第103話 新世界の始まり

 ギュウッ!



 向日葵の種の袋を胸に押し当て、頬を紅潮させて話を続ける。



「壇上から降りてきた君は、まっすぐ僕に近づいてきた。覚えてる?」


「えっ!? 私が初対面の影山のところにっ?」


 美化は全く記憶になかった。


「そうだよ♡ そして僕の目を見て君は言ったんだ」


「わ、私、なんて言ったの?」

(おいっ! 小6の私ッ! なにやってんの!?)














『あんた、ちゃんと将棋勉強したら強くなるよ。やってみたら?』










「だって! くっ、あははっ! 大好きな女の子にそんなこと言われてやらない男子はいないよね?」


「私がそんなことを……?」

(なんかちょっとだけ思い出してきたかも。あの時は序盤に翻弄されたのが悔しくて……)


「そして、さらにっ! 君が表彰式でもらったこの『向日葵の種』を……」










『これもあげるよ、私いらないから』











「って言って、僕にくれたんだよっ♡ マジで痺れた。全身に電撃が走ったよ。こんな可愛くて、カッコいい女の子がこの街にいたんだって!」


「向日葵の種、確かに……」

(花なんて興味なかったし、邪魔くさかったから放り投げて渡したかも。うん、渡したな)


「僕はその後、君の家までついて行ったんだ♡ バレないように! あはははッ!」


「えっ!?」


「だからもうその時から、実は知ってたもんねっ!」


「それ、ストーカーじゃんっ!」


「何言ってんの? 純粋に好きな子の家の場所を知りたかっただけじゃないかぁ。その後、僕のことなんて1回も目にはしなかっただろお?」


「だ、だけどっ! 分かったよ、影山。あんたの心は男子なわけね? そして私のことをずっと前から好きだった。そういうことね?」


「は〜い♡ その通りっ!」


「それはさ、ありがたいことだよ。ありがとう。でも、私がその気持ちに答えられないってことは影山が1番よく分かってるよねっ?」


「もっちろんっ!」


 影山映莉は満面の笑みだ。


 すると、隣の部屋からだろうか? 聴き慣れたあの曲が聴こえてきた。


 かなりのボリュームだ。




「し、新世界……!?」




 美化は毎朝、いま鳴り響いているドヴォルザークの新世界の調べで起床している。それは影山映莉のスマホから流れていたのを聴いて気に入ったからだった。











 ……去年の夏。



 影山映莉から先輩、望月への恋の相談を受けている時の事だった。


「そんなにいいの? 見たところ望月先輩って、かなりのオタク系だしッ!」


「なんていうのかなぁ? っていうの? 自分のことを『拙者』って言うとことか、かなりポイント高いんだけど……」


「私には全く分からんわー」



 その時だった。影山映莉のスマホから着信音の『新世界』が流れた。


「みーちゃん、ちょっとごめんね」


「かまわんよ」


 彼女はスクールバッグからスマホを取り出すと、冷めた顔で電話に出た。


「もしもし……はい……大丈夫です。はい……分かりました。はい……それじゃあ……」


「だ、誰?」


「あ、あぁ。お父さんだよ」


「お父さんっ? そ、そう……」

(めっちゃ敬語だったやん! そ、そんな感じなのか、影山んちって……)


「で、あと望月先輩ってね!」


「影山っ! ちょっと待ってっ!」


「なに? どうしたの?」


「さっきの着信音、あのめちゃかっこいい曲はなんぞや?」


「えっ? かっこいい? みーちゃんさっきの曲を気に入ったの?」


「うんっ。めっちゃ気に入った! で? なんて曲?」


「ドヴォルザーク……新世界より」


土木どぼくの新世界?」


「ドヴォルザークだからっ! 絶対わざと言ってるでしょ! もうっ」


「あはは! ドヴォルザークね! よーし! 明日から私はドヴォルザークで目覚めることに決めた!」


 こうして、美化のめざましはドヴォルザークの新世界になったのである。








「隣の部屋に誰かいるの?」


「実はお父さんもお母さんもいるよ。2人とも昨日、海外から帰って来たんだ。普段は2人とも街中の高級マンションで暮らしているんだけど……」


「え? じゃあ影山はずっとこの家にひとりで暮らしてるってこと?」


「2年前まではお手伝いさんがいたんだけど、私が言って辞めてもらってからは……そうだね」


「で、海外で働いてる両親は日本に帰ってきても、ここには来ないで街中の高級マンションなんだ?」


「まあね。私もあの2人とは一緒にいたくないから。でも、今回は友達のみーちゃんが来るということでお願いしてこっちの家に来てもらったんだ。昨晩は8ヶ月ぶりの親子の再会だったよ……」


「じゃ、じゃあ、挨拶しなきゃ!」


「挨拶? じゃあ行く?」


「あっ! でも影山、その頭、怒られるんじゃっ……」


「大丈夫だよ……」


 影山映莉はゆっくりと部屋のドアを開けた。部屋を出ると、さらに新世界の音の大きさが増した。


 コンコンッ!


「お父さんっ!! 入るよっ!」


 影山映莉が父親の部屋のドアを開けた。


「わっ……!」


 美化は声が出てしまった。それほどまでに音が大きいのだ。



 プツンッ!!



「お父さんっ! 音が大きいよ!」


 影山映莉はオーディオの電源を切った。新世界が止み、とたんに静寂に包まれた。


「こ、こんにちは〜……」


 美化は緊張の面持ちで、影山の父親の部屋に入った。

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