第2話 異世界へ

「これから貴方には地球とは違う世界、アルコールと呼ばれる異世界に行ってもらいます」


 女神キャノルと名乗る女性は『異世界』の説明を続けて言った。

 異世界アルコール。そこでは魔王と呼ばれる悪の長が世界を征服せんとしていた。

 だが世界はそれを許さないようで『勇者の加護』を一人の人物に授け、魔王討伐の任を与えようとした。

 だが、予想外だったことが起こったのだ。それは加護の力が強大すぎるせいで、人間という器に収まりきらないこと。

 器は魂。魂の質が良くないと勇者の加護は授かれない。

 世界はアルコールに現存する人間の魂を一つ一つ確認した。だが加護に見合う人物は存在せず別世界の人間の魂を、アルコールで死した人間に憑依、転生させることでその加護を授かることが出来た。


「その魂に選ばれたのが、貴方である。ということになってるわ」


 椅子に肘を置いて頬杖をしながら紙を見ながら音読。

 無駄に感情を入れて読んでいたから文句が出てきにくい。

 それに、先の話が本当ならばこの人は自称女神キャノルだと思っていたが、事実女神キャノルだ。そんな相手にため口で話してたのはもしかして不敬に……。


「中の中が勇者の加護なんて、またすぐ諦めるんじゃないの」


 不敬だと思った自分を殴りたい。

 独り言として呟いたそれに本気でムカついた。変わろうとしていた矢先の出来事だからと、言い訳ならばいくらでも言えるのだが、中の中が事実である以上何も言えない。だけどムカついた。


「俺は今は中の中かもしれないけど、諦めることは絶対ない!!」


「今は、ねぇ」


 キャノルは手を宙にかざすと、宙に置かれていた本が動き出してすっぽりと本が収まった。黒の分厚い本。分厚い本と言えば広辞苑を思い浮かべるだろう。その本は広辞苑の二、三倍は分厚い。

