第27話 神社での邂逅(アサヒ視点)


 ミーンミンミンミンミーン

 ミーンミンミンミンミーーン



 八月二日。

 今日も午前中から既に、灼けるような日差しが照りつけている。

 蝉も元気いっぱいだ。



(やっぱりいいなあ、ここ)


 夏休み初日を避けて正解だった。濃い緑に囲まれた学園の神社はとても静かで、清々しい空気が暑さを和らげてくれるように感じる。

 目を閉じてすうっと息を吸い込むと、何だかこの場所と一体になった気がした。


 昨日は寮住まいの生徒達の帰省で学園内はまだ騒がしく、ちらりと窺ったここも結構人が来ていた。故にイチノと二人で寮を離れるネフェリンを見送った後は、私も早々に別邸へ帰宅している。姉ユラの休暇は明後日からだから、急がなくても大丈夫だ。


 そして今日。思った通り、誰もいない。

 と言っても社務所は開いているので、神職さん達はいるんだろうけど。ただいつもと違って見える所にはいないから、人員は減らしているのかもしれない。


 砂利の音を響かせながらゆっくり歩き、手水舎で禊を済ませて拝殿へ向かう。


 いつ来ても綺麗な水だ。

 あんな水を作り出せるようになりたい。


(そういえばオーノくんの実家がニンマル神宮なんだっけ)


 実はそれほど信仰心がない私でも、国内最大の神宮のことは知っている。毎日多くの人が参拝に訪れるという、この国を守る神様が祀られている場所。そんな境内を流れる水は、どれほど清らかなのだろうか。


 いつか行ってみたいなと思った所で、人気のない拝殿に到着した。


(えーと…)


 いつもはお礼を伝えるだけなのだけど、今日はお願いごともしてみようかな。

 そう考えて手を合わせ、私は「ニンマル神宮に行ってみたいです」と胸中で述べる。丁度その時、ふわりと心地よい風が吹き抜けていった。



 すぐ帰るのは何だか勿体なくて、来た時のようにのんびりと歩を進める。何となく社務所の近くを通っていると、ふと見知った気配を感じて足が止まった。


「?」


 社務所のほうに目を向けるが、ぱっと見は誰もいない。周囲にも人はおらず、相変わらず静寂の中だ。


 でも、この気高く澄んだ雰囲気を私は知っている。


(…あっちだよね)


 そろりと社務所の脇に進むと、小さく砂利が鳴った。その音に一瞬迷ったけれど、結局そのまま社務所の裏側を目指していく。


 こちらの様子は気づかれているだろう。

 少し緊張して顔を覗かせると。


「!」


 そこには予想した通り、羽の生えた美しい白馬のモンスター、ペガサスがいた。リヴァー家の二頭とは別の個体である。うちの子達より少し大きくて凛々しい。


 そしてその傍らには。


「ごきげんよう、リヴァー様。貴方だったんですね」


 柔らかい瞳で微笑む、オーノくんの姿があった。



「ヤマトが逃げないので、ペガサスに慣れた人だとは思ったんですけど」


 オーノくんはそう言ってペガサスを撫でる。ペガサスは少しオーノくんに顔を向け、それからまたこちらを見つめてきた。


「ごきげんよう」


 先程からこのペガサスは、静かに私を窺っている。足音をさせていたこともあって、やはり私が近づくのを把握していたようだ。オーノくんも。


「ヤマトって言うんですね、この子。オーノくんが飼ってるんですか?」

「ええ、僕個人のペガサスです。夏休みで人がいないので、ここで水浴びを」

「そうなんですね。お邪魔してごめんなさい」

「いいえ、お気になさらないでください。リヴァー様もご存知のように、ペガサスは気が進まないと姿さえ見せませんから」


 だから相対している時点で問題はないと、オーノくんは微笑む。


 それは当然理解していたが、当該ペガサスの主に言われると心強い。他家のペガサスを見るのは初めてだし、気性難の程度は個体差が激しいからだ。うちの子達は人懐っこいが、イチノの家の子はちょっと怖いと聞いている。


「!」


 だから少し距離を置いて喋ってたんだけど。ヤマトはゆっくり私のほうへ寄ってきた。不思議と怖くはなかったものの、ちらりとオーノくんを見やる。彼も驚いた顔をしていたが、すぐにヤマトに付き添ってこちらへ来た。


 綺麗な子だ。

 近くで見るとますます力強く、そして気高い。


「お水をあげてもいいですか?」

「いいですよ」


 ヤマトの首を撫でていたオーノくんに尋ねると、意外にもあっさり承諾してくれた。そばにあった桶も貸してくれる。にっこり笑って「どうぞ」と差し出された桶を受け取りながら、物凄く寛容な人だなと私はつい感心してしまった。


