさんお若いわあ、私なんて二十六で独身ですもの、独身っ!!」

 娘たちは一瞬黙り込んだが、いかんせん自分たちとは世代が違うので判断に自信がなかったらしい。反論はしなかった。ロレンスも異議を申し立てる危険は避けた。

「……そういうことで、明日からお願いします。わたくしはこれで失礼いたします」

 ロレンスは淡々と段取りを済ませると、逃げるようにして館を出た。扉を閉めて鍵をかけて立ちすくむと、思わず深いため息が口をついてでた。しばし空を仰いで国の将来を憂いた。


 アリスは隣の部屋のカレンに就寝の挨拶をすると、寝床に入った。突然こんな館へ閉じ込められることになったが、やはり名誉なことだ。多分明日からも大丈夫。しっかりやっていけるだろう。ライバルがあんな下賤たちでは競い合うハリもないが、まあこれも貴重な体験だろう。

 しかし今日は驚いた。カレンがユリウスの教育係のロレンスのところへすごい剣幕で押しかけるとは。少し変わったところがあるとは思っていたが、面識もない男を怒鳴りつけた時には途方にくれてしまった。

「ロレンスさま、どういうことですの!?」

 ロレンス師は他の女性と話していたのだが、向き直るとカレンに丁重に尋ねた。

「申し訳ありませんが、名前とご用件を」

 カレンは自分の立場を名乗った。アリスが知っている限り、カレンは恐れを知らない。王国でも屈指の学者にして王子付きの家庭教師を呼び止め、仁王立ちで睨みつけているのを見ても、彼女らしいと思った。破格の非常識さに、時折頭がいいのか悪いのかわからなくなるが、学識はある。アリスにとってカレンは大事な存在だった。

 ロレンス師をちやほやしていた女性たちは、ぎょっとして去り、近づこうとしていたものは遠巻きにして避けて通った。

「あんな風にアリスさまをないがしろにして、一体どういう躾けをなさったんです!? 

 正気で女性に対してあんな態度をとる方が、正しい教育を受けたと言えませんわ」

 カレンはちょっと見には綺麗な娘だった。特にこの日はアリスが有無を言わさずに飾りたてさせていた。黙っていれば王子の妃候補を目指しても不思議はないほどの気品を備えているのにひどいけんまくで怒るのを、アリスは他人ごとのように聞いていた。こういう時のカレンに近寄る度胸はない。ロレンス師には興味深くうつったようだ。

「わたくし個人の意見ですけど、アリスさまは殿下のご親族で、まだ十歳の女の子でしょう。あれが妥当に思えますが」

 ロレンス師は穏やかに答えた。

「女性がこの場にいる意味をわかっていらっしゃらないようですわね」

 カレンは宮廷付きの学者を睨みつけた。ロレンス師はカレンの訴えを聞き、笑ったように見えた。

「ではあなたのおっしゃるように、この上なく優秀に教育されたアリスさまを、試させていただきましょうか?」

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