第8話 心模様
学園の端に位置するとある校舎は、現在あまり使われておらず、人の出入りが少ない。その校舎裏には林があり、広葉樹が見通しよく整備されている。林と言っても敷地内なので危なくはないのだが、ここもほとんど人影が見えない場所だった。
林をほんの少し行けば開けたエリアがあったり、ベンチが所々に設置してあったりする。いい所だと思うのに人気がないのは、皆がよく利用する校舎から離れているせいだろう。校門からも遠いし、私のようなお一人様すら、そうそうやって来ないのだ。私にとってはこの上なく好都合なので、ありがたく悠々と利用させてもらっているけれど。
そんな訳で今は、林を少し入った所の広いエリアでベンチに荷物を置き、魔法の自主練習をしている。
魔法とは、エネルギーを具現化する方法のことだ。具現化したい物事の方向へピントを合わせると、エネルギーが具現化される。そのピントの合わせ方を遺伝的に継承しているのが王族、貴族だ。独学でピントの合わせ方をマスターするのは至難の業で、だからこそ通常は生まれ持った属性しか扱うことができない。
だがもし他属性のピントの合わせ方をマスターできたなら、その属性を獲得することは可能である。しかしそんなことができた例はこれまで皆無。通常は己の属性の方向性にて魔法を開発したり、ひたすら魔力を上げたりするのみだ。
その代わり魔力は精神力・集中力といった分野なので、レベルアップは青天井。体力づくりも魔力量の底上げになる。…と私は思うのだが、優雅な貴族の皆さんにはスルーされている部分だ。体育の授業なんてないからね。私も運動は嫌いだから気持ちは分かるけれども。
「集中、集中」
それにしても、人がいないと本当にホッとする。
私は目を閉じて、両手の間に風の玉を作るイメージを強めた。これまで冷暖房のような日常生活に根ざした魔法を使ってきたが、先日授業で聞いた護身術的な魔法の使い方に興味が湧いたのである。
要するにバトル系漫画によくある、エネルギーの塊を飛ばすやつをやってみたくなった。とはいえ学園の森林を破壊してはいけないし、そこまでの威力のものは作れないだろう。初回の今日は安全に、落ち葉掃除用のブロワー程度の風力と決める。
「おー、なんかそれっぽい」
目を開けると野球ボールくらいの大きさの風玉が、両手の間に浮いていた。
あまり風を感じない静かな玉だが、とりあえず完成である。
「はっ」
ちょっとテンションが上がった私は、適当に漫画っぽく構えて風玉を近くの枝に放ってみた。
風玉は狙い通りに枝葉を揺らし、既に落ちかかっていた葉が宙を舞う。
「やったー!」
魔法はイメージ通りにいかなければ意味がない。
そうした能力を学園で養い、向上させていくのである。
イメージと実現がピッタリ重なって満足した私は、鼻歌まじりにベンチに戻って腰を下ろした。
「にゃー」
「お待たせ、レグルス。今日のおやつは苺クッキーだよ」
紙の上に苺味のクッキーを乗せ、レグルスの前に置いてやる。いつもは別邸で留守番しているレグルスだったが、私がここで自主練している時は姿を見せるようになった。別邸は退屈なのかもしれない。私の次に懐いているのはニノだったけど、そのニノは遠い本邸にいる。
まあ屋内と違って猫がいても不審がられないし、乗って移動する所さえ見られなければ大丈夫だろう。何しろレグルスは風になれる上に驚異のスピードだ。誰かに捕まる心配もない。
「こんな所にいたんだ。その子は君の?」
「ひっ!?」
静かな林の中に突然響いた声に、私は文字通り飛び上がって振り返る。
落ち着いていて綺麗なその声は何故かよく知る所となったものだが、こんな所で聞くことになるなんて誰が思おうか。そしてまたしても、声の主の気配は感じなかった。
「こん、…ごきげんよう。マックスウェル様」
「ごきげんよう、イチノ」
精一杯よそよそしくしてみたが、にっこりと笑う彼は全く気に留めない。
「可愛い子だね」
「あっ」
ベンチの上で無心にクッキーを頬張るレグルスを見やり、マックスウェルくんが手を伸ばしたので私は慌てる。
