缶蹴りなんて①

 話は、その「暑い夏」までさかのぼる。


「荒崎さん、このクロワッサンさ、今食べてみてくんない?」

 バイト先のパン屋。閉店後。掃除をしている真っ最中。売れ残ったパンを目の前に、社員の長戸さんが箒を持った私に話しかけてくる。


「え、、嫌ですよ…何ですか…?性癖…?」

「違うわ。なんで『女子高生がクロワッサンを丸ごと食べる』光景に俺が興奮しなきゃいけないんだよ」

「『アッ…クロワッサンのかけからが…口から…こぼれ出ている…デュフ…』みたいな」

「いやいや…それが目的でパン屋に務めているんだったら、本物の変態じゃん俺…」


 当たり前だけど、パンは売れ残る。逆に売り切れてしまうと、「もっとパンを作っておけばもっと多くのパンが売れたのに…」となる。だから、売れ残ること自体は、大変自然なことで、別に悪いことでも何でもない。


「クロワッサンがさ、なんかあんまり売れてない気がしていて…あんまり味が悪くないのなって思って、ちょっと荒崎の意見を聞かせてほしい」

 売れない理由は明白だ。暑いからである。第一、お客さんは別にクロワッサンを食べた上で、「味が悪いから買わない」と考えている訳でも何でもないのに。このあたり、人によって思考に差が出る。


「えぇ~別に自分で食べればいいじゃないですか、パン、私より詳しいじゃないですか」

「いや、俺なんか毎日食べてるから、客観的な意見を聞かせてほしいんだ」

「いや…私もほぼ毎日食べてるんですけど…」

 パンは売れ残る。そして夏はパンが売れない。だから必然的に、私たちも多くのパンを持ち帰る。もうパンで冷凍庫がパンパンです。


「いいから、ほら、食べてみて!」

 そう言いながら、長戸さんは私に強引にクロワッサンを押し付けられる。デリカシーが無いのかコイツは…。元々バスケを高校時代から続けているということもあり、ガタイだけは良いのだから、少しは振る舞いというものに気を付けた方が良いと思う。


 仕方ないので、私はクロワッサンを食べる。基本的に、「サクサク!」のような擬音語が似合うけれど、閉店後のクロワッサンは「モサモサ…」という音の方が似合う。最近は材料費の高騰を受けて、クロワッサンも少し小さくなった。小さくなったクロワッサンを「モサモサ…」と音を立てて食べる。夕方。そんな私はまさしく猛者猛者。


「どうだ?」

「いや…どうもこうもないでしょう…」

 クロワッサンを食べ終わったのを見て、高戸さんは話しかける。なんか知らないけど、テンションが高そうか。それもそのはず、自分で作ったパンだからだ。そりゃ、自分が作ったパンで誰かに喜んでもらえたなら、それは「至上の幸せ」だろう。ということに食べ終わってから気付いた。ヤバイ。真顔で食べた。


「う~んサイズが小さくなったこと自体は仕方ないんでしょうけど、フワフワ感が薄いですよね。この時間だから仕方ないかもしれませんけど、パンの表面が歯に当たってからの展開が少ないような、、かじって、終わり、みたいな」

 もっと『いや~!やっぱりぃ、高戸さんが作っただけあってぇ、ホンっト閉店後でも美味しいですねェ~!なんていうか、パンに「物語が宿っている」みたいな?作り手の気持ちが伝わってきますね~』なんてことを、キラキラJKばりに言えればよかったのだろうけど、店を閉めようとしているタイミングに、その気力は無い。そして、なによりも、そんなドラマチックなことは、その辺には転がっていない。


「なるほどなるほど。確かになぁ~小さくなったのは良いんだけど、もっと歯が当たった先の触感があるといいんだよな~」

 高戸さんは真面目に、私の感想をメモしている。というか、ほぼ私の発言を繰り返している。バカなんだよな…決して悪い人じゃないんだけど、少し気を付けた方がいいのに…


「荒崎はちょっと辛辣だなぁ~もうちょっと参考になる意見を言えばいいのに」

 金山が話しかけてくる。バイト仲間であり、高校の同級生であり、小さい頃からの幼馴染だ。

「私は思ったことを言っているだけ。ていうか、レジ周りの掃除終わったの?」

「いや、俺も腹が減ったからパンを食べようと思って」

 と言いながら金山は売れ残ったメロンパンを食べだす。いや、おい、クロワッサン食べろよ。クロワッサンを食べろよ!(2回目)


