第2話 歌と本音
簡素なレコーディングスタジオに響くカシカの声。
中性的でありながらも澄み切った音色の、不思議なほどによく通る歌声だ。
「今日も調子が良いですね、カシカさんは」
壮年のエンジニアが満足げに頷く。俺は収録ブースにいるだろう、カシカを見つめた。
カシカの姿は、やはり見えない。マイクが置かれただけの部屋である。
だけど、カシカは確かにそこにいて、歌っている。
……奇妙な感覚だった。
「カシカ、お疲れ」
録音作業をあらかた終えて、俺が分厚い扉を開ける。と、中に居るだろうカシカに声をかける。
カシカは何度も咳払いをしている。声の調子を確かめているようだった。
「あ、ああーあ……うん、喉飴が欲しい」
「じゃあ外に出よう。ここは飲食厳禁だ」
「ミノルはお堅いわね。……分かったわ」
エンジニアと軽い打ち合わせを済ませ、俺たちはレコーディングスタジオを後にする。
それから――遅めの昼休憩をとったついでに、俺はふらりと事務所の屋上に出ていく。月曜日の午後二時、天気はやや曇りに傾いていて、冷えた風が吹いている。六月にしては少しばかり肌寒い気温だ。
「はあ、冷えるな」
ぽつりと呟けば、返事は予想外なところから返ってきた。
「……ミノルって寒がりなの?」
「おわっ、カシカか驚かすなよ」
独り言のつもりだったのだが。いつの間にか隣にカシカがいた。
彼女は悪戯っぽい声色で「ふふふ」と笑っている。
「ほんと飽きない反応ね、ミノルって。触れたら葉を閉じるオジギソウみたい」
「分かりにくい例えをどうも」
「あら、もしかして怒ってたりする?」
「怒っているんじゃない、呆れてるんだ」
ムキになって言い返す。カシカはそれでも面白そうにくつくつと笑い声を零していた。
こいつはいつもそうだ。雲みたいに掴み所がない。
この体になる前から、ずっと。
「……それはそうと、カシカ。お前……風邪とか引いていたりしないか」
そんな彼女を前に、俺がふと気になって尋ねてみる。
途端にカシカは、不思議そうな声で「いきなりどうしたの」と聞き返してきた。
「いや、お前が何着てるか、分からないから」
「ふうん、……もしもの話、私が可愛らしいメイド服とか着てたらどう思う?」
「いや、お前はいつもシンプルな格好しかしないだろ。メイド服なんて凝った作りの衣装、着るわけがない」
「……よく分かっているじゃない。降参だわ」
カシカが参ったとばかりに言う。珍しく彼女を説き伏せた俺は、なんだか気分が良かった。
……しかしカシカは、不意にぽつりと、どこか寂しげに呟く。
「でも……私がどんな姿をしていても、ミノルには見えないのよね」
囁くようにこぼれ落ちる声。さっきまでの飄々とした態度が嘘のような、か細い声色だった。
「……カシカ?」
「私、たまに思うの。この体質は恵まれているのか、いないのかって」
カシカがふっと微笑む。その姿は見えないものの、俺ははっきりとカシカが笑ったのが分かった。……それなりに長い付き合いだから。
「ミノル。……どうか私を見捨てないでね。私が消えてなくならないよう、ここに繋いでいて」
淡々と紡がれる声。俺は彼女の言わんとすることが分かって、頬をかいた。
「……ああ、分かってる。どこにも行かないよう、傍にいるつもりだ。……だけどな、お前にはなにより待っているファンがいるんだぞ、不透明カシカ」
俺はそう言って、無理やりに笑顔を見せる。カシカはどんな顔をしているのかは分からない。だが、彼女がどう答えるのか、おおよそ見当がついていた。
「分かってるわよ、馬鹿」
そう言い返し、無邪気な笑い声を上げる彼女。
予想通りの反応に、今度は俺が息を吐いた。
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