 ペガサスに水を与えるということは、そのペガサスに自分を認めさせるということだ。


 出会えたら奇跡という同様他種のモンスターと違い、出会っただけでは懐かないのがペガサスである。その代わり、移動系モンスターの中では最も遭遇率が高い。


 彼らを懐かせたければ、美味しい水を与えること。その水が気に入ったら、ペガサスは気を許してくれるようになる。彼らと最初に出会うのはまず水属性の者なので、魔法でお手製の水を創り出して与えるのだ。その評価はなかなか厳しいが。

 でも気に入ってもらえた場合、時にペガサスは主を変える。だからペガサスを飼う者は大抵、他人に水を与えさせない。ペガサスに限らずモンスターを飼っていることは、貴族にとって大変なステータスだった。


 オーノくんがそうしたことを気にするようには見えない。

 でも主である人だから、多少は引っかかる所があるかもと思ったのに。


 因みにうちの子達の主は父と上の姉なので、私はその辺の感覚がちょっと他人事なのだった。


(よし)


 桶を両手で持ち、意識を研ぎ澄ますように目を閉じる。

 このヤマトは天高く、神様のもとへ翔けていくペガサスだ。

 そんな気がする。


 だからより一層清らかなイメージで。

 大河を遡った先の美しい湧水のように。


「お水、良かったらどうぞ」


 ズシリと重くなった桶に目を開け、創り出した水をヤマトに差し出す。するとヤマトはほとんど躊躇わず、桶の水に口をつけて静かに飲み始めた。


「綺麗な水ですね」

「!」


 まるでヤマトが喋ったかのような言葉に、驚いて顔を上げる。視線の先のオーノくんは先ほどまでと同じ笑顔だったけど、何だかとても温かい雰囲気に感じた。


「ありがとうございます。この神社のお水には敵いませんけど、ヤマトが飲んでくれて嬉しいです」

「ここの水を気に入ってくださってるんですね」

「ええ。いつもそれを目当てに来てるんです」


 そう答えた後、私は本音を言い過ぎたかもしれないと愛想笑いを浮かべる。神職を務めている人に向かって「参拝は二の次」と言ったようなものだ。ちょっと気まずい。


 しかし丁度いいタイミングでヤマトが水を飲み終えて顔を上げた為、そちらに向き直って意識を逸らす。


「美味しい?」

 そう尋ねてみると、ヤマトは再び桶に口を寄せて水を飲む。


 気に入ってくれたっぽいかな?

 とその様子を眺めていると、オーノくんが「とても気に入ったようです」と教えてくれた。


「良かったです」


 こんな素敵な子に自分の水を気に入ってもらえて嬉しい。

 また顔を上げて視線が合ったヤマトに、私はにっこりと微笑んだ。


 と、そこへ。


「この神社の水は僕が魔法をかけているんです。神様を祀る場所がいつも清らかであるように」

「えっ!?」


 突然振ってきた言葉に驚き、私は危うく桶を落としそうになる。


「あ、学園の水道に不満がある訳じゃないですよ?」


 そう言って笑うオーノくんを凝視してしまったのは不可抗力だ。そりゃ確かに、学園の他の場所とは違う水なのは分かっていたけども。


 まさに神社だから特別な魔法がかけられているのだろうと。そしてそれはそういう専門の人が行っていると。そう思っていたのだ。


 まさか、オーノくんの魔法だったとは。


「凄いですね。私、この神社みたいなお水を出せたらっていつも思ってて」

「ありがとうございます。でも僕は貴方の水のほうが、とても純粋で心地良いと思いますよ。ヤマトは穏やかな子ですが、僕以外の人の手から水を飲んだことはありません」

「え、ご家族もですか?」

「ないですね」

「そうなんですか」


 それってオーノくん的には許容範囲なんだろうか。

 お水をあげる許可もあっさりくれたくらいだし、気にしてないかな。


 それよりも。


(この人が、あの水を)


 憧れの水を創っていた人が、目の前にいる。


 正確には「彼が手を加えた水」だが、それがなければ生まれない水なのだから、創ったと言っていいはずだ。そういえば彼は魔力も高いと聞く。


 そんなことを考えていたら、手の中の桶がひょいと持っていかれた。


「よかったら冷たいお茶でも飲んでいきませんか。今日も暑いですから」


 そう言って微笑むオーノくんの濃い水色の瞳は、あの水のように綺麗で。

 私は心がふわりと舞い上がるような感覚を覚えた。



「はい。喜んで」


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