「いや~やっぱりうちのメロンパンのクッキー生地はおいしいですねぇ」

「それはパンじゃなくてクッキー生地に対する指摘じゃん…」

「ジャーマンフランクに入っているソーセージもぷりぷりで最高!」

「だからパンに対する指摘をしろよ…」

 私と同じように、こいつも黙っていた方がいいのだなと思った。

「いやいや!パンがおいしいのは当たり前だから!うちのパン生地に対して、しっかりと他の材料がマッチしてるね!っていうことだよ」

 調子よく、金山は適当なことを抜かしている。前後の文脈を踏まえず、金山はこういうフォローをよく入れる奴だ。まぁこの言葉自体に、嘘は無いのだけど。


「おぉ~金山は良いことを言うな~だろう?うちのパンは世界一だからな!」

 結論、なんか高戸さんのテンションは高そうなので、良しとする。結局高戸さんは「明日も頑張ろう!」と言っていれば、「そう言わせてくれる何か」があればいいのだろう。とはいえ、社員の出勤時間は朝の4時半。あと8時間後にはまたこの店にいるのか、、猛者猛者。


 辺りは真っ暗になっていて、店先も掃除を住んでおり、ブラインドで締め切っている。車が通りすぎる音や光を感じることはできるけれど、こちらから外の景色はほぼ見えない。同じように、外からこちらの店の様子も見えない。


 パンは売れ残る。そして、当たり前だけど、パンは捨てられる。閉店時間を過ぎた途端、「商品」は「廃棄物」へと変身する。

 パンを捨てるという事実に対して、バイトを始めたての時は大変カルチャーショックを受けたけれど、人間というのは恐ろしいもので、一度慣れてしまえば、そんなことどうでもよくなる。どちらかというと、さっさと帰るためにパンはどんどん捨ててしまう必要がある。


「このレモン風味のパン、うまいっすね高戸さん」

 だから、この金山のように、のこのこパンをつまんでいる暇はない。

「ホラ、パン食べてないでさっさと手伝って」

「いやいや、これは大切な仕事の一環だから」

「とは?」

「『商品の味を知り、顧客とのコミュニケーションの際に活用するため』でございます」

「いや、お前ほぼ毎日パン食ってんじゃん、今更…」

 夏休みの間、暇な私や金山は、狂ったようにシフトを入らされている。毎日パン屋に通い詰めていると、自分が高校生であるという事実をつい忘れてしまう。単なるレジ打ちなので特段朝が早いという訳ではないけど、それでも、昼食やおやつや、そして閉店後もパンを食べていると、たまに気が狂ってしまう。あぁ…牛肉のしぐれ煮と白米が食べたいデス…。


「まぁこの生活も来週で終わりだからな!今のうちにたくさん味わっておいて損はないだろ」

 そんな狂った夏休みも来週で終わりだ。もうすぐ2学期が始まる。夏休みにがっぽり稼いだから、これから始まる2学期中に色々使ってみようと思ったけれど、正直使い道が思いつかない。「だったら無理してお金なんか稼がなきゃいいじゃないか」という反論も出てきそうだけど、逆に家で時間を無駄にするくらいならバイトをしていた方がましだ。どうせ本当の意味で有意義なことなんて出来ないのだから、少しでも価値の保証がある金銭というものに、自分の時間を変換するくらいはしておいてもいいだろう。


 高校2年生の夏。「本当の意味で有意義なこと」に多くの同級生が時間を費やしているのだろうけど、正直あまりよくわからない。何か、劇的なことが起こって欲しいと思った自分も確かにここにいるとは思うけれど、その「劇的なこと」がよくわからない。よくわからないまま、なんだかよくわからない大人になっていくんだろうと、薄々自分に対して予想している。


「そっか~お前らも夏休み終わりか~どうせ夕方とかは入ってくれるんだろうけど、ちょっと寂しくなるな~」

 その「よくわからない大人」という結末は、そこまで悲しいものではない。というか、正直そういう大人ばかりだと思う。常々、毎日パン屋で働きながら、色んなお客さんや社員、出入りする業者を見ていて思うものだ。どこか、自分というものに対して、一貫性というのが無いような、「つらぬくもの」が無いような。

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