カタリナは怒らせてはいけない。

 刃物の様に鋭い爪は、私の体を引き裂かなかった。

 引き裂かれたのは、陶器の様に白く美しい肢体の一部だった。


 甘く優しい香りが鼻を包む。いつも私の周りにあるあの香りだ。


「カタリナさん……」


 流れる血が、地面を徐々に染めていく。

 なぜ彼女がここに? 私は目の前の光景を、ただ眺めていることしか出来なかった。


「ラグナ様、お怪我はありませんか?」


 カタリナはそう言って微笑んだ。


「は……、はいぃぃい」


 我ながら、なんて情けない声だ。

 そんな私の醜態を見るカタリナの目は、どこか優しい。


 カタリナは前を振り向いて、ゆっくりと立ち上がった。


 冷たい!

 カタリナの周囲に、氷の魔力が集まっている。


 あれは……


 氷魔法<フリージングレイン>


 魔力が次々に氷の刃へと変化して、ブラックベアを囲んでいく。その巨大な体を覆い隠す様に。


 カタリナは右手を前に出すと、ゆっくりと包み込むように指先をたたんだ。

 それに合わせて、何本もの鋭い氷がドス黒い巨体を貫いていく。

 ブラックベアは、原形を留めないほどに崩れ去ってしまった。


 カタリナさん……。

 オーバーキルすぎじゃないですかね。


 いやいやいや、そんなことを考えてる場合じゃない。

 固まっていた体がなんとか動き出した。


「カタリナさん。その腕……」


 私はヨタヨタと彼女の元へ駆け寄った。

 情けない。まだ足が震えている。


「問題ありません。助けが遅れて申し訳ありません」


 カタリナは、涼しい顔でそう言った。

 そんな……。


「そんなことない! 問題なくないですよ! こんなに血が……」


 流れる血の割には、傷はそこまで深くなさそうだ。これなら……。


「カタリナさん、腕を出してください。私の魔法でなんとか」

「いえ、これぐらい……」

「だめです!」


 ぼーっとしている彼女の腕を無理やり引っ張る。

 なんて細い腕だ。こんな腕の彼女に私は守ってもらったのか。

 白い腕を伝う血がやけに綺麗に見える。


 風魔法<ケアウインド>


 傷口に向けて、風の魔力を当てる。

 あああ、やっぱりすごい血だ。こんなに流れる血、見たことない。

 切られた所はなるべく見ないように……。


 目の奥が熱い。

 なんだか泣けてきた。


「ラグナ様、どうされました? どこか怪我でも?」

「なんでもない……」


 涙が止まらない。

 口元が勝手にひくひくする。


「ごめん、カタリナさん。私のせいで。私……、調子に乗ってました。」


 気色が滲んで、魔力を込めた指先がうまく見えない。


「ラグナ様は、変わったお方ですね」


 カタリナはそう言って、ふっと笑った。




「よく役目を果たした。ご苦労だった」


 私を助けてくれたカタリナに向かって、父が贈った言葉はそれだけだった。


 どうやらカタリナを向かわせたのは父のようで、始めからずっと隠れて見ていたらしい。

 ぜんぜん気づかなかった。


 カタリナの報告を受けて、父は危険を侵した私を叱ることはなく、むしろ褒めた。

 父はカタリナの傷の具合より、私の森での成果の方に興味があるようだった。


「その歳でそこまで戦える子供はおらんぞ。さすが私の息子だ。なあ、カタリナ」

「はい。すでに充分な強さです」


 そんなことない……。私は、強くなんてない。

 私は強さを勘違いしていた。ただ魔法を使えるようになっただけじゃ、強くなったなんて言えない。


 本当に強いのは……、そう、カタリナみたいな。

 私も、彼女のようになりたい。




 私はそれから、一層修業に励んだ。


 ただ魔法を覚えるだけじゃない。実戦をより多くこなすようにした。

 もちろんカタリナに傍で見てもらっている。もう心配かけないように。


 なんの経験もなかった私が、力を手に入れただけで急に強くなれるわけなんてない。

 力を使いこなせるように、心も強くならなければいけなんだ。


 私はカタリナに、それを教えてもらった。


「だいぶ実戦に慣れてきましたね」

「いやいや、カタリナさんが見守っていてくれるからですよ」


 彼女の怪我はすっかり良くなり、傷跡も残らず治すことが出来た。

 もしあんな綺麗な肌に傷を残してしまっていたら、責任をとならなければいけない所だった。


「どうされました?」

「いや、その……」


 いけない。カタリナのほうを見すぎた。

 私は慌てて目をそらす。


「ボタン、掛け違えてます」


 カタリナは、いつものカタリナだった。

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