第4話 ささやかな日常を

 電車から降りた後も、俺たちは黙ったままだった。すっかり日の暮れた帰路、俺が先を行き、数歩後からカシカがついてくる。カシカは俺のシャツの裾をつかみ、そろそろと足音を控えめにして歩いていた。


 なんだか気まずい。

 俺はぼりぼりと頭をかきながら、深く呼吸をして気を落ち着ける。


「あのさ……カシカ。さっきは、その……すまん。ちょっと冷静さを欠いていた」

「え、うん……。その、私も悪いと思ってる。……父さんは何年も前にいなくなったのに、今更その話を持ち出すなんて、良くなかった」

「いや、お前が謝る必要はないよ。俺が悪いんだ」

「でも、そもそも私がこんなことを言い出さなければ、あなたが怒る必要なんてなかったのよ、だから」


 俺がしどろもどろに謝れば、カシカも言葉に詰まりながら謝罪する。

 居心地の悪さは消えたが、妙に落ち着かない。


 俺たちが言葉に迷っていると、突如聞きなれた声が割って入ってきた。


「あら、実じゃん。それにこの声は……歌詩ちゃん?」

 気の抜けた声に、俺が驚いて振り返る。

 そこには俺とよく似た顔の女性が一人、意外そうな顔で佇んでいた。その手には、いくつもの買い物袋をぶら下げている。

 彼女は四園咲紀しぞのさき……俺の双子の姉だ。


 予想していなかった姉の登場に、カシカが驚いたような声でパタパタと足音を立てる。

「誰かと思ったら……咲紀ちゃんじゃない。こんなところでどうしたの?」

「もちろん母さんからのご命令。実と歌詩ちゃんが来るから買い出しに行けって仰せつかってね。こうして蒸し暑い夜道を汗水垂らして帰ってきたところ」

「それはまあ、申し訳ないわ……荷物をいくつか持ちましょうか」

「いや、いいよ。弟に持たせるから。ほら」


 咲紀がへらへらと笑いながら、買い物袋を俺に押しつける。俺は不満げにしながらも、素直に荷物を受け取った。どうせいくら文句を言っても、この姉に効果はない。


「そういや聞いたよ、歌詩ちゃんの最新曲。綺麗な声で思わずうっとりしちゃった」

 三人での帰路、空いた手をぷらぷらとさせながら咲紀が言う。

「友達にもしっかりオススメしといたよ。めちゃくちゃ良い歌だったって、みんな言ってた」

「それは……ありがとう」

 カシカは珍しく照れているようだった。俺は少しだけ意外に思いながら、重たい荷物を持ち直す。


「じゃあさ、咲紀ちゃん。今度みんなでカラオケにでも行きましょうよ。ぱーっと歌って、喋って……騒いでさ。……ああ、ミノルはタンバリン係ね」

「俺はただの盛り上げ役か」

「だってあなた、人前で歌うの、嫌いでしょう」

「そうだけど、たまには思いきり叫びたい」

「それだと歌じゃなくてただの雄叫び」

 呆れたようにカシカが言う。確かにまあ、音痴なのは否定しないが。

 なんとも言えない顔をしていると、咲紀が声を上げて笑った。


「歌詩ちゃん、しばらく会ってないはずなのに、全然変わらなくて……はは、なんだか安心しちゃった」

「そう? でも、そういう咲紀ちゃんのほうも変わりがないみたいで、少しほっとしたわ」

「え、これでもメイクの感じ、ちょっと変えてみたんだけどな。マスカラの色を大人っぽくしてね……」


 姉貴は豪快に笑いながら言う。俺はそんな咲紀の顔をまじまじと見つめると、

「えっ、まじか、全然気付かなかった。というか、どうメイクしても俺と同じ顔になるから諦めろよ」

 思ったことをそのままに口にすれば、双子の姉は空手で鍛えた脚力で、俺の膝を軽く蹴った。手加減を程々にした会心の一蹴りに、俺は悶絶した。


 ――そうして、うだうだとくだらない喧嘩を繰り広げながら家に帰り着いた俺たちは、出迎えてきたお袋と親父を含めた計五人で、焼き肉を食した。

 ……思えば、こうして家族で食卓を囲むのは、かなり久しぶりかもしれない。


 そんな賑やかな焼き肉パーティーの最中、カシカは何度も申し訳なさそうに謝っていた。……普段の彼女にしては、なかなかに珍しい。



「じゃん、これ見て」

 夜も順調に更けていき、食事会もお開きになろうとした頃だった。不意に咲紀が、買い物袋の一つに手を突っ込みながら俺に向く。

「なんだよいきなり……って、え、花火?」

 俺が瞬く。咲紀が持ち出したのは、夏によく売られている花火セットだった。


「……姉貴。六月に花火って早くないか?」

「季節を先取りってことで、いいでしょ」

「先取りというか、外れに近いような気がするんだが」


 俺が困り顔で、姉が取り出した花火セットを見やる。

 すると、意外にもカシカが食いついた。

「花火……素敵ね、何年ぶりかしら」

 喜びを隠しきれない声だった。咲紀はにんまりと頬を緩めると、カシカに笑いかけ、

「そうと決まれば早速やりましょうよ。父さん、蚊取り線香と下駄持ってきて! 今から公園で花火大会よ」

 そう、子どものような笑顔を浮かべ、咲紀は意気揚々と玄関に走っていった。


 俺はその後ろ姿を見送って溜息を吐く。

「姉貴はいつもテンションの切り替えが急すぎるんだよ。……全くついていけない」

「でも、そんな咲紀ちゃんのおかげで、花火が見られるのよ。私、花火なんて何年も見てないもの」

「……そうだな。今日だけは姉貴に感謝だ」


 その一時間後――俺たちは近所の公園でささやかな花火大会を催した。

 カシカは傍で見ているだけだったが、それでも大層嬉しかったらしい。繰り返すように「綺麗ね、綺麗」と手を叩きながら笑っていた。


 普段は歌手として、透明人間として、縛りのある生活を送っていたカシカ。

 この瞬間だけ、彼女は縛りもしがらみもない一般人の歌詩かしとして、花火を楽しんでいた。

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