第53話 涙

 美化はベッドに横になり、今日を振り返っていた。天井のポスター……西丘愛朱にしおかあいすはいつもと変わらぬ笑顔。



(昨日、今日で私の人生激動……。今まで自分では彩りのある満足な人生だと思ってた……)


(なんの不満もなく、日々充実……だったはずなのに。是露先生と会う前の自分と今の自分とでは、全くの別人……と思えるぐらい見えてる景色が違う)


(人を好きになって、それが恋だと気づいて、それを確かめ合う。こんな人間の本能に促されるままに動けてしまう自分がいたなんて初めて知ったし)


(是露先生に出会ってなかったら、こんな自分を知らないまま、あと何年過ごしていたんだろう?) 


(好きな人が淹れてくれたコーヒーの味、好きな人が大好きなカップ麺の味、好きな人と同じものが好きで、それを語り合える喜び……)


(好きな人に抱きしめられる幸せ……好きな人の匂いを嗅ぐ快楽♡ こんなに沢山の初めてを1日で経験するなんて……いつ以来だろう?)


(こどもの頃に初めて行った遊園地や動物園……その時のトキメキに近いのかなぁ? はぁ……これが大人の階段なの? 私はその階段に足を一歩、踏み入れたって事だよね?)


(よしっ! 決めた! 宮古田カルチェに是露先生の事を相談してみようっ! もし、カルチェが私の立場でテーブルの上のZに気づいたらどうするのか?)


(好きな人の秘密……しかも犯罪。カルチェはそれでも「ぞくぞくしてたまんない」って言えるわけ?)


(私はせっかくの恋のキュンキュンに変な痛みが混じっちゃって苦しいよ。同じ人を好きになったカルチェになら……この辛さ……分かってもらえるのかな……?)


 美化の目からは、自然と涙が流れていた。


 やはり17歳の少女の初恋にしては、感情の振り幅が大きすぎてコントロールするのが大変だった。


 美化はとりあえず是露に無事に帰宅したという事と、今日のお礼をLINEした。


 是露からもすぐに返事が来た。


ピコッ☆[今日はありがとう♪ また肩が痛くなったらいつでも整骨院にお越し下さいね!おやすみなさい♪]


「せ、整骨院? 是露先生んちじゃないんだ……」


 美化は是露の返信によそよそしさを感じて少しがっかりした。


「もぉー! 嫌っ! だから恋なんてしたくないんだよっ……こんなんでいちいち寂しくなるなんて……バッカみたい! う〜……」


 美化は枕に顔をうずめ、息を止めた。


「う〜……ぷはぁっ! はあっ! はぁ……そうだ……影山にも連絡入れとかないとっ……」


 美化は再びスマホを手に取り、LINEを送った。



[今、帰宅しましたよっ!楽しかったよ♪]ピコッ☆


「……はあっ……本当は楽しいだけじゃなかったけどさ〜……」









 ………それから、10分経っても20分経っても、影山映莉からの返事はなかった。


「あれれ? なかなか返事が来ない……お風呂かな?」


 そういう事ならばと、美化もお風呂に入る事にした。


「はぁ……」


 湯に身を任せ、軽く体を浮かせた。

少しでもこの重い気持ちが軽くなるように……。


 しかし、そんな事で心の重りがなくなる事はなく、不安定な気持ちのままお風呂を出た。


 その後、将棋もゲームもする気にならず、桜のKIRIKABUを聴く事もなく、ただただベッドに横になって是露の事を考えては、溜息をついていた。


 影山映莉からの返事もないまま、美化は知らぬ間に深い眠りに落ちたのだった。












 翌朝。


 いつもの『新世界』と共に起床。


 とりあえずルーティーンをこなす。


 スマホには依然、影山映莉からの返事はない。


「どうしたのかな? 影山さん」


 美化は1階へ降りた。


「おはよう。美化」


「おはよう。おばあちゃん」


「なんか疲れた顔してない?」


「えっ? まぁ、いろいろあるわけよ。美化ちゃんにもさぁ……」


「いろいろ? いろいろあっていいわねぇ。私なんてもうなにもないわよ」


「またまたぁ〜! 何言ってんの! 趣味だらけの女のくせに」


「はい! 今日は里芋とにんじ〜ん」


「あっ! 里芋好き〜♡」


 祖母の味噌汁を飲んで、ようやく心のざわつきが和らいだ気がした。


「おばあちゃん……ありがとう」


「えっ? どしたの? 美化」


「毎日おいしいお味噌汁作ってくれてありがとうって事ですよっ!」


「いえいえ、どういたしまして……って、急に感謝されたら照れるわよ」


 美化は朝食を終え、2階へ戻る階段を上りながら、泣くのを堪えていた。


 そして部屋に入り、制服に着替えようとした……その時だった。


 かすかに……ほんの微かに制服からした甘ったるい香り。それは是露と初めて残ネルトークをした日に、マッサージ用のタオルから制服についてしまった宮古田カルチェのblack holeの香りだった。


 それを嗅いだ瞬間、美化は一気に大粒の涙をいくつも溢した。


「こんなに好きなのに……どうしたらいいの?……助けてよお……」


 美化はその微かに甘ったるい香りのする制服に顔をくっつけて暫く泣いた。

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