第42話 年の瀬に馳せる


「イチノ、何か聞きたいことがあるんじゃない?」


 頬杖をついてこちらを窺うヘリオスくんは、さりとて穏やかな眼差しだ。


「えっと…あるような、ないような」


 本当鋭いなと思いつつ曖昧に答えると、彼は僅かに目を細めて姿勢を戻す。


「無理して言わなくてもいいけど、何か困ってるなら頼って欲しいな」

「ありがとうございます。その、特に何もないので、大丈夫です」

「分かった。何かあったら言って」


 無闇に心配させないようにと意図した言葉は、しっかり理解してくれたらしい。ヘリオスくんは少しほっとした様子で微笑む。


「はい」


 私は返事をしながら、つられて笑みを返した。



 現在は放課後の図書室。

 この国の忍者について調べに来たんだけど、国家機密の存在が図書室で分かるはずもなかった。ファンタジー扱いの瘴気の魔女ミアズママギサとは違うのである。

 仕方なく普通に勉強していたところへ、ヘリオスくんが来てくれた。彼は王太子殿下と仲が良いし、王宮にも出入りしている。忍者がどういうものか聞いてみようと思いついたのがさっき。しかし、何故私がその存在を知っているのか突っ込まれたらヤバイことに気づき、質問を取りやめたのが今だ。

 そもそも、ヘリオスくんだって忍者なんて知らないかもしれないし。


「ヘリオスくんは、王宮で他省の人に会うことってありますか?」


 とはいえ、身近で行政に関わっているのは彼だけだ。何とか忍者の情報に辿り着けないかと、別の方向から尋ねてみる。私が王宮に行った時は特許申請で頭が一杯で、ろくに周囲を観察してこなかったのが悔やまれた。


「あんまり無いかな。各省が入る建物は分かれてるし」

「そうなんですか」


 うーん、残念。

 そういえば省庁の全貌すらよく知らないな。忍者部隊は何省なんだろう。


「また王宮に行ってみたい?」

「いいえ、全く」

「そう」


 即答したらくすくすと笑われてしまった。


 だって乙女ゲームのサブ会場みたいな場所じゃないですか、王宮って。

 …とは言えない。


「もう冬休みだね」

「早いですねえ」


 学園は年末年始の二週間ほど冬休みとなる。期間が短いので領地には帰らず、そのまま王都で過ごす人も多い。


 私? 勿論帰りますとも。


「メイズがニノに会うのを楽しみにしてるよ」

「ニノもですよ。ちょっと緊張してるみたいですけど」


 それに冬休みはニノと一緒に、ヘリオスくん家(本邸)にお邪魔する予定もあった。メイズくんは領地経営補佐などニノと共通点が多い為、お互いに興味を持っている。


「お屋敷からは海が見えるんですよね」

「うん。海からは離れてるけど見えるよ」

「いいですね。私も海が見える家に住みたいです」


 海なし県(前世)と海なし領(現世)で暮らしてきた、私の長年の憧れだ。そうは言っても移住する勇気はなく、いつも妄想にうっとりするだけで終了なんだけど。


「いいよ。そうする?」

「え?」


 何が?

 と喉元まで出かかったところで、私ははっと気づく。


 私、ヘリオスくんの婚約者だった。つまり結婚する。目の前のこの人と、一緒に暮らしていくことになるのだ。どんな家に住みたいかなんて話題は妄想ではなく、超リアルな相談事。


 一般的な貴族同士の結婚なら大抵どちらかの家で暮らすものだが、私達はそうではない。ヘリオスくんの仕事に差し支えなければ、自由に好きな場所を選べる。私の執筆活動はどこでだって大丈夫だし、出版社へ行くのもレグルスがいるので心配無用。


 しかしそんなつもりで言った訳ではなかったので、慌てて取り繕う。


「あ、でも、ヘリオスくんは王都のほうが楽でしょう?」

「王都にも海はあるよ」

「遠い端っこのほうですよね。王宮に行くのに不便じゃないですか?」

「それは多分大丈夫。楽しみにしてて」

「?」


 遠くても大丈夫なことに関する楽しみとは。


 よく分からなかったが、ヘリオスくんの機嫌がいいのでひとまず頷いておいた。

 こんな風にずっと彼と過ごすようになるんだと思うと、今更ながら擽ったい気持ちになる。



 皆もどうか幸せであるといい。

 このニジマス世界に生きる人達が無事に年を越し、新年を迎えられるよう、今日もまたお参りに行こうと思った。


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