 それを当たり前のように宙に浮かせてページをめくる。


「……今はそんなだけど君、諦めさえしなければ――っとこれは言っちゃいけないのね、まぁいいわ」


「言っちゃいけない? なんのことだ」


「それはこっちの事情。君は君の事情に専念しなさいな」


「事情って言われても……」


 自分は勇者の加護を持たされ、異世界の人間に憑依? 転生することになっている。そしてその加護の力を利用し、魔王を討伐してほしいと。

 話を思い返す度になんかのゲームの話かと思ってしまう。ゲームならもう少し導入が丁寧だろうけど。

 事情が納得はまだできてないけど、全容が掴めてきて理解ができはじめている。

 諦めない、とキャノルに宣言してしまった以上、理解したならばズルズルと引きずっているとまた何か言われそうなので覚悟を決めることにする。


「理解して納得……した。準備は急すぎたからまだまだ不足だけど、その都度確認すればいい。つまるところ、覚悟はできた」


「葛藤の末に腹を括ったのかしら、いい目をしてる。こっちも準備は終わったわ。ベッドに入って目を閉じなさい。そしたら冒険の始まり。精々頑張りなさいな」


 ベッドからは一歩も出ていない。

 身体を起こしただけだから横になって、タオルケットを乗せて目を瞑るだけだ。

 その動作の途中、後は目を瞑るだけ。ふと気になって横を見ると、キャノルがずっとこちらを見ている。


「なんだよ、見られると恥ずかしいじゃん。一応こう見えて思春期なんだから丁重に扱ってくれよ」


「ハッ、勘違いが過ぎるわよ。そんな勘違い中の中野郎はさっさとリタイアするといいわ」


「うるせえ! 絶対諦めねぇからな!!」


 目を強引に瞑り、ゴォォと耳を塞いだ音が鳴る。

 最初は小さな音だったそれは次第に大きくなり、騒音と化した。

 さっきの説明だったら目を閉じたらすぐみたいな感じだったのに、全然騒音が鳴り止む気配がない。今もまだ大きくなり続けている。

 おい、おいおいおいおい。キャノルの嫌がらせか? 耳が、痛い。鼓膜がビリビリと破けていく感触がする。痛い。なのにまただ。手も足も動かせない。

 音は未だに大きくなっている。

 顔が破けて体もヒビが入って全身がバラバラに砕けそうだ。

 嫌がらせならたまってもんじゃない。急に説明されてなんとか飲み込んだのに、こんな仕打ちは流石にないだろ。

 文句でいっぱいになったその時、一つの考えが浮かんできた。

 目を途中で開けてはいけないなんて言われてないよな。こんな苦痛を味わうなら異世界なんか行きたくない。

 ――もう我慢の限界だ。


「キャノル! いい加減にしろよ!!」


「わっ!?」


 驚きの声と、何かを落とした音がした。

 目を強引に開けて上半身を起こした。

 視界はぼやけているが、景色が先程までの暗闇の中で光る星々ではないことがわかった。

 何度か瞬きをし、次第に鮮明に景色が見えるようになると、どこにいるのかはっきりした。

 茶色を主にした木造の部屋だ。

 タンスに棚、机に椅子、そして自分が今寝ているベッド。その横にも椅子があって、一人の少女がそこには座っていた。

 少女は口を開けたまま、まぶたを忙しなく開けては閉じ、開けては閉じている。

 恐らく先程の驚きの声を上げたのも彼女だろう。茶色のロングヘア―に、白と茶色のエプロンドレス。

 固まっているその姿からか幼く見え、中学生辺りに見える。

 そんな彼女だが、流石に時間が経ったことで落ち着きを取り戻したらしく、目を瞑って深呼吸すると――。


「カイ! 生きてる! どうして!?」


 椅子から立ち上がって、秋人の身体を揺さぶりながら疑問の悲鳴を上げる。

 どういう状況かわからない。わかっているのはこの少女の心が歓喜で満ち溢れていること。そんな中、質問するのは気が引けたが、状況整理のため覚悟を決めて声を出した。


「あー、えーっと……ごめん。きみだれ?」


「えっ……ぁ」


 再び固まる少女。

 明らかに動揺している。今度はまぶたではなく、瞳がキョロキョロと動かしている。


「動揺してすげー困ってるところ悪いけど、俺も困ってるんだ。事情わかりそうな大人の人呼んでこれる?」


「お、おじいちゃーん!!」


 数度頷いた後に、部屋から駆け出ていった少女。

 呼んでいたおじいちゃんを連れてすぐに戻ってくるだろうと思っていた。しかし足音を聞いていると、家の中を何回か探し回った後、扉の開く音がして音が聞こえなくなった。

 もしかしなくても、この家の中に誰もいなかったのか。

 聞いて現状を理解しようと思ったが聞けないのなら仕方ない。それはそれとして、自分だけで確かめられることを、少女が帰ってくるまでにすることにした。


「声は……あー、あー。発声してる感じはいつも通り、聞いた感じもいつも通りだな。録音とかして聞くと違って聞こえるかもしれないけど」


 こんな調子で、手や足の感触などを確かめて違和感のない……いや、憑依するまでの自分と相違ないことを理解した。

 もしかして見た目も変わっていないのか?

 鏡がないかを部屋を見て探していると、先程少女が座っていた椅子の近くに何かが落ちていた。

 それは現代でも見たことのある器具。黒く染められた木造の持ち手が付いていてその上に丸い鏡、手鏡だった。

 それを拾いあげて自分自身の姿を確認する。

 鋭い目つきに無駄にツヤのいい肌。唇と鼻もいつも通りで。見ないようにしていたが、違う場所は一つ。

 髪の毛は染めたことはなく、常に黒色だった。なのに今あるのは真っ白の髪の毛。髪形こそはショートで変わっていないものの、色が明らかに抜けている。


「髪の色が変わるだけでこんなに印象が変わるのか……」


 変わったとて所詮髪色。そう思っていたがこれだけ変わるのなら、現代に戻ることができたらやってみてもいいかもしれない。

 そんなことを考えていると、玄関の開ける音がして足音がこちらに向かって来ている。

 ベッドから抜けて立っていても問題は何もないだろうけど、立ち上がって物色していると思われるとなんだか気まずい。ので、ベッドに横になってタオルケットをかけて待機する。


「カイ……いや違う。勇者の加護を、授かった勇者様、ですよね」


 部屋に入った人物は秋人を見て、最初は驚きで目を見開いていたが、ゆっくりと一言ずつ紡いで質問を投げかけた。

 その人物はおじいちゃんと呼ばれるだけあって、髪に色はなく、肌も老けて腰が曲がっている。手には杖を持っており、先端が擦れて汚れていることから普段から使用していることが伺える。

