第31話 任務(エイチャン視点)
ごきげんよう、皆さん。
私はエイチャン・エンプレアード。
シルフィード王国の片田舎に小さな領地を持つ、エンプレアード子爵家の長女です。己の身分をわきまえ慎ましく暮らす中、四月に煌びやかな憧れの王都へやって来ました。
目的は国立エイヴァン魔法学園で学ぶこと。当家は子供が娘しかおらず、長子の私は家を継ぐ為に更なる勉学に励むことを望まれております。幸いにも王国は女性領主に寛容で、家族も私を厄介払いすることはありませんでした。貴族としては下位でしたが、温かい生活だったと思います。
学園に入学し、何故かクラスも違う関わりのない侯爵令嬢に目を付けられるまでは。
◇
今日の任務を一つ失敗した友人サンディーは、手足に顔まですり傷を作って痛々しい。淡い空色の三つ編みも元気がなく、ネイビーブルーの瞳が切なげに揺れている。保健室で手当てを受け終わった彼女を連れて廊下を歩きながら、私は溜息を吐いた。
「サンディー、貴方今日はもういいわ」
「えっ、駄目だよ。エイチャン一人になっちゃうじゃない」
「私は一人でも大丈夫よ。今日の残りはあと二人だし」
「さっきの人はどうするの?」
「私達を警戒してるかもしれないから、終わったことにしとくわ」
「バレないかな」
「あの人が一々確認してる訳ないでしょ」
「それもそうだね…。でもそれなら、やらなくていいんじゃ」
「全く何もしてないと流石に気づかれるわよ」
「そっか…」
何の話か、お分かりでしょうか。
私とサンディー・アンプロワイエ男爵令嬢は、とある侯爵令嬢の命により、特定の特徴を持った令嬢に手当たり次第バケツの水をぶっかけて回っているのです。
ええ、私も言ってて頭が痛くなりますわ。幼稚すぎて付いていけません。しかし、やらなければならないのです。何故なら我が家が強制的に、その侯爵家から資金援助を受けているのですから。
勿論、我が家の者は誰もそんなこと頼んでおりません。当家は慎ましくも真っ当に領地経営をしておりますので、借金とかないですし、領民を困窮させてもおりません。要らないって言ってるのに寄越してくるとか、ありがた迷惑も甚だしいです。
とはいえ、金銭を押しつけてきたのは有名な権力者。小さな子爵家は反論する術を持ちません。押し売り資金援助の対価は、私がかの侯爵家の三女の友人となること。
幸いにも家族は非常に警戒して私を気遣い、気持ち悪いお金には手を付けないでいてくれます。そして私達の予想通り友人という名の召使い扱いだった訳ですが、私はそれを家族には伝えていません。もし家族の誰かが援助金を突き返してしまったら、我が家に何をされるか分かりませんからね。
学園生活は三年間。
たったそれだけの時間ですから、大丈夫です。
頑張りますわ。
(…なんて思ってた時期もあったわね)
結局今日のバケツノルマをサボり、私はお一人様御用達のカフェテリアで身を休めている。サンディーは怪我をしているのでとっとと寮に帰した。
侯爵令嬢はどうせ演習場で、必死に想い人を追いかけているのだろう。友人と呼ぶ私とサンディーのことなど、すっかり忘れ去って。
できるなら、そのままずっと忘れてて欲しいものだが。
妄想令嬢なんて囁かれる人と友人扱いされているとか、お先真っ暗すぎて涙が出る。あんな堂々と妄言をまき散らしているのにお咎めなしだなんて、エクストレム侯爵家とは本当に凄まじい権力だ。まあ、誰も信じてないせいも大いにあるだろうけど。
私は田舎者だったから知らなかった。エクストレム侯爵家の名は聞いていたが、そこの溺愛された三女ロゼッタがとんでもない我儘令嬢だなんて。彼女がわざわざ私達のいる隣りのクラスまでやって来たのは、クラスメイトに逃げられたからだったのだ。事前に分かっていれば、私だってサンディーを連れて逃げたのに。
「はあー…」
盛大に溜息を吐いて空を仰ぐ。
溜息を吐くと幸せが逃げると言うが、そんな訳があるか。これは心身に溜まった不要物を吐き出しているだけだ。そして新しく綺麗な幸せを吸い込むのである。
『ヘリオス様は本当に素敵。由緒正しい侯爵家のわたくしととても相性が良いわ』
『あのような方と婚約できるわたくしが羨ましいでしょう。貴方にはわたくしのような美しさがないから難しいけど、そのうち見合った人を探してあげるわね』
『ヘリオス様のミサンガは目くらましなのよ。わたくしを女達の嫉妬から守る為なの』
思い出したくもないロゼッタ嬢の声が過ぎるのは、日々繰り返し聞かされているせいだ。何度言えば気が済むのだろう。もしかして不安の裏返しなのだろうか。それだったら少しはまともな人に思えるけど、そうは見えないのが悲しい。そもそもミサンガは目くらましと言ったその口で、ミサンガ色の令嬢への嫌がらせを指示している。まともであるはずがない。
大体、そんなに好きならもっと相手をよく観察したらどうなんだ。マックスウェル様のミサンガの相手は恐らく、今朝サンディーがバケツノルマを失敗した人だぞ。「茶髪と茶色の瞳」の組み合わせを持つ、何人もの令嬢を見てきたから分かる。今朝の人ほど、ミサンガとそっくりな色合いの人は今までいなかった。
そんな彼女が唯一バケツの水を被らずに済んだのは、それこそマックスウェル様が守っているからなのでは?
(ホントにそんな気がしてきたわ)
ぶるりと寒気がして、思わず腕をさする。有り得ない話ではない。彼は大魔導師様に次ぐ実力の、しかも光属性の魔導師だ。一個人を防衛するくらい余裕だろう。エクストレム侯爵家よりもずっと、敵に回してはいけないと本能で悟る。
ひとまず、バケツノルマも概ね一周したところだ。大体、およそ。…まあ多少残ってはいるが、大方済んだということにしておく。
今後はロゼッタ嬢自身をアピールする方向に進んでもらうよう、改めて誘導してみよう。以前は失敗に終わったけど。
(それに)
ふと、手にしたカップの中に映る自分を見つめる。
シェルピンクの髪にベージュ色のカチューシャ。伸ばした髪は後ろでひとまとめに結い、横髪は軽めの縦ロール。瞳は水色で眼鏡をかけている。顔立ちは平均的ということにしておこう。何はともあれ、
(私は婿に来てくれる人じゃないといけないのよ!!!)
そんな事情も知ろうとせず、「見合った人を探してあげる」ときたものだ。しかも口先だけで行動は伴わない。借りなんて作りたくないから別にいいけども。
それにしても疲れた。本当に疲れた。
これが三年間続くのか。
サンディーという心の支えがなかったら、とっくに限界がきている。もういっそサンディーを婿に迎えたい。彼女は真面目だし働き者だし、父親は領地を持たない地方官職だ。私がサンディーをもらい受けても大丈夫なはず。
…などと一時の逃避をする私は、それでも何とか自分の勉強にも意識を向ける。
この学園には、その為に来たのだから。
我が子爵家と領民は、私が守るのだ。
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