空き巣犯からの予告状

上津英

第1話 届いた予告状

「あ、居た居た。お巡りさん! ちょっと良いですか?」


 ゲゴゲゴと蛙が歌う6月の木曜日、小学校のすぐ隣にある通学路。

 赤い自転車に乗ってパトロールをしていた松永真吾まつながしんごは道路を挟んだ隣の道から呼び止められた。明け方まで雨が降っていた為地面はまだ濡れている。


「はい?」


 ブレーキを掛けて停止し、今しがた自分を呼び止めた半袖の青チェックシャツの大学生に顔を向けた。

 爽やかで、見るからに陽キャ。人付き合いの苦手な自分と正反対の好青年が眩しい。


「お願いがありまして」

「はい」


 道を渡って青年がこちらに来るまで待つ。今は午前なので人通りは少ない。

 足元に缶コーヒーの空き缶が落ちていたので拾っておく。ゴミはゴミを呼ぶ。放っておいて良い事はない。20代の下っ端巡査にはゴミ拾いも大切な仕事だ。

 隣にやってきた青年の表情には焦りが滲んでいた。


「実はさっき、この近くに住む俺の彼女の家に空き巣犯からのが届いたんです! 明日午前9時空き巣に入りますって!」

「はい?」


 青年の口から奇妙な言葉が飛び出してきた事に眉を顰める。

 空き巣犯からの予告状。

 そんな物、本の中でも聞いた事が無い。

 大体そんな事をして空き巣犯に何の得があると言うのか。待ち伏せされて捕まるだけだ。

 ミステリー小説では怪盗が警備の人間を装って侵入する為に予告状を送ったりするが、空き巣でそれは難しい。

 子供の悪戯だろうか――真吾の頭が疑問符で埋め尽くされる。


「ええっと……詳しく聞かせて下さい」

「え? あっ」


 話が掴めず聞き返すと、青年がハッとしたように瞬く。どうも焦って話していた事に自分でも気が付いたようだった。青年は一瞬申し訳なさそうに笑ってから再び話し始める。


「予告状が届いたのは俺の彼女……橘由良たちばなゆらの家です。彼女の家は2丁目の蕎麦屋の近くにある一軒屋で、銀行員をしている父親と2人で暮らしています。それがさっき、小石で窓ガラスを割られたようで……そこには、明日午前9時空き巣に入ります、って一言書かれた予告状が丸められていたんです」


 眉間の皺が深くなっていく。聞けば聞く程意味が分からない話だ。


「それ、もう通報しましたか?」


 コクリ、と青年が頷いた。

 自分にわざわざ声を掛けているので「まだなのかな?」と一瞬思ったがそれなら良かった。

 送り主の意図は分からないが窓ガラスも割られている。そのように事件性の高い物は、巡査に言うより署に通報した方が良い。

 2丁目と言えば高級住宅地、空き巣犯から見たら高級レストラン街だ。

 加えて明日は金曜日。気が緩みがちな金曜日は空き巣被害が1番多い曜日として有名だ。


「由良の家には今、警察の方が駆け付けてくれています。俺もさっき彼女の家に行って愛犬を預けたんです」

「犬を……ですか?」

「はい。本当は俺もずっと隣に居てあげたいんですが、あいつも俺も大学があってなかなか。うちの犬、誰彼構わず吠えるんですよ。その犬を貸したら少しは空き巣避けになるかな、って」


 空き巣が嫌がる物の1つに、近隣住民に侵入を悟られるような音が挙げられる。駅前のホームセンターに行けば防犯砂利が売っている程なので、良く吠える犬は確かに有用だ。


「まぁ予告されたのは明日なんでちょっと早いかなとは思うんですけど……本当に空き巣だけなのかな? って由良が凄い不安がってたので。だからお巡りさん。2丁目、パトロールしてやってください、お願いしますっ!」


