第20話 満月と新月#2
静かで冷たい暗闇の向こうから、金属扉が開かれた音と、微かだが話し声が聞こえた。ただ1人、このエリアに収監されたエイドは、ショーツ1枚のみを纏った状態でベッドの上に寝転がっていた。普段のフリル付きドレスを纏っていれば分からなかったが、ひとたび服を脱いでしまえば、貧乳にしか見えなかったその胸は真の姿を表す。その大きさは明らかにプレーナのサイズを超えており、異世界転生の際に大きくしたユノの乳房と同じか、僅かに上回る程のサイズであった。
暗闇の向こうから、こちらへ近付いてくる足音が聞こえる。しかし、エイドは慌てることなく、ただベッドの上で怠けている。服を着る素振りも見せず、ただただ怠ける。
やがて、足音は大きくなり、エイドの収監された檻の前で音は止まる。
「私に面会?」
ベッドに転がったまま、檻の前に立つプレーナに問う。
「そう。けど15分しか無いから、手早く済ませたい」
「ふぅん……で、私と何を話したいの?」
「…………体内の、魔族の血を抜き出すには、どうすればいい?」
その質問を聞いた瞬間に、エイドは、プレーナが人間と魔族の
「あなた、名前は?」
「プレーナ」
「覚えた。なら教えてあげる。人としてのプレーナと、魔族としてのプレーナを分離することは不可能よ。
「そう……なら、そのうち自殺するしかない?」
「それを決めるのはプレーナだけど、終わりを決めつけるにはまだ早い。陽が沈めば、月は必ず昇る。何度だって月は昇るんだから、
プレーナには、エイドが何を言っているのかが分からなかった。ただ、分かったこともある。決めるべきことは、決めるべき時に決める。その決めるべき時は今ではないと。
「そういやプレーナは、
「……知ってる。村の生まれじゃないけど、村で育った。前を見ても、後ろを見ても、右を見ても、左を見ても、みんな
混血は基本的に嫌われる傾向にあるが、
プレーナは、その村の出身ではない。人間の女が、魔族の男と関係を持ち、子を孕んだ。しかし、その子供が
プレーナは、その村に住むうちに、自分を捨てた件の女を恨むようになり、やがて、差別意識を持つ人間を恨むようにもなった。その後、人間への復讐を企てながら、ここ、リディアに移住した。
案の定、人間はみな、差別意識を持っていた。しかし、その中で、差別意識を露にしない、それ以前に差別意識を持たないエマに出会い、そのうち、人間への復讐などは考えないようになった。
「そう。なら話が早いや。
「不幸? 村の人全員が死ぬとか?」
「……かもね」
「なに? あなたの勘?」
「勘……というか、予感かな。わりと、私の予感って当たっちゃうのよね。まあ、私の予感を信じるのも、信じないも良し。ただ、頭の片隅には残しておくことをオススメするよ」
「下らない……もういい、帰る」
「気をつけて帰ってね。次来る時は……きっと、プレーナは迷いを振り切れてる」
エイドの言葉を無視して、プレーナは檻から離れていった。暗闇の中に消えていくプレーナの後ろ姿を見つめながら、エイドはその口元に軽い笑みを浮かべた。
◇◇◇
昼過ぎ。リディア敷地外の更地。
「はあっ!!」
猪の魔獣を相手取り、ユノは愛刀の降魔を振り翳す。
「ふっ!!」
熊の魔獣を相手取り、エマは愛剣のスヴェーネを振り翳す。
「ほっほっほ……」
刀を、剣を持ち、魔獣と戦うユノとエマ。そんな2人を、蜥蜴車に乗って観覧する男が1人。その男は、御者ではない。肥満体型で、高級そうな服を纏った、下劣な貴族のような容姿をしている。実際、その目は下劣極まりなく、魔獣と戦う2人の体を、下卑た笑みを浮かべて視姦している。
この男は、リディアの町長である。スケベな顔つきと目つきから、影ではスケベオヤジと呼ばれているらしい。実際、どうにも裏では下卑たことをやっているようであるが、証拠を摘発できていない今現在、噂の域を出ていない。
本日、ユノとエマは、魔獣討伐の依頼を受けて、この更地にやって来ていた。すると、何故か町長が同伴することとなっていた。町長には戦う力が無いため、ただ、蜥蜴車の中から傍観することしかできない。しかしどうやら、傍観することこそが、町長がこの場に居る理由らしい。
「素晴らしい戦いっぷりですなぁ。剣技も
「町長もそう思われますか。本当ならば、プレーナというお嬢さんもお見せしたかったのですが、生憎別の要件があったようで。プレーナ嬢は貧乳ながらも、チラチラと見える腋は一級品ですぞ」
「ほう、少し惜しいな……とは言え、あの美少女2人をまじまじと見られるのだ。収穫としては十分だ。あの2人、是非今度の作戦に投入したい……」
町長と御者の会話は極めて低俗で、蜥蜴車前方で待機していたリザードは、その不快さを表すかのように、軽く歯軋りをした。
「「はああっ!!」」
ユノの降魔と、エマのスヴェーネが、同時に、対峙していた魔獣に致命傷を負わせた。ここまでの戦いで、既に魔獣は複数箇所に裂傷を作っていたため、その致命傷はトドメとなり、2体の魔獣は断末魔を上げて転倒。気絶した。絶命まではまだ僅かに時間があるが、命尽きるよりも先に意識が途絶えたのだ。
戦闘の終了を確認した御者は、リザードの体に繋げた縄を動かし、蜥蜴車を発進させた。今回、用意した蜥蜴車は2台。町長が乗った車両が先頭車で、後続車には御者以外誰も乗っていない。後続車に関しては、人を運ぶ為のものではなく、魔獣の死骸を運ぶ為のものである。