レグルスは見た目は普通の猫だがモンスターだ。普通の猫と違い、基本的には人を避けて懐かない。見ず知らずの人の前には姿を現さないし、もし遭遇してもすぐに風になって消える。今は私がそばにいるから人が近づくのを許しているが、触れられたら一瞬で風と化して逃げていくだろう。瞬間移動さながらのそれを見られたら、レグルスの正体がバレてしまう。
「あっ、あの…!」
私がアワアワと手を伸ばしかけたのと、レグルスが顔を上げてマックスウェルくんを振り返ったのは、ほぼ同時だった。
「にゃー」
レグルスは目と鼻の先にあったマックスウェルくんの手にすり寄り、いつもの可愛い声で鳴く。空いた反対の手で導かれれば、レグルスはぴょんとマックスウェルくんの胸に収まった。
―――……。
目の前で起こったその光景に、私は頭が真っ白になった。
レグルスは私の猫、もといモンスターだ。
気に入った存在の前だけに姿を現すという、奇跡のモンスターの一種。
誰よりも私に懐いてくれて。私が信頼する人達にしか懐かなかった。
たとえマックスウェルくんが、全ての属性を包括する光属性だとしても。
攻略対象という、ゲームの主役の一人だったとしても。
レグルスには、私だけが特別なのだと思い込んでいた。
だけど。そうではなかったのだ。
「イチノ?」
マックスウェルくんの声で、立ち尽くした私の体は弾かれたように反応する。
「私もう帰りますので。ごめんなさい、失礼します」
早口でそう言いながら急いで荷物をまとめ、私は目も合わせずに頭を下げ全速力で走り出す。
レグルスがついてきている気配はなかった。
◇
「うぅ、ぐす…っ」
やばい、涙が止まらない。
前世で諦めていたものが手に入ったと思ったのは自惚れだった。
私は一人が大好きな癖に、誰かの一番になりたかった。
私よりも私を愛してくれるひとが欲しかった。
自分は自分が一番だというのに、我儘なことだ。
でも、欲しかったのだ。寂しかった。
さっきとは別の校舎裏の影でしゃがみ込み、膝を抱える。いつも着ている羽織りのフードを深々と被り、零れ落ちる涙で眼鏡が濡れるのも気にしなかった。
放課後だからか今いる校舎裏も静かで、好きなだけ縮こまることにする。
「にゃー」
次々と涙が溢れるそんな中、俯いた頭の向こうでレグルスの声がした。しかし今の今まで来てくれなかったことも相俟って、つい眉間に皺を寄せる。ほんの少しだけ顔を上げると、レグルスのこげ茶色の足が見えた。
「…行きたい所があるなら、行っていいよ」
私なんかより、もっと気に入る人のところに。
ちょっと声色が冷たくなってしまったが、今はこれが精一杯である。
「にゃー」
だがレグルスが立ち去る様子はなく、鳴き声の向こうから再び綺麗な声がした。
「この子は君と一緒にいたいんだよ。遅くなったのは俺が捕まえてたからだ、ごめんね」
「………」
この人は私の思考が読めるのだろうか。
さっき拗ねてしまったことを見透かされて、言葉も出なければ顔も上げられない。恥ずかしい。
「これ、どうぞ」
けれども続く優しい声にうながされ、のろのろと目が合わない程度に視線を持ち上げる。すると目の前には、白いハンカチが差し出されていた。そういえば自分もハンカチは持っているけど、存在を忘れていた。
「…ありがとう、ございます」
私は素直に彼のハンカチを受け取って握りしめる。その瞬間、何だかふわりと温かいものに包まれるような感覚を覚えて、自然と安堵の溜息が零れた。
「どういたしまして」
マックスウェルくんはそう応えると、それ以降は何も言わず隣りに腰を下ろす。
(いやあの、お構いなく)
それを視界の端にとらえた私は頭の中で訴えるものの、口に出せるはずもない。借り物もしてしまっている手前、私にできることはさっさと涙を引っ込めることだけである。
でも何故だろう。先ほどよりずっと心が落ち着いていて。
体を寄せてくるレグルスを、まっすぐに受け止められた。
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