サイレンが響いていた。

 母オヤが慌ただしくしている。僕はその姿をじっと見つめる。

 僕は誰に生かされてんだろう。有体に言えば、オヤでも、尾籠な話で賑わう無頼の徒でも、他の誰でもない。いや、エイリな刃物か? 今にも僕の目を抉りそうなエイリな刃物。奴に死にたくないから今まで生きてきたのだろうか。……しかし、奴は僕を刺せない。僕が望まねばできない。

 では、彼女はなんだろう。

 彼女は理想。――だった、だろう? ――彼女はホラ吹き野郎だ。自己顕示欲だ。とかく気味が悪い。いきなり曲を穢した己が賢しいと思っている。そして、彼女は僕がピアノを弾くことなど訊きもしなかった。所詮、天才ではない。彼女がオロカだ。オロカなのだ。

 ――それでは、あの包丁はなんだ。

 ――嗚呼、あれこそが目的か。

「いやぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」

 僕は台所にいた母オヤを刺した。母オヤは僕を反射的に突き飛ばした。僕は急迫し、落ちた包丁を拾った。呻く母は爛れた蝋のようにハラワタの血を、廊下に擦り付けながら這っていた。僕は母の背中に馬乗りになり、滅多刺しにした。

 廊下に突っ伏した母のハラワタからは、背中から腐臭をかすかに感じた。ふと我に帰ると、静寂をはじめて知った。

 僕は混乱した。この屍体の行方をどうすればいいか。埋めなければならない。

 僕は母の両足を両腕に挟みながら、何度も転げた。漸く玄関まで出ると、笠木天端から誰かがいないか見下ろした。

 走っているアヤメがいた。こちらへと一心に向かっていた。覚えず、僕は壁に隠れ、螺旋階段の隣まで狐狸のように逃げ込んだ。

 どうして、彼奴が? まさか……――口を噤め。


 ――懸崖から流れるあの瀑布のように綺麗な血がぬらぬらと流れ出していた。僕が螺旋階段から降りた時には、彼女の影より大きく土壌に滲み出した。

 このニオイだ。これこそが鉄分と皮脂が分解してできた有機混合物のニオイ。血だ。まさしく血なのだ。

 今は皆の嫌うあの惑星だけが、僕を光として称賛してくれた。

 そうして、僕は久しく笑い、唇の切先で傷をつけた。

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鳳凰睦実/ꓤOꓤꓤƎ @zelley_1129

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