第11話 特に気になるのがニアを見た時の表情である。

 その人は右手に万年筆、左手に手帳を持っていた。眉は八の字で体格は小柄、如何にも気弱そうである。それに顔色が悪い。顔に覚えはないから、村の者でないことは確かである。ただ妙なのが瞳の色だ。通常は黒いのだが、時々ほんの一瞬、紫色に変化して見えるのだ。ただそれはとても薄い紫色で、あるいは俺の気のせいかもしれない。


「な、何か用が」と俺は言った。

「すみません。いきなり話しかけてしまって。あなた方は旅のお方でしょうか」その人は俺の全身を下から上に見た。そして何故か、残念そうな顔をした。

「そうだ」と俺は答える。

「でしたら、私の馬車にお乗りください。目的地まで送って差し上げますよ」


 何だこいつ、怪しすぎる。特に気になるのがニアを見た時の表情である。彼は俺の時と同じように足元から下半身、上半身、顔の順にニアを舐めるように見ると、なんとも気味の悪い表情をした。


 ニアは男の表情を見て、俺の背後に隠れた。


「王都まで行きたいんだ」俺は試しに嘘をついた。

「王都ですか。これまた遠いですね。ですが問題ありません。送って差し上げます」と男は涼しい顔をしている。


 王都はここから馬車で行けば軽く半月は掛かる距離だ。


「ねぇ、この人変よ。それに凄く気持ち悪いわ」ニアが小声で俺だけに聞こえるように言った。

「あぁ、分かってるよ」と俺も小声で答える。


「有難いけれど、馬車は必要ないんだ。走った方が早い」俺がそう言った時、今までより濃く彼の瞳が紫色に変化した。気のせいではないようだ。

「け、検閲、この先に検閲があるんです」男は必死な様子である。

「検閲?」

「はい、と、盗賊が、検閲しているんですよ。あ、間違えた。王都へ行かれるということはラハンで宿を借りるのでしょうが、街の入り口で門番が検閲をしているのです。あなた方のように何も荷物のない人なんて余計怪しまれますよ。私の仲間ということにすれば、問題なく街へ入れます。私ラハンへよく行きますので分かるのです」男は早口になった。


 盗賊と門番を言い間違えたのかこいつ。そんなことあるか。ただ門番による検閲が事実であればこれは厄介である、と俺は都合よく考える。俺の中にいる悪魔がこういうのだ。楽をしたいだろう、と。村の奴らだって俺たちがラハンへ向かったとは分かっていないはずだ。あまり急ぐ必要はないかもしれない。それにどちらにしても千里眼があればこちらの居場所は明るみになる。


「少し待ってくれ」と俺は男に言った。


 そしてニアと共に5歩ぐらい彼から離れた。


「なぁ、送ってもらおうぜ」俺は小声で言う。

「嫌よ。私あの人の雰囲気凄く苦手だわ」ニアは本当に嫌そうな表情だ。

「大丈夫だよ。最悪何かあったら全力で逃げよう」


 彼女は渋い顔をしたが、3秒くらい経って「あなたがそう言うなら」と言った。

「よし決まり」俺とニアは5歩男に近づいた。


「さっきは断ったけど。やっぱり一先ずラハンまで頼めるかな」と俺は言った。

「え、良いのですか。やった。これできょ、私の馬車は乗り心地良いですよ。さあさ、こちらへ」


 今なんと言いかけたんだ、こいつ。


 俺とニアは男の案内のままに馬車の荷台に乗った。荷台には白い毛皮が積まれている。何の毛皮だろうか。


「何の毛皮なんだい? これ」と俺は言った。

「それはメツジの毛皮です。今年は高く売れそうなんですよ」男はにひひと笑った。

「へえ、触ってみても良いかい?」

「だ、駄目! 駄目です!」


 男は必死な様子でそう言った。その額からは脂汗が滲んでいる。


「そ、そんなに大事なのか……悪かったよ。商品だもんな」別にズタズタに引き裂こうってんじゃないのに。

「私も少し取り乱してしまいました。命より大事な商品なんです。すみません……それじゃあ出発しますね」


 男はその傍らへ手に持っていた万年筆と手帳を置くと、手綱を引き馬車を動かし始めた。


わたくし、ここ暫く1人旅でしたので寂しかったんです」そう言う男の背中は猫背も相まって確かに寂しそうに見える。

「こちらこそ、有難いよ」俺は男の背中を見て言った。

「仲間と旅をしていたこともあるの?」とニアが男に尋ねた。

「はい、ですがいつも逃げられちゃうんです。何も言わず消えてしまうのです。綺麗さっぱりです。もぬけの殻、まるで最初から私1人だけだったみたいに」


 男はケケケと笑い声を上げた。昔ニアと呼んだ絵本の悪役がちょうどこんな笑い方をしていたな。


「人格に難があるのよ」ニアは小声で俺の耳元に言う。


 俺は黙って頷いた。


「あんたの目は時々紫色に変化するけど、あれは何なんだ?」と俺は言った。


 男の背中がほんの一瞬固まったように見えた。


「そ、そうでしたか。昨日、悪いものでも食べたのかもしれませんね、あはは。いえ、実は特別製のカラー・コンタクトをしているのです。時々色が変わるんですよ」男はわざとらしく笑う。


 こいつを見て怪しくないと思う人間はこの世にいるのだろうか。モンスターたちだって怪しむぜこりゃ。兎にも角にも、油断しないように気を付けよう。


「今更だが、俺たち何の報酬もあんたに与えてやれないぜ」降りる時になって法外な要求をされたらぶん殴って逃げよう。

「そこは安心してください。私はただ純粋に、話し相手が欲しかっただけなのです。数週間の旅ですが、仲良くしてください」と男は言った。


 そうだった、王都までの旅と俺は嘘をついたのだった。まあ良いか、ラハンで降りる時に言おう。


「あなたは王都に何か用があるの?」とニアが男に尋ねた。

「あんなとこに用なんてありますよ。馬車に積んでいる毛皮を売りさばくんです。高く売れますからね。あそこには金持ちも多い」


 ”あんなとこに用なんてありますよ”と俺は心の中で復唱してみる。


「この人、変な薬でもやってるんじゃないかしら」ニアの吐息が俺の耳の中に入り込んできた。


 おかげで俺の背中はぞくぞくした。


「そうかもしれない」と俺は小声で言う。「君よりはまともだけどね」


 ニアは俺を睨むと、わき腹をつねってきた。


「痛い!」俺は結構な大声を上げた。

「どうかしたのですか!?」男が驚いた様子で振り返る。

「い、いや、何でもないんだ」

「そうよ、何でもないの」とニアは笑っている。

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