第13話 標的
不意に呼ばれた気がして足を止め、振り返ったが誰もいなかった。
人はいるにはいるが皆離れており、私を呼んだと思しき人物は見当たらない。
(…?)
と、その時。
ばっしゃーん!!!!
元々の進行方向に突然、バケツの水をぶちまけてすっ転ぶ女の子が現れた。
私が歩いていた通路の脇には花の咲いている低い生垣があったので、きっと水やりでもしていたんだろう。しかし何とも見事に蛙のような姿勢で倒れている。不謹慎にもギャグ漫画のようだと思ってしまった。
「うぅ、痛ぁ…」
「大丈夫ですか?」
「しっかりしなさい、サンディー!」
のろのろと身を起こすご令嬢に手を伸ばそうとしたら、今度は生垣のほうから別のご令嬢がシュバッと登場する。
「痛いよぅ…ごめんね、エイチャン…」
後から来たエイチャン嬢は転んだサンディー嬢を助け起こし、「いいから」と声をかけてクルッとこちらを向いた。何か前にも見たことあるような、風圧を感じさせる動作である。
「お見苦しい所をお見せしましたわ。ごきげんよう」
「あ、いえ」
ごきげんよう、と私が言い終わらない内に、彼女はバケツを拾い上げサンディー嬢を連れ、あっという間に行ってしまった。まさしく嵐のような一幕。
「………」
何だったんだろう、一体。
とりあえずサンディー嬢が大事ないと良いけど、と思いつつ、私は首を傾げながら再び歩き出した。
◇
「もう最悪!」
話し声が飛び交う教室に一際大きく響いたのは、クラスメイトのご令嬢の怒れる声だった。ぽかんとした皆の視線を感じたのか、彼女はハッとして大人しくなる。だが怒りは収まらないらしく、そばにいた友人達にぶつぶつと愚痴っているようだ。
赤みのある明るめの茶髪はセミロングで、髪よりやや濃い茶色の大きな瞳をした男爵令嬢。小柄で小動物っぽい、守ってあげたくなる雰囲気の女の子だ。今はちょっと、守らなくても大丈夫そうに感じるが。
「どうしたのかな?」
「さあ?」
少し首をすくめたアサヒの問いに、どこか不機嫌そうにネフェリンが応える。私の窓際最後方の席に集まり、授業合間の休憩時間を過ごしていたところだ。アサヒは元々隣りの席なので、ネフェリンが話しにきてくれている。現在の彼女はすっかり私達と一緒にいるようになり、敬称略となった。
件の男爵令嬢の席は近くではないけど、その刺々しい声は結構届いてくる。
「絶対にわざとだわ! 本っ当ムカつく」
「でも、シュレーディンガー様に会えてよかったじゃない」
「そうよ羨ましいわね、イーサマちゃん。私が代わりたかったわ」
「ふふ。シュレーディンガー様、かっこよかったわあ。彫刻みたいに綺麗で、クールで笑わないけどすっごく優しくてもう最高。だけど、きったないバケツの水を被せられたのよ。ほんとに代わりたいの? スージーさん」
「ファンクラブ持ちの学年も違う超イケメンが介抱してくれるんなら、余裕でお釣りが来るわよ」
「そうねえ、いいかも」
「エフロンさんも? まあ、彼が来てくれるのが決まってるのなら…」
何だかとっても物凄く聞き覚えのある名前が飛び出て、私はヒュッと身がすくんだ。クラスメイトの活動範囲に他学年の生徒が現れることに焦る。同じ学園内なのだから別に当然のことだけれども、如何せん対象人物が人物だ。
アポロ・シュレーディンガー。三年生。魔法属性は風。魔力は強。
頭脳明晰なクールビューティー眼鏡。財務大臣の息子。侯爵家。
ニジマスの攻略対象である。ファンクラブもあるとは、まさにアイドルだ。
何故か彼だけ外見的な特徴が書いてあって、姿を想像しやすい。
「よしよし、災難ではあったわね。お昼に大福あげるから元気出しなさい」
「えっ本当? ありがとう、エフロンさん!」
「嘘、買えたの? 私も食べたいわ」
「ちゃんとスージーの分もあるわよ。使用人に朝一でお店に並ばせたの」
「流石エフロンさんね。ヨウカンのお菓子が食べられるなんて幸せ」
いつもご贔屓頂き、誠にありがとうございます。
ヨウカンがシーリオ伯爵家の店とはあまり知られてないので、私は心の中だけで深々と頭を下げる。別に隠してはいないのだが、皆お店や商品の背景には興味がないみたいだ。
「誰かの恨みでも買ってるんじゃない、バケツの水を引っかけられるなんて」
そこへ随分辛辣なネフェリンの言葉が聞こえ、私とアサヒは顔を見合わせる。
先ほどからずっと機嫌が悪いようだけど、何かあったのだろうか。
ん? バケツの水?
「………」
イーサマ・フール男爵令嬢は、本人いわく誰かにわざとバケツの水をかけられた。そしてびしょ濡れになったけど、通りがかった攻略対象のアポロ・シュレーディンガーが対処してくれたようだ。それはいいとして。
(何でバケツの水をかけられたの…?)
そういえば私も今朝、バケツを持った女の子に遭遇した。彼女は転んで地面に水をぶちまけていたけど、あの時足を止めなければ、私が水を被っていたのではないだろうか。
もしかして彼女サンディー嬢は、私に水をぶっかけようとして失敗した?
ならば後から現れたエイチャン嬢もグルだということか?
(えぇ、何で…)
そうだとしたら、フールさんの件も彼女達の仕業の可能性が高い。けれども、そんなことをされる理由が分からなかった。私とフールさんはクラスメイトなだけで親しくはないし、共通点も思いつかない。
「イチノ、どうしたの?」
「うん? 何でもないよ」
知らず知らず視線を下げていたところをアサヒに覗き込まれ、ハッとして笑顔を作る。
とにもかくにも、今回は運が良かった。
しばらくは物陰のそばを通らないようにしよう。
あれ、そういえば。
もしかして運が良かったのって、ヘリオスくんがくれたハンカチのおかげ?
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