第66話 狼

 悪夢にうなされた後、ぐっすり眠った美化みけ。目が覚めたのは午後の3時だった。合谷のおかげか、だいぶ落ち着きを取り戻していた。


 暫くボーッとしていた美化だったが、ふと名案が浮かんだ。


「そうだ! 気晴らしにひとりカラオケって……よくない?」


 渕山家ぶちやまけはみんなカラオケ好きだった。しかし、最近は行けていなかったのである。


「もう1年ぐらい行ってないかも知れない……よし! カラオケ行っちゃうぞー!」


 美化は行きつけのカラオケ「メルヘン」に、ひとりで行く事にした。


「おばあちゃーん、私メルヘン行ってく……あ!」


 祖母はこたつの座椅子で気持ちよさそう眠っていた。起こさないように、美化は静かに玄関を開け、外に出た。


「出発進行〜っ!」


 自転車にまたがりペダルを踏み込む。久々のカラオケに心が弾む。


 メルヘンには5分ほどで到着した。


 そして白い扉を開けて中に入った。


「いらっしゃいませ……あっ! 美化ちゃん! 久しぶりっ!」


 メルヘンは母の友人、藤木ふじき あやが経営するカラオケBOXなのである。


「綾さん! お久しぶりでーす!」


「今日は1人なんだね。美沙子みさこ、腰良くなった?」


「はい! 整骨院に行ったら超良くなったんですよ!」


「あー、あまてらすとかいう?」


「そうです、そうです」


「で、いつも3人なのに、ひとりカラオケなんてどうしたの? めずらしい」


「ちょっとばかしストレス発散に」


「あはは! JKも楽じゃないわね。たっぷり発散してってよ!」


「もちろんです!」


 美化は受付を済ませ、ドリンクバーのコーラを持ち、207の部屋へ。


 隣からは男性客の歌声が響いている。


「お? セカオワ歌ってる! 私は何歌おうかなぁ? やっぱりYOASOBIかな! 群青から歌おうっと!」


 美化は嫌な事を吹き飛ばすように次々と歌った。


 桜のKIRIKABUを始め、最近の流行曲、懐メロ、演歌に至るまで……美化のレパートリーは非常に多い。


「津軽海峡ぉ〜♪ 冬景色ぃ〜♪ あー楽しいっ! 1人カラオケも悪くないねっ!」


 3時間があっという間に過ぎた。


「暗いから気をつけてね! また3人で来てよね〜!」


「はい! 近いうちに来ます〜! おやすみなさーい!」


 美化はメルヘンを後にした。もう辺りは真っ暗。カラオケで火照ほてった顔に、冷たい風が心地よかった。


 自転車のハンドルを自宅方向にきった、その瞬間だった。


 道の向こう側に、シャッターの閉まった1軒の店がチラッと見えたのだ。


(……あんな店あったっけ?)


 美化はその店を一瞬見ただけで、それほど気にすることなくペダルを踏み込んだ。ただ見えた看板には……


 『おおかみ


 と、言う文字があったことだけが頭に残った。


「次は『ずとまよ』の新曲覚えてこようっと♪ ふんふんふ〜ん♪」

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