第3話

 城壁は馬車を次々に飲み込んでいった。城の中は互いに挨拶を交わす人々の活気にあふれていた。夕刻が迫ると共に広間中に楽隊による音楽が響きわたった。

 階下は見るかぎり若い女性で埋め尽くされていた。女性だけでも三百人はいるらしい。ユリウスはゆっくりと階段を降りた。

 うわっという歓声と無言の圧力が押し寄せた。圧倒されてたじろいだユリウスの背を、エセルが叩いた。

「行け。見せつけてやれ」

「そうです殿下。この先、王位を継がれるあなたの、初の公の場です。立派にお務めなさい」

 ロレンスも力強く言った。背後では王と王妃が見守ってくれている。

 今、この国の未来を統べる者としての力量を問われている。

 ユリウスは大きく息を吸うと、女性たちに向けて微笑んだ。拍手と歓声が沸き起こった。

 ユリウスはうなずきながら、内心では誇らしさと不安に落ちつけなかった。彼女たちの期待にそえただろうか。これだけの女性を集めておきながら、なんだこんなものかと思われなかっただろうか。

 舞踏用の音楽が始まった。女たちの多くは父がエスコートとしてついているからすぐには踊り始める必要はない。階段を降りて広間に立つと周囲を見渡した。負けるものか。何に対して負けたくないのかはわからないが、ともかくそう思った。


「カレン、カレン」

 アリスはカレンのドレスを掴んだ。

「恐い。上が全然見えないわ」

「うーむ。計算違いですわ」

 カレンはアリスの背丈を考慮していなかった。成人女性が集まるのだから、十歳の少女が他人のドレスの波に隠れてしまうのはもっともな話だ。これではアリスの輝くような笑顔も知性もあらわしようがない。

「ではこうしましょう。両陛下にご挨拶に」

「あ、それいいわ。階段の上に上がれば目立つし、伯父さまに印象良くできるわね」

 愛らしいピンク色のドレスのアリスと、厳格な黒の色気のないドレスのカレンは王たちのいる玉座に向けて歩きだした。アリスにはやる気があるのかと言われたが、別にカレンは婿を探しにやって来たわけではない。自身の人生設計は今日、アリスを王子に選ばせてから手を着ければいいと思ってここまでやって来た。

「アリス?」

 突然、背後から声をかけられた。アリスに対してこんな風に声をかけられるのは。やはり振り返るとユリウス王子が手を振っていた。

「ちょうどいい。踊ってくれないか?」

 後ろのお付きたちが苦笑している。最初に踊る相手を決めかねていたところを、王の弟の娘が通りかかったのを幸いと思ったようだ。一見してまだ幼く、当たり障りがない。

「これはユリウスさま。御成人おめでとうございます」

「ああ。可愛くなったね、アリス」

 優雅に礼をとってから、王子はアリスの手を取って腰に手を回した。

 女たちの羨望の視線が自分と王子に集まっている。

 ああ。この日を待っていたのだ。

 三つの時に初めて会った時から、アリスは王子を目標にして生きてきた。

 こんな欲深い、妃の位に目のくらんだ女たちには負けない。無駄に歳をくっただけの女たちに引けをとるものはない。年齢の差など埋めて余りあるだけの努力はしてきた。彼のためにこんなにダンスも上手くなったのだ。

「ユリウスさま。会いたかったです」

「毎年会ってるじゃない?」

「いいえ。今日、ユリウスさまとこうして踊るのが夢でしたの」

「おませさんだなあアリスは。ああ、ドレスを着られるのが嬉しいんだね」

 やさしくリードしながら、ユリウスはアリスを傷つけるような言葉を口にした。

「……ユリウスさま?」

「良かった。なんか知ってる子に会って安心したよ。こんなにたくさんの女の人を見るのは初めてだし」

 その眼差しはアリスの上にはない。踊りながら、目移りしていそうな様子できょろきょろとしている。それだけ背丈の差があるのだから当然なのだが、アリスにはショックだった。

「はあ。全くどうしようかなあ。全員とも踊れないし」

 周囲は二人を微笑ましく見守っている。その穏やかさ。嫉妬でさえもない。アリスは王子にとって、幼い親戚の娘に過ぎない。

「カレン」

 涙が出るのをアリスはこらえた。泣くものか。こんな女たちの前で。王子としてしかユリウスを知らない下賤たちに、ユリウスの本当の素晴らしさを知らない女たちに、恥ずかしいところを見せられない。

「カレン。わたし、帰る」

「何を仰っているのです!?」

 ダンスが終わるとやっとの思いでカレンに駆け寄って抱きついた。そこでアリスが初めて涙を見せるとカレンは怒った。

「何のためにあたくしがこれまで、あなたに教育してきたとお思いですの!? あの努力を無駄にされるおつもりですの!?」

「いや、ユリウスさまはわたしのことなんてなんとも思ってない、思ってない!!」

 カレンは何を思ったのか王子の元へ悠然と歩きだした。

「何をするの!? やめてよカレン」

 カレンは珍しく化粧をし、髪を綺麗に結い上げていた。会場には王家の縁者も数十人ばかりいて、その何人かの男たちに誘われたが丁重に退けたらしい。王子狙いだと思われ、さもありなんとうなずかせるほどその横顔は美しかったが、声音にはドスが混じっていた。

「間違っています!! 断固間違っています!! 許せない!!」

 アリスは驚いて非力な力でカレンを必死に足止めしようとした。

「な、何が!? ねえ、落ちついてよカレン」

「ロレンス氏です。王子の教育係が、一体どんな教育をされたのか伺ってまいります」

 アリスの力では押さえきれなくなったカレンは、別の女性と踊りはじめた王子を横目に通りすぎながら、王室教育係のロレンスを目指して突進した。

 いけない。あの子を止めなくては。暴走したらどんな失礼なことをするか、わかったものではないわ。そう思いつつ、アリスは女たちのドレスに巻き込まれてしまった。


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