第9話 俺は音を立てないように慎重に地面まで下りて、手ごろな石ころを右手に拾った。

ニアはゆっくりと目を開け、最初に俺の顔を見た。


「それじゃあ、下ろすよ」と俺は言う。

「えぇ。ありがとう」ニアは俺の首元から手を解いた。


 彼女を下ろした俺は、走って来た方向、つまり村のある方角を眺めた。しかし周囲には今居る木より高い木もあったので、森の外の様子は見えない。


「少し待っててくれ」と俺は言った。

「どこか行っちゃうの?」ニアは不安げな様子である。

「村からの追手がないか、確認したいんだよ。大丈夫。すぐに戻るから」

「すぐに戻ってきてね。じゃないと泣いちゃうから」

「すぐに戻るよ」


 俺は同じ高さの木のてっぺんへ飛び移る。今日は体力を消耗するな。何度か飛び移り続けたところで、ついさっき駆けていた草原が見えてきた。月明りのおかげでよく見える。今日が満月で助かった。村はもう遠くにあり、拳ほどの大きさだ。


 草原を俺は凝視したが、人影は認められなかった。広いので完璧には確認できないが、少なくとも近辺に人がいる様子はない。しかし腹が減った。明日の体力のことを考えると、腹ごしらえはしておきたい。


 ちょど良い小型モンスターはいないだろうか、と思っているとバサバサと羽音が聞こえた。音の聞こえた方向を見ると、ちょうど隣の木の枝にズクロウが止まったところであった。ズクロウは夜行性の鳥で、その身には美味い肉が詰まっている。調味料がないのは残念だが、こればかりは仕方がない。


 俺は音を立てないように慎重に地面まで下りて、手ごろな石ころを右手に拾った。


「よし」俺は左手でズクロウに照準を合わせ、力の電圧を発動させ思い切りよく石ころをぶん投げた。石ころは見事ズクロウに命中し、羽音もたてず木の根元に落ちてきた。上手く頭に当たってくれたようだ。これが胴体とかに当たると悲惨なのだ。血はだらだら流れるし、苦しそうな鳴き声、立ち上がれず地面を叩くばかりの羽。あまり思い出すと良くないな。


 今回は頭に当たってくれたので、血もあまり流れていない。


 俺はズクロウを手に森の間を流れる川まで行った。


「人間のほとんどは水でできているってな」俺はそう独り言を呟いて水筒に水を汲んだ。


 ニアの居る大木の頂上まで戻ると、彼女はその中心で膝を抱えて座り込んでいた。そうそう落ちる心配がないとはいえ、高いところであることに変わりはないのだ。


 俺が戻って来たことに気付いた彼女は少し安心したのか、ゆっくりと立ち上がった。


「これを今日の夕飯にしよう」俺はズクロウの首根っこを掴んでいる。

「あなたこれどうやって」ニアはズクロウをまじまじと見つめた。

「石ころをね、ぶん投げたんだ」と俺は得意になって答えた。


「焚火をするから、枯れ枝と枯葉を取って来るよ」と俺は言った。

「ここでして大丈夫なの?」ニアは首を傾げた。

「あぁ、大丈夫だよ。この木は生きてるし水分も多いから火事になることはない」

「へぇ、詳しいのね」

「何度か来たことあるんだよ。ほら、君の足元、黒くなってるだろう。これ焦げ目なんだ」


 実はここで何度か、ズクロウを1人で食べたことがある。


「私も連れて来てほしかったわ」ニアは少しむすっとした。

「だって君、高いところ苦手だから」と俺は弁明する。

「ふふ、冗談よ」


 ニアはズクロウを見ながら腕まくりをすると「私がこの子を解体しちゃうわ」と言った。

「頼んだよ」俺はニアにズクロウとナイフを手渡した。

 

 ニアは結構こういうのが得意である。俺とよく遊んでいたせいだけど。最初の頃は俺が小型モンスターを解体するのを手で顔を覆い待っていた。しかし何度目からか手の隙間から解体を覗くようになり、いつからか自分から率先して解体するようになっていたのである。慣れとは恐ろしいものだ。


 地面に下りた俺は、枯葉や枯れ枝を見て思う。でかい、と。枯葉の一枚一枚は俺の胴体ほどの大きさだし、枯れ枝だって俺の太ももぐらい太い。細長く分けてしまえば、どうってことはないのだが。


 枯葉、枯れ枝を持って戻ると、ニアは既にズクロウの毛をむしり終えていた。ズクロウはすっかりつるつるになり、そのピンクの肌を露出している。


「ファイ、血抜きをお願い」とニアは俺にズクロウを寄越した。

「あれ、血抜き苦手だったっけ」俺はズクロウを受け取る。

「血抜きは平気だけれど、高いところが苦手なの。ここに血だまりなんてあったら嫌でしょう」


 なるほど、そういうことか。


 俺は誤って落ちないよう気を付けながら縁に立ち、ナイフでズクロウの首を切り落とした。頭が地面へと落ちて行き、続いて首元から血が流れる。夜なので赤黒さを増した血は月明かりに照らされて妖しく感じる。感じるってだけで、実際はそうじゃないぜ。その血は触ればまだ温かいのだろう。


 ズクロウよ、俺とニアの糧になってくれ。


 血抜きを終えてニアのところへ戻る前に、俺は一枚の葉を木からむしり取った。さっきまで生きていた葉だ。これをまな板の代わりにしよう。そうしてニアのところへ行くと、彼女は何故かこちらに背を向けぴょんぴょん跳ねていた。


「き、気でも触れたのかい」俺はニアの背中へ問う。ニアはとうとう、おかしくなってしまったのだろうか。

「違うわよ」と彼女はすぐさま俺へ振り返った。「ただちょっと、地面が見えるかなと思っただけよ」


 気が触れていたわけではないのか。良かった。

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