 その優しさに眼鏡の奥の目を細める。


「はい、勿論です。貴方が居てくれて橘さんも心強いと思いますよ。貴方のお名前を伺っても宜しいですか?」

「あ、俺は加藤圭かとうけいと言います。留学したいって俺の夢を彼女は応援してくれるから、俺も優しくしてあげたくて。それに由良、凄い可愛くて。寂しがり屋だし、守りたくなるんですよ」


 へへ、と圭は年相応のニヤけた表情で笑った。突然惚気を挟まれ愛想笑いで返す。


「では私も重点的にあの辺をパトロールするようにしますので。有り難う御座いました」

「こちらこそ有り難う御座いました! では」


 圭に頭を下げ自転車を降り、自販機の隣にある赤いゴミ箱に先程拾った空き缶を捨てる。どうしてすぐ横にゴミ箱があるのに、道に捨てるのだろうか。

 眉間に皺を寄せながら自転車に戻ると、圭はもう居なかった。

 隣の小学校から風に乗ってカレーの匂いが漂ってくる。今日の給食のようだ。

 小学生達が胸を躍らせながら終業のチャイムが鳴るのを待っているのが目に浮かび、僅かに口角を上げた。


「空き巣犯からの予告状、か」


 呟き、交番に戻るべく自転車を漕いだ。2丁目のパトロールは午後にしよう。署が対応しているのなら問題は無いだろう。

 しかし良く分からない事をする人も居るものだ。




 肌にまとわりついてくる蒸し暑さの中交番の休憩室に戻った真吾は、昼休憩中の同僚に圭からの話をした。


「ああ、その話なら丁度今話をしてたところだ。なんでそんな事するんだろうなって」


 答えたのは40代の子煩悩な宮林俊之みやばやしとしゆき部長だった。

 見るからに温厚そうなこの人は3丁目の中華店から出前を頼んだらしく、中華丼を食べている。

 自分用に注文しておいてくれた麻婆豆腐定食もテーブルの隅に置かれていて、ちょっとした中華店と化した休憩室にはごま油の香ばしい匂いが充満していた。


「署の人間もみんなも、この予告状の件は悪戯だと思っているよ。予告された明日は一応2丁目を重点的にパトロールする事になったが……。ああ、そこのデジカメに予告状の写真が入ってるぞ。見たいなら見ると良い」


 宮林は苦笑いを浮かべながら話し、黒烏龍茶のペットボトルをぐびっと煽った。顎で示した先、木製テーブルの隅にはデジタルカメラが置かれている。


「失礼します」


 真吾は一言断りを入れデジタルカメラを取り、操作して目的の写真を画面に映した。

 コピー用紙は小石に巻かれていた影響でくしゃくしゃになっており、『明日午前9時、空き巣に入ります』とだけ明朝体みんちょうたいで書かれている。


「2丁目の防犯カメラの映像を洗って石を投げ込んだ不審者も探してはみるが……しっかしなんで空き巣で予告を出すんだか」

「絶対悪戯ですよー、この町小学生多いですからねえ」


 宮林の向かいの席で酢豚定食を食べていた女性警察官が笑いながら言う。

 確かに子供の悪戯と考えるのが妥当だろう。あの程度の予告状、スマートフォンからでも簡単に作成出来る。


「でも部長なら空き巣の気持ち分かるんじゃないですか? 橘さんち、部長が好きそうな骨董品がいっぱいあるみたいじゃないですか〜」

「なっ、誰が分かるか。からかうな!」


 女性が宮林をからかう横でデジタルカメラを戻し、麻婆豆腐定食を食べる用意を始めた。




 眼鏡が曇らないよう注意しながら麻婆豆腐定食を平らげ、早速自転車で2丁目に向かう。勿論、橘家をこの目で確かめる為だ。

 6月と言うのは1年で1番判断に困る月だと思う。晴れそうで晴れないし、涼しいと思えば急に暑くなって着る物や寝具にも困る。


「わんわんわんっ!!」


 2丁目に向かう1歩手前、左側から中型犬に吠えられた。この辺りで犬を飼っている家はないので、どうやら目的地はここのようだ。

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