第2話「ファイの方から話して」

「ファイの方から話して」ニアは俺から視線を外そうとしない。


 俺は彼女の琥珀に澄んだ瞳から、いつもと違うものを感じた。期待と何かが混じっているような、そんな瞳だ。俺がこれからニアに話そうとしていることが、彼女の期待する話でないことは明白だろう。それを分かりながらも、彼女が俺に何を期待しているのか、量ることはできなかった。



「あの領主に、村を出て行けと言われたんだ」俺は堪らず彼女から視線を逸らし、足元のしおれた三つ葉のクローバーに目を向けた。

「それでファイは、これからどうするの?」とニアは言う。

「どうするって、君にきちんと別れを告げてあの豚野郎を」




 最後にぶん殴ってやろうと思うんだよ、と言おうとしたのだが、言うことができなかった。何故か、それは俺がニアに平手打ちされたからだ。




「痛ぇ」俺はニアにぶたれた左頬をさすった。

「あなた今、何て言ったの?」彼女は俺を睨んでいる。

「え? あの豚や」

「その前よ、このバカ!」

「君にきちんと別れを告げてと言いました」俺はニアに正面向いて正座した。




 ニアは今度は俺の右頬を叩いた。それはさっきの平手打ちの半分ほどの力もなかった。彼女の両目には涙が溜まっている。




「ど、どうしたんだい?」俺は今にも零れ落ちそうな彼女の涙を拭った。

「何でそんなことも…分からず屋」俺が拭った後にニアの目からどんどん涙が零れて行く。




 ばちん! 俺はまたしても彼女にぶたれた。これは一回目よりも痛かった。


 どういうことだ? 意味が分からない。俺はとりあえずニアの両手首を掴んだ。もうぶたれたくないからである。朝ごはんに妙な物でも食ったのだろうか。


「腐り物でも食ったのかい?」俺は彼女の両手首を離さずに言う。

「違うわよ!」ニアは俺の手を振りほどいて立ち上がり、そのまま丘を下り始めた。




 どうやら俺の言葉は全く見当違いだったようだ。しかし、1つだけ確信できることがある。それはこのままニアを離してはいけないということだ。




「待ってくれ」俺はニアの右手を掴んだ。




 半身で振り返った彼女の顔は、泣きはらしている。一瞬抱き着きそうになったが、さすがに気持ち悪いのでやめた。




「お、俺と一緒に旅に出て欲しい」と俺は言った。

 それは無意識の言葉だった。咄嗟に出たのだ。

「どうして私があなたと旅に出なきゃいけないのよ」ニアはまたしても俺を睨んでいる。

「ニアがいないと、死んじゃうかもしれないと思って。かもしれないじゃなくて、絶対」

「絶対に死んじゃうの?」

「そう、絶対」


 彼女の怒った表情が、少しづつ崩れていく。


「何よそれ」彼女はそう言ってぎこちなく笑った。


 今日初めて見た、彼女の笑顔である。何とか正解できたらしい。俺は国語が苦手なんだ。


「分かったわ。私もあなたに付いて行ってあげる」ニアは嬉しそうな表情だ。さっきまでの泣き顔が嘘のようにけろっとしている。


 顔を取り換えたように表情が変わったのだ。


「え、良いのかい」と俺は言う。

「良いの。冗談だったとは言わせないわよ。ファイに二言は許さないんだから」

「冗談じゃないよ。本気で言ったんだ」




 ニアは俺の方から一緒に旅をしてくれと言って欲しかったから、俺を睨んだり、ぶったりしたのだろうか。それならそうと、どうして言ってくれなかったのか。




「それにしてもさっきのニアはヒ」俺は続きの言葉を思いとどまった。

「え、何?」ニアは首を傾げる。「何を言いかけたのよ」

「ひ、ひまわりみたいだと思って」

「ひまわり?」

「うん、そう、ひまわり」




 危なかったぜ。俺が言いかけたのは、ヒステリックそのものだったな、である。こんなことニアに言ったら、またぶたれるかもしれない。俺の両頬は未だに少し、ヒリヒリしているのだ。




「さっきの私がひまわりみたいって、どういうことよ」ニアは疑問の表情を崩そうとしない。


 彼女は俺の発言を流してくれないようだ。うーん、何て言えばちょうど良いくぼみに納まるか。


「えーと、さっきってのは俺をぶった時の君のことじゃなくて、笑ってくれた時の君を言っているんだよ。あの君の笑顔はまるでひまわりだった。あれには太陽だって勝てやしない」俺は必死に頭を回転させた。




 これで、誤魔化せたはずだ。多分。




 おや、ニアはどうしてか照れているようで、顔を赤らめている。意味が分からない。




「ふふふ、そうなんだ」ニアは微笑みを俺に向ける。




 よく分からないが、嬉しかったようだ。




「ファイの笑顔も素敵よ」彼女はそう言って俺の頬に手を伸ばした。




 また平手打ちされるのかと俺は身構えたが、ニアは俺の頬を撫でるのだった。




「叩いちゃってごめんなさい。でも、ファイが酷いこと言うからいけないのよ。私から離れようだなんて考えないで」とニアは言った。

「わ、分かったよ」俺は直立不動で答える。「もしもだよ、もしも。俺が君から離れようとしたら、どうなっちゃうんだい?」

「その時はあなたを氷漬けにして、一生傍においておくわ」

「そ、そうか」



 俺は今、ようやく気付いた。ニアは、とんでもない女の子であるということを。今まで結構な時間を一緒に過ごしてきたが、今日のような様子はみられなかったのだ。


 

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