第67話 砂漠

 帰宅すると祖母と母、特に母の笑い声が家中に響いていた。


「な、なになにっ!?」


 美化は眉間にしわを寄せながらリビングに向かう。


「はあー、おっかしっ!!……あっ、娘よっ! おかえりまんぼっ!」


 妙なテンションの母がティッシュで涙を拭きながら言った。


「ただいま。で、何笑ってんの?」


「今日はゲラステのスペシャルよ♪」


「あーそうなんだー」


 ゲラステとは母のお気に入りのお笑い番組である。


「今さ、ひとりカラオケ行ってきたんだよね」


「あーそうだったの? いいなぁ。最近行ってなかったもんね! メルヘンチック〜!」


「また、今度、行こうよ。3人で」


 と、言った瞬間、CMがあけ、母はクルッと美化に背を向け、テレビの方を向いた。


 母はよく言っている。


 お笑いは人を笑顔にするアートだと、芸人を心から尊敬すると、再婚するなら芸人がいいと。


「美化、牛丼買ってきてやったから心の底から感謝して食べな!」


 母がテレビを見ながら言った。


「あっ! 本当だ! ちょうど食べたい気分だったしっ!」


 美化はテーブルの上に置かれた牛丼に気づくと気分が上がった。


 そして牛丼を食べながら一緒にゲラステを見て笑った。


(牛丼がおいしい……テレビが面白い……こんな当たり前がなんて幸せなんだ……)


(砂漠を彷徨さまよい、瀕死ひんしで帰ってきた人は、多分これ以上にすべてから幸せを感じ取れるんだろうな……)


 美化は家族に囲まれ幸せを感じ、今、自分は砂漠の中のオアシスにいるんだと……思えてならなかった。


(私は影山と是露先生の2つの問題を同時にかかえた砂漠を彷徨う可愛い旅人……)




「はぁ……砂漠……広い広い先の見えない……ラクダに乗って、牛丼オアシス……」


 今後の事を考えすぎて、無意識に変な事を言ってしまった。


「なにそれ? 美化っち! 面白いんですけどぉ!」


 母はゲラステに夢中で、なんでも面白くなる物質が脳から分泌されていた。


 実はそれが娘の悲痛な叫びである事も知らずに笑い転げていた。



「にゃははははっ!」



 だんだん母の笑い声にむかついてきた美化は、牛丼を食べ終えると、風呂の底の栓をして、湯をはるボタンを押した。


 ピッ!


「はあっ……美沙子め……人の気も知らないで……」



 そして2階の部屋へと戻った。


 机の上の影山映莉のスマホが美化を出迎えた。


「影山……」









『犯人は女だ』





 影山映莉に直接事情を聞くまで、井戸上ミサの話を素直に受け入れる気分にはなれなかった。


 それほどまでに美化の中で影山映莉とは絶対的存在だった。


 しばらくして風呂の湯が溜まったメロディーが聞こえた。


 1階に降りると、リビングには母の独特な笑い声が未だに響いていた。


「にゃははっ! かまいたちヤバいっ! ふ、腹筋がっ……! にゃはっ!」


 そんな母をジロリとにらんで、風呂へ向かう。そして少しのはる方の、ヒノキの香りの固形の入浴剤をお風呂へ投げ入れた。



 ポッチャンっ!しゅわわわぁぁ……



 シャワーを浴び、湯船に浸かる。



「くひ〜! あちゅい〜! てやんでいっ!」


 少し熱めの42度に設定されていた為、自然と江戸っ子になってしまった。



 ポチャン……



(ふぅ……カラオケ楽しかったなぁ。にしてもあのお店……狼? 何の店だったんだろ? ちゃんと見ればよかった。さすがに狼は売らないだろうし)


 そう言うと美化は歌を歌いだした。



「沈む様〜に溶けてゆくように〜♪」



 カラオケでも思った。歌っている時は結構辛いことを忘れていられる。


 何なら前向きになれると。


 歌にはやはり不思議な力があるんだなと、つくづく思った。











 チュン、チュンチュン




 時計は6時34分。





「う……う〜ん……」




 美化は若干の疲れとともに起床。Zの真実を確かめに、是露の家に行く日の朝がやって来たのだ。

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