第4話 なんでも消せる修正液

「あ、しまった! 書き損じた。」

 美島は出張費の領収書や財布の中の紙幣を机に広げて、精算書類を書いていた。

「なんで、こんな時代に、これだけは手書きなんだよ。請求書だって企画書だってデジタル化されているのに。」

 紙幣を使うのだって仕事だけだ。

『また一から書き直さないと行けないのか。面倒な。』

 美島は心の中でぼやき、紙をじっと見つめた。修正液や修正テープで消えればいいが、精算書類はなぜか薄い水色なのだ。


「まいったなぁ。」

「どうかしたんですか。」

 うんざりしている美島の横を部下の花咲が通りかかった。


「精算書類を書き損じちゃってさ。」

「それなら私、いい修正液、持ってますよ。」

 美島は首を横に振った。

「修正テープなら俺も持っているんだけど、これ、紙が水色だから使えないんだ。」

 美島が書き損じた精算書類を振って見せると、花咲が笑顔を見せた。


「大丈夫ですよ、私の持っている修正液なら、上から隠すタイプではなくて、完全に消すタイプですから。」

「完全に消すタイプ?」

 美島は花咲の言葉を繰り返した。

「はい。完全に消すタイプです。」

 花咲が自信満々に説明を続ける。

「普通の修正液とか修正テープだと、文字の上に塗って文字を見えないようにするだけのものがほとんどですけど、私のもっている修正液は、ペンとかのインクそのものを消してしまうタイプなので、紙の色とか気にする必要がないんです。あぁ、わかりにくいので持ってきますね。」

 花咲はそう言うと自分の席の方へと戻っていった。


「まだ、業務用みたいなサイズしか販売されていなくて、すこし使いにくいのですが」

 花咲は戻ってくると、ペットボトルよりもやや太めのサイズの容器をゆっくりと傾け、スポイトで液体を吸い上げた。

「そのうち、小さくなるとは思うんですけどね。」

 試しにと落書きした紙の上にスポイトで吸い上げた液体を垂らし、ほんの少し待つと、ティッシュペーパーを置いた。その後、何度か軽く叩き、ゆっくりとティッシュペーパーを持ち上げた。


「え、なにこれ、マジック? あ、いや手品?」

 美島は紙と花咲を交互に見た。ティッシュペーパーをどけると紙に書いてあった落書きがきれいに消えている。

「手品ではありませんよ。きちんとした商品です。」

 花咲が新しい商品に目がないとは聞いていたが、こんな商品があるとは全く知らなかった。


「これ、どんな素材でも平気なの?」

「はい。インク系のものであれば、何でも消せます。」

「インクはどこに行ったの?」

 美島は次々に質問し、花咲が得意げに答えた。

「インクなら、ここです。」

 花咲が手をひっくり返して、ティッシュペーパーを見せる。ティッシュペーパーの方に黒いインクが染み込んでいる。


「染み抜きとかと一緒の原理です。インクを浮かび上がらせて、別のものに写し取りるみたいです。成分とかまではわからないのですが、素手では触れないようにって、書いてあるんです。だから、付属の手袋が必要なんですよね。」

 花咲は手袋をはめた手でティッシュペーパーをビニール袋に入れて封をする。


「便利なものができたものだなぁ。」

 美島は容器を持ち上げて、ラベルに書かれている小さな文字に目を細めた。

「私、ゴミ捨ててきちゃいますね。」

 花咲が歩き始めてすぐに振り返った。

「そうだ。それ、気をつけてくださいね。本当になんでも消えてしまうので――」


「あっ!」

 花咲に注意された瞬間、手から容器がすべりおちた。容器の中身がドボドボと机にこぼれ始める。美島が慌てて容器を戻そうとしたとき、花咲が叫んだ。

「素手で触ってはだめです!」


 美島は何かつかめるものがないか探し、ようやくカバンからタオルを取り出して容器を起こしたときには、中の液体が半分以上こぼれてしまっていた。

「花咲、ごめん。弁償するよ。」

 三島は誤りながら、机にこぼれたインクを拭こうとタオルと載せて軽く叩いた。

「いいですよ。まだ使い切れないくらいの量がありますから。それより、すみません。今、言おうとしたところだったのですが……」


 花咲が机に視線を落とし、美島はその視線の先を見た。

 慌てて置いたタオルが机の上に広がっている。三島はタオルを持ち上げ、息を呑んだ。机の上に置いてあった書類の文字がまだらに消えている。

「すみません。本当になんでも消えてしまうので。」

 美島は愕然とした。

 書き込んだ文字だけでなく、書類のフォーマット部分さえも消えてしまっている。花咲が申し訳なさそうな声を出す。


「本当に、すみません……」

「いや、また、書き直すから大丈夫」

「いえ、確か、お札って残った面積で、交換してくれる金額がかわりましたよね。」

 花咲の言葉に、三島は恐る恐る視線を机に戻した。

 その視線の先に、書類と一緒に机の上に広げていたお札が置いてあった。見れば、1万円札の図柄も見事なまでに消えている。お札は数枚重なっているはずだ。一番上のお札は、少なくとも3分の2が消えてしまっている。おそらく換金は難しいだろう。


 花咲を責めるわけにもいかず、三島は大丈夫とうなずいてみせた。

 花咲が申し訳無さそうに手袋をはめた手で、修正液の瓶を回収していく。

 三島は、精算書類を書き直す手間を惜しんだ自分にため息をついた。

 

『誰だよ。こんな消えすぎるもの作ったのは』

 

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