第104話 恐怖の旋律

 美化がゆっくりと挨拶をしながら部屋に入ると、まず目に入ったのは大きな本棚だった。


 その大きな本棚には、難しそうな本がずらりと並べられている。クラシックのCDも、その横の棚にびっしりとコレクションされていた。


「どうも。お邪魔してます。渕山美化と申します」


 そう言いながら、机の椅子に座っている影山映莉の父親に、ゆっくりと目を向けた。


 眼鏡をかけ、白髪混じりの髪は七三に分けられている。


 顔は蒼白で生気を感じない。


 口からは一筋の血が流れており、腹部には包丁が深く突き刺さっていた。


 出血はおびただしく、よく見れば床には血痕が無数にあった。





「はっ!! はぁぁああ!?」


 美化は驚きで一瞬息が吸えなくなった。


「きゅっ! 救急をっ! 救急!」


 言葉もままならない。


「あははははははははははっ!!!!もうっ、死んでるってぇっ!」


 影山映莉は再び、ドヴォルザークの『新世界』をかけた。そして、大きすぎたボリュームを下げ、程よい音量の中、話し始めた。



「この曲、この人のお気に入りでさ。みーちゃんもだいぶ気に入ってくれてたみたいだったけど、僕はねぇ、なんだ。この曲」


「そ、そんなっ……!」


 美化は初めて殺された人間を目にして全身が震えて動けない。


 大好きだったドヴォルザークも、いまや恐怖をあおる旋律でしかない。


「大嫌いな父親の大好きな曲をさ、連絡が入る度に聞いてさ、殺意をより大きく、たくましく、育てていたんだ。お陰でさ、昨日なんの躊躇ちゅうちょもなくを叶えることができた」


「な、なにをっ、なにを言ってんの!? こ、こんなことしたらっ、警察に捕まっちゃうしっ! それに……」


 美化は恐怖の中、友としてなんでもいいから言葉をかけたかった。


「警察? 捕まる? ないない」


 影山映莉は飄々ひょうひょうと言ってのけた。


 そして続けた。


「前にみーちゃんの家で言ったこと覚えてるかな? の時だけど……」


「影山が言ったこと? なに?」


「あの時、僕が言った……」







『みーちゃんと親友になりたかったの……それには恋の相談をするのが1番だと思わない?』











「って、あれ嘘だからっ! あははははははッ!」


「う、嘘っ!? なによそれっ!」


「あはははッ! みーちゃんってばさ、あっさり信じてくれるから、そういうとこも超かわいいよ♡」


「じゃ、じゃあ、なによっ! あの嘘の告白の相談はっ! 親友になりたいんじゃなかったならなんなのっ!?」


 プツンッ!


 影山映莉がドヴォルザークの新世界を止めた。静寂の中、影山映莉は真顔で話し出した。


「僕は君のことが大好きだったから、他の女の子なんて目に入らなかったよ。友達を作ることもせず、『学業』と『将棋』それに大半の時間をつぎ込んだ。すべては。まずは将棋の実力をアマトップレベルにまで上げて、君と同じ高校に入学する。そして将棋部に入り、君のふところに潜り込む。その作戦を実行する為に、僕は中学時代、毎日毎日将棋を指し続けたんだ」


「わ、私の懐に潜り込む? 作戦? な、なにそれ……」


「執念と情熱! その2つがあればできないことはないんだっ! 君の学力レベルが分からなかったから、とにかくどこの高校にでも入れる頭脳も必要だった。将棋と同じくらい、勉強もした。そして準備万端で僕はみーちゃんの家から1番近い『鈴姫すずひめ高校』を受験した。ビンゴだったねぇ! ちゃんとみーちゃんも同じ高校を受験してくれていた! そして、2人は晴れて鈴姫に入学! あははははっ♡」


「な、なにそれ。そこまでして、もし、違う高校に私が入ってたら、どうするつもりだったわけ?」


「知ってるよね? 影山映莉は天才だよ。県内のどこの高校でも入れる頭脳は持ってる。編入試験でもなんでも受けて、みーちゃんを追いかけてただろうね。あはははッ!」


「将棋が強くて、頭もいい。そ、そういう理由だったのか……」


「そうだよ。でもさ〜、なかなかクラスまでは一緒になれなかったよね〜」


「そ、そうだね……」


「でも、将棋部で4年振りに君と再会できた時はさ! 興奮しておしっこ漏らしそうだったよぉ♡」


「おしっこて、はは……」


「でも予想通りっ! みーちゃんは気高く、容易に心を開いてはくれなかった! そうでなきゃっ! て思ったけどね♡」


「あ、あれは同世代が苦手というかなんていうか……」


「ふふふっ。でもみーちゃんは口よりも盤上で会話する方が打ち解けてくれたもんね!」


「同級生にあそこまでコテンパンにされたのは正直生まれて初めてだったし。あはは。影山の作戦に見事にハマって友達になっちゃったよ」


とか言わないで。素直ないい子ってことだよ♡ 焦らずゆっくり1年かけて、ようやくみーちゃんの心の扉がひらいたんだ。本当に嬉しかったよ♡」


 その影山映莉の言葉に、美化は苛立ちを隠せなかった。


「そ、それなのにっ! あの恋の相談が親友になる為じゃなかったって、どういうことよっ!」


 影山映莉は天井を見上げ、目を瞑って話しだした。


「鈴姫高校に入学し、君と再会し、が始動したんだ……」


「新たな、計画?」


「それにはまず『僕が君のことを大好き♡』という事実に、フィルターをかける必要性を感じたんだ」


「フィルター?」


「そうさ。影山映莉は普通の『恋する女子高生』っていうね。中身が男で君に恋してるなんてバレるわけにはいかなかった。なんの警戒もなく、影山家ここに来てもらう為にはね……」


「嘘の恋の相談や告白は、私をここに呼びやすくする為……?」


「ああ。でもまさか、基本的に人嫌いの君が、あの3人に告白された感想を聞いて回るとは思わなかった。完全に誤算だったよ」


「あの時は夢中で、影山みたいな可愛い子が、なんでそんな連続で振られるのか意味が分からなくてさ」


「そっか。ごめんね。嘘つかれてたのを知ってショックだったよね? でも『親友になりたかったから』って言われてさ! 嬉しかったんでしょ? のみーちゃんには相当突き刺さったよね? あはははッ!」


「こ、このっ……!!」


 美化は影山映莉にビンタのひとつもしてやりたかったが、いまだ目の前の殺された人間の恐怖は、体を硬直させていた。

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