2台の蜥蜴車は、つい先程まで戦闘が行われていた場所に到着し、ユノとエマの2人と合流した。
「いやぁ、お2人とも随分とお強い。こりゃあ、並の男では太刀打ちできませんな」
何とも嘘臭く話す町長であるが、立場的な理由で、ユノもエマも「ありがとうございます」とただ返した。しかし、その表情は決して友好的ではなく、寧ろ淡白ささえ感じられた。
「お2人とも、少し相談があるんですが、宜しいですかな?」
「ええ、まぁ……」
「実はですねぇ、近々、とある村を襲撃するんですよ。その村に住む者は皆、我々リディアに……いえ、アプテマや、他の町にとっても害悪となる。よって我々はですねぇ、その村を襲撃し、我々の町に来る前に全て潰してしまおうと考えたんです。私の見る限り、お2人は並の剣士よりも強い。戦力として、喉から手が出るほど欲しい人材なのです。お2人とも、御協力頂けませんかね? 勿論、これは便利屋への依頼でもあるので、報酬は十分にお渡し致しますよ」
何とも嘘臭い。そもそもユノもエマも、その村のことは知らない。実在するかどうかも分からない場所で、そんな胡散臭い任務を行っていいのだろうか。そんなことを考えるが、ユノもエマも、便利屋の従業員。便利屋への依頼ともなれば、それを断ることは難しい。更に、町長はこの2人を実質的に指名している。仮にここで承諾をせずとも、きっと、町長は便利屋宛に、この2人を指名した内容の依頼を送るだろう。
「……改めて、便利屋に依頼をお願いします。我々の一存では依頼を承諾できませんので」
「おっと、これは失礼。では改めて、グランツ殿に……」
そう言った村長の顔は、何かを企む悪代官のような、酷く、嫌な顔だった。
◇◇◇
依頼を終わらせ、帰宅したユノ。宿舎には、ユノが1人だけ。
共に任務に赴いていたエマは、別の依頼の為、帰宅後即座に外出。依頼の無い1日を過ごすプレーナは、買い物でリディア内を歩き回っている。
いつもは、エマと、プレーナの居る、決して騒がしくはないものの、暖かく、楽しい部屋。しかし、今は静寂に包まれた、冷たく、暗い部屋である。
ユノは、降魔を壁に立て掛け、服を脱ぎ、下着姿になり、ベッドの上に寝転がった。今日は、昼から少し気温が高くなったため、下着姿でも寒くない。そもそもこの世界は、地球のように気温差が激しくなく、冬も、日本ほど寒くない。故に、冬を迎えようとしている今も、想像しているほど冷えない。
「エル……まだ、来れないの?」
自分以外、誰も居ない部屋。だからこそ、ユノは1人呟く。
ユノが電車の脱線事故で死亡し、既に1ヶ月以上が経過する。この間、ユノは日本に残ったエルのことを想い続けている。
「まだ来れませんよ、ユノさん」
室内、窓際から、聞き覚えのある声が聞こえた。最初は少し驚いたが、その声の記憶がすぐに蘇ったため、驚愕もすぐに消え失せた。
「……お久しぶりですね。私の事、覚えてますか?」
「覚えてますよ、ティナさん」
そこに居たのは、異世界転生の案内をしてくれた、ティナだった。ティナとは転生前に会話をして以来であるため、エル同様、1ヶ月以上は会っていない。しかし、その顔も、その声も、忘れていない。寧ろ昨日のことのように鮮明に思い出せる。
ティナは、俗に神に部類される存在である。故に、異世界、即ち地球とは異なるこの世界にも、且つ鍵をかけたこの部屋にも、何の音も立てずに突然訪れることができる。
「転生前にお話した通り、この世界と地球とでは、流れる時間が異なります。かなり近い感覚で言えば、地球での1時間は、こちらの世界での1ヶ月くらいです」
「そんなに違うんですか?」
「これでもお2人の気持ちを尊重して、かなり時間の流れを近付けたんですよ。調整してなければ、まだきっと、地球では30分も経過してません」
「…………1ヶ月で、1時間……長いですね。エルがこっち来る頃には、私、死んでるんじゃないですかね」
「かもしれませんね。けど、きっとエルさんならば、ユノさんが老衰を迎える前にやって来ます。断言しましょう」
「そう、ですか。ティナさん、もしも、エルがこっちの世界に来た時は……」
「分かってます。ちゃんと報告しますよ」
「……お願いします」
会話を終えると、まるで何事も無かったかのように、ティナは室内から消えていた。再び孤独に戻ったユノは、ただひたすら、エルのことを考えていた。
「
ユノは、勇者に憧れた。
エルは、魔王に憧れた。
2人は、異世界に憧れた。
異世界を訪れ、ユノが勇者に、エルが魔王になる、ということは、即ち、2人共が死亡するということ。
異世界転生という、ありふれた物語では、必ず登場人物の死が伴う。そんな当たり前のことに改めて気付いたユノは、エルとの再会を、少し、ほんの少しだけ、拒んでしまった。何故ならば、異世界でエルと再会するということは、エルが死ぬ、ということ。エルとの再会を望むということは、エルの死を望む、ということ。
ユノが夢を叶えるには、エルが地球で死亡し、この世界にやって来る必要がある。しかし、エルに死んで欲しいのかと問われると、ハッキリと「はい」と言えない。そんな曖昧な感情の中で、ユノの脳と心は、疲弊していった。
「私達の夢、叶えていいのかな……?」
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