第108話 美化 対 影山 決着っ!

 影山映莉のバッキバキの瞳が、盤上を隈無く見回す。見落としはないか?隙はないか?ないなら作れないか?


 Zで研ぎ澄まされた天才の思考は、窮地から抜け出す僅かな脱出口を見逃さなかったッ!


「見える見える見える! 逆転のシナリオがさっ! あはははッ!」



 パチンッ!!



 Z吸引後、数秒で指したその一手。


 『端歩はしふ』1五歩



 それは美化が全く予想していなかった軽い一手だった。追い込まれている局面で指すような手ではない。


(な、なに? その手? 全く意図が読めないんだけど……)


 疑問をいだきながらも、美化は数秒で次の手を指した。その一手は至って常識的な一手だった。間違えてはいない。この勝勢の局面では間違えようがなかった。


 ……そう、相手が影山映莉でなかったのならッ!!


「あはははッ! いいのかなぁ〜? それでぇぇえッ! あはははッ!」


 パチンッ!!


 影山映莉が指をしならせ、次の手を指したっ!


 1四角うつ 


 完璧な攻防一体の一手ッ!


 その手を見て美化は飛び上がったっ!完全に抜け落ちていた。読みが甘かった。将棋というゲームは、たったの一手で形勢が天と地ほどにひっくり返る。


 分かっていたはずなのに。


 影山映莉の直前に放った緩手かんしゅとも取れる一手に、美化の脳は勝手に深い読みを断ち切ってしまっていた。


 それは油断とは違う。人間の脳の構造上、仕方がないレベルの隙だった。


「やらかした……くぅ……」


 とはいえ、まだ負けが決まった訳ではない。美化は深く……深く……読みを入れ、次に指す最善手を模索していた。


(落ち着かなきゃ……私の方がまだ優勢なんだし……でもここまで引き戻されるなんて……将棋の怖さを改めて思い知らされた……!)


 パチン……!


 美化は慎重に次の手を指した。


 駒を持つ指先は震えていた。


「そうね。そうそう……それが正解だよ。さすが渕山美化だ……」


 影山映莉はそう言うと、またしても数秒で次の手を指した。


 パチンッ!


「くっ、また……」

(ただでさえ強い影山がZを吸って更に強くなってる。前に大麻について調べた事があったけど……思考能力が上がるとか、意識が一点に集中するとか……そんな事が書いてあったし。さっきからノータイムで繰り出せるレベルの手じゃないんだよっ! 頭ん中にAI入っちゃってんじゃん!)


 そして5分が過ぎた。


 美化は次の手を指せないでいた。自分が負ける景色が見えてしまったからだ。そう、正に崖っぷちに立っている心境だった。


(も、もう無理だ……負ける……あんなに追い詰めたのに……信じられない……)










 美化ッ! 























 美化ッ! 



























 美化ッ! 諦めるなッ!










 軽い放心状態の美化の頭の中に響く声。それは3年前に死んだ父の声だった。


 娘のピンチに天国からやって来たのかは定かではないが、美化にはハッキリ聞こえたのだ。



 それと同時に蘇る……父との記憶。









 ボカリッ!



「いてっ!」


「美化ッ! なんだ? 今の手は。適当に指しただろっ!?」


「う……うわーんっ!!」



 私が一度だけとうちゃんに叱られた時の記憶だ……。あの時も勝てると思ったのに逆転されて……ふてくされちゃて……ろくに考えずに適当な手を指したんだった……。


 懐かしいな。









 あっ、とうちゃん


 こんな事も言ってたね。







「美化。よく聞きなよ。将棋に限った事じゃないけどな、最後まで諦めない人間には、神様が奇跡を起こしてくれる事があるんだ」


「奇跡……?」


「うん。もちろん起きない時は起きない。でも、諦める奴には絶対に奇跡は起きないんだ。覚えときな」


「うん、わかった……」


 そう言ったらとうちゃんは、さっき叩いた私の頭を笑顔で撫でてくれた。


「ごめんな。痛かったか?」


「ううん。大丈夫。私もう諦めない」


「超かわいい〜♡ 美化〜♡」


「きゃはははっ!とうちゃんっ! 抱きつかんといてー! あっ、まみー! 助けてー!」


「にゃはははっ! 助けねーし!」



















「ふうっ、とうちゃん、ありがとう。私、諦めないからっ!」



 美化の瞳には鋭さが戻り、手の震えも止まった。盤上の景色からはもやが取れ、唯一の勝利への道筋が、雲間から射す太陽の光が照らすようにはっきりと見えたのだ。



 パチンッ!


 美化が力強く指したその一手は、壮大な詰み筋を視野に入れた勝負手っ!


 とはいえ、ここで影山映莉が間違えなければ美化は負ける。果たしてっ?



(影山っ! 私はやれる事をやったよっ! さあっ! どう来るっ!?)














 しかし、さっきまで流暢りゅうちょうに指し手を進めていた影山映莉の手は……全く動く気配がなかった。


 おかしい……と思った美化は、視線を盤から影山映莉の顔にゆっくりと向けた。


 すると、『彼』は目を閉じ、体はゆらゆらと前後左右に揺れていた。


(影山……? 寝てんのっ!?)


 その通り。影山映莉は寿司の満腹感とZ使用による多幸たこう感により、完全に脳を睡魔に支配されていた。


「影山っ! あんたの番だよ」


「あっ……うん……」


 パチン


 影山映莉が指した一手は『攻め』の一手。しかも、王手ではないッ!


 来たッ!美化の手番が来たッ!



(影山映莉……あんたの負けだよッ!)



 パチンッ!



 そこからの美化の指し手は鮮やかだった。いつもの影山映莉のお株を奪うが如く、的確に鋭く……残酷なまでに美しく……玉を追い詰めていく。


「あははっ……なんだよ、これは」


 影山映莉は負けを確信していた。


 そして、美化は最後の一手を指すッ!


 パッチーン!!


「よく考えてみたらさ。影山よりも、私のとうちゃんの方が何倍も強かったよ……大麻なんて使わなくてもね」


 113手にて、先手、渕山美化の勝ちっ!!

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