 そんなおじいちゃんが投げかけてきたのは勇者であるかどうか。


「勇者、という自覚は今のところ全くないね。女神キャノルという人がそう言ってたけどね」


「キャノル様にお会いして……なるほど、それなら勇者様で間違いないようですね」


「一度で申し訳ないけど質問する。ここはどこ? 俺はだれ? 話的に勇者が来た時の話すべきことがあるなら聞いてもいい?」


「ここはシングルグレーンです。城や町じゃないただの村です。貴方は勇者の加護を授かった勇者様。その体の主の名はカイ・アキヒトでした。話すことは、魔王討伐に赴く仲間にうってつけの人物が今、この村にいます。その者に会ってみては?」


「一度に全ての質問に答えてくれて感謝だ」


 といっても、わかった情報は有益とはなかなか言い難い。

 カイ・アキヒト、とこのおじいちゃんは言っていた。そういえば少女も、最初はカイと呼んでいた気がする。

 海馬 秋人と両親に付けてもらったこの名前にあまりにも似すぎている。それに体格や顔の造形もそうだ。この辺りが近い方が色々と事が進むのだろうか。

 答え合わせをする機会は、恐らく死んだ時かな。知ったところで変わらないこの話は今だけは辞めておこう。

 今考えないといけない話は、魔王討伐にうってつけの人物がいる話だ。

 おじいちゃんに案内され、家から出て歩きながら考える。

 都合いいタイミングに思わずツッコミを入れたくなるが、事前にこの村、シングルグレーンで勇者が誕生するのがわかっていたのか。それとも本当に偶然か。

 こちらも知ったところで変わらない話だ。

 だけど、この瞬間を待っていて本当に仲間になってくれるのなら、かなりの実力者だと勝手に期待する。

 この手の話で序盤に仲間になるなら、かなり強いか、厄介者で村から追い出したいのどちらかだろう。前者は努力家で熱い男のイメージ。後者は胡散臭いが隠れた実力者の場合があるから、ほとんどの場合で強いに決まっている。だから――。


「ていっ! やぁ! そりゃ!!」


 気が抜けそうな声を出しながら、身の丈に合ってない剣を振る、髪の長い白髪のこの子がそうだと言わないで欲しい。

 だが、おじいちゃんは歩みを止めその子に掌を向けてこちらを見る。おい、その目やめい……。もしかしたらもう一人の孫との可能性が……!


「この方が、勇者様の仲間にうってつけの強者です。剣の極み、剣極を目指して日々鍛錬されておられるのです」


 やっぱりこの子だったぁ!

 幼いその見た目、小学生の高学年。そう言われても違和感は全くない。身長が一三〇程なのに、剣は一〇〇ほどだろうか。それを軽快に振っている様は異様としか形容できない。それも気の抜けそうな可愛い掛け声をしながら。


「剣極というのはですね。文字通り剣の極み――」


 おじいちゃんが何やら早口で説明しているが全く頭にその内容が入ってこない。とにかく剣極は人類未到達! すごい! だから目指してる! 簡単にまとめると多分こうだ。

 実力者なのは見ただけで素人目でもわかる。だけど心配なのはそっちじゃない。


「世間体的に大丈夫なのか……? あと親御さんに怒られないかな……?」


 こっちのが心配だったのだ。


「安心してください勇者様。あの方のご両親は冒険をさせることに賛成なのです。それに、実力を見れば口を挟む連中なんていないでしょう」


「むしろその両親が大丈夫か心配になってきた」


「そういう風習の村出身らしいです。詳しくは知らないですが、この村に来たのも単身だとか」


 恐ろしい風習な場所なこと……。

 そんな他人事の感想しか湧いてこない。だって言われても実感が全く湧いてこない。実際に道中にどんな障害があるのか、どうやってそれを突破したのか、それを見て実体験できない限りは想像しかできない。だけど現代社会を生きる秋人にそんな想像力はない。だから全く実感がないのである。

 そもそもあの剣の重さも知らないぐらいの無知者で無能者であるのだから。

 無能なのを理解しながら、剣を背に仕舞って一息吐いたあの子を見ていた。

 周りをキョロキョロと見渡すと、こちら……恐らくおじいちゃんを見つけて元気よく走ってきた。


「村長! そちらが、勇者様……ですか?」


 赤い目で見られ息を、唾を一つ飲み込んで、この子の奥底に秘めた何かに震えるのだった。

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