第106話 嫉妬

「やったね! じゃあ僕の部屋に戻ろうっ! あっははっ!」


 美化の返事にご機嫌の影山映莉は、机からピョンと降りて、軽やかに部屋に戻って行った。


 美化は殺されてろう人形のように冷たく固まった影山映莉の父親を見て、やるせない気持ちになり、胸が張り裂けそうだった。


「とうちゃん、見守ってて」


 美化は天国の父にそう告げると、恐怖で固まった体を奮い立たせ、影山映莉に続いて部屋に入った。


「さてと、将棋盤、将棋盤っと」


 影山映莉は机の引き出しから、プラスチック製の将棋盤と駒を取り出すと、ガラスのローテーブルの上の寿司桶をどかし、そこに将棋盤を置いた。



「さぁ! 始めようか!」



 2人は盤を挟み向かい合った。部活以外では初めての対局となる。


「ふぅ!」


 美化はまず、気持ちを落ち着かせる作業から始めた。なにせ盤の向こう側にいる丸坊主の影山映莉は、『清く』『正しく』『美しい』それを絵に描いたような、今までの彼女ではないのだ。


 自分の欲望にただひたすらまっすぐな、凶暴なモンスターなのだから。


 ぎゅ……


 そして、美化の左手は自然と右手の合谷を押さえていた。波打つ心が少しづつ整っていく。


「よしっ!」


「みーちゃん燃えてるねぇ。嬉しいな。でも、僕が後手でいいからね。ハンデだよ!」


 駒を並べながら影山映莉が言った。


「そう? ありがとう」

(ハンデね。完全になめてる。影山、少なからず同情はするよ。でも、絶対に死なせないから。自首させる! 私が勝って、目を覚まさせる!)


 そして、2人は駒を並べ終えた。


「じゃあ、私が先手で。お願いします」


「うん。お願いします」


 美化は駒に手を伸ばす。


 パチン!


 先手、美化、2六歩。


(影山、今日はなにを指す?)


 パチン、


 パチン、


 パチン、


 パチン!


 戦型せんけいかくわりこしぎんへと進んでいく。そして、三十数手、手が進んだところで美化は驚いた。今朝、研究していた局面そのものに盤上の駒が配置されていたからだ。


(すごい! 思い描いていた展開になってる! この手に影山はどう対応する?)


 パチンッ!


 美化の指したその一手に、今日初めて影山映莉の手が止まった。


「ふぅ〜ん」


 そう言って考え出した影山映莉だったが、急に美化に話しかけてきた。


「そういえばさぁ……」


「な、なによっ! 対局中に!」


「僕のあのスマホ……とか言ってたけど。誰に?」


「そんなの言うわけないし……」


「あーあ。なんであの時バカみたいに慌てちゃったんだろう。あれは未だに後悔しているよ」


「そう……」


「ちょうど鳩を並べ終えたところで、愛しのみーちゃんからLINEが来て、見ようとしてたらさ! なんかの視線を感じたんだよ」


「へえ。そうだったの」

(怪しげな奴? ミサさんのことだ)


「スマホを上着のポケットに突っ込んで、素早くその場を離れた。はずだったのに、スマホがポケットに入っていないことに気づいた」


「それでなくしたんだ……」


「すぐに戻って探したのにどこにもなくってさぁ。超ムカついたよ」


「ね、ねえ、その鳩に、親へのストレスをぶつけていたの?」


 美化のその言葉は、影山映莉の逆鱗に触れた。


「はあ!? なに言ってんのっ? それ正気で言ってんのっ!? 頭わるすぎ! ムカつくなぁっ!」


「ち、違うの?」


「違う違うっ! お前へのストレスに決まってんだろッ! あーイライラするなあっ!!」


「えっ? 私っ!?」

(私のこと好きなんじゃないの? 私のなにがムカついたわけっ!?)


 影山映莉は立ち上がり、言った。


「恋なんてしないとか言って、僕を安心させた癖に! 気づいたらさ、あっさり恋してんじゃん! はあっ? って感じ! ブチ切れそうだったよ、あの時は」


「そ、そうなっちゃうのね……」


「最初にさあ! 『残酷のネル・フィードの話をしてる先生がいた』って聞いた時、嫌な予感はしたんだよねえっ! 恋に発展するんじゃないかって。あの時は不安が抑えきれなくなってさ、切り刻みたくなっちゃったわけよっ! ごめんね! 鳩ちゃん! 猫ちゃん! 全部、嘘つきの渕山美化のせいだからねっ! 僕は悪くないんだっ! あはははッ!」


「そ、そのイライラと不安を抑えながら、私の恋を応援している『フリ』をしていたんだね……」


「本当だよ。でも、あの時に感情的になってたら、長年かけて準備した計画が台無しになっちゃうだろ? 仕方ないと割り切ったよ」


 影山映莉はゆっくりと座り、駒へと手を伸ばす。


 パチンッ!


「はい。嘘つきみーちゃんの番だよ」


「う、うん……」

(研究の中でも最も難解な変化に突入する一手を指してきた。あんなにベラベラ喋りながら指してこの実力。やっぱり影山は強いッ!)


 美化は鳩殺しの原因が自分の恋のせいだと知り動揺していたが、そんな中でも、影山映莉の将棋の才能には嫉妬していた。

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