第10話 ユノ、住み着く#4

「あ、あの、ユノ?」

「積極的だねぇ」


 プレーナの腋へのキス。ユノにとって、それはたった一度、ほんの一瞬のつもりだった。しかし、ユノの理性は見事に吹っ飛び、刹那に終わるはずであったキスは、気付けばディープキスになっていた。ディープキス、というだけあり、ユノのピンク色の舌はベロベロと、レロレロと、ヴェロンヴェロンと、プレーナの腋を蹂躙した。勿論、唇でも十分にちゅぱちゅぱじゅぷじゅぷと蹂躙している。


「おぉふ……エル、この子ヤバいね。将来いつかとんでもない大物になるかも」

「うん、そう、だね。てかプレーナ、なんでそんなに乗り気なの?」

「えぇ? だって気持ちいいよ?」

「…………プレーナ、今日の仕事は終わったの? 確か、魔王信徒関係だっけ?」


 魔王信徒。その言葉だけは、一心不乱に腋を愛で続けていたユノの耳と脳に届き、ふと、ユノを冷静にさせた。しかし冷静になったとは言え、ユノは腋、というかプレーナから離れようとはしなかった。

 この世界には、魔王信徒という集団が存在する。その集団が、どのような集団なのか。それは"魔王"と"信徒"という言葉で大体察しがつくと思うが、魔王を信仰する集団、言わばカルト教団のようなものである。

 この世界には現時点、魔王は存在しない。

 少しだけ前の話になるが、この世界には、かつて魔王が存在していた。魔王はその名の通り魔族の王で、魔族の中でも逸脱した実力者であった。魔王はやがて、魔族以外の種族を嫌うようになり、魔族以外の種族へ宣戦布告。魔王の力は偉大かつ絶大で、たった1人で、1つの種族を絶滅させることも可能だった。

 しかしある日、魔族内で反乱が起きた。残酷且つ非道な魔王の暴挙に嫌気が差したらしい。そんな反逆者達は、他種族と手を組み、魔王と、そして、魔王側の魔族と対峙した。目には目を歯には歯を、という言葉があるように、魔族と対等に戦うには、魔族の力が絶対的に必要だった。故に反逆者と手を組んだ種族達は、全力で魔族のサポートに回り、少しでも長く反逆者が戦えるように尽力した。

 やがて、魔族と反逆者の戦いが終結に近付いた頃、反逆者は、全滅した。魔王は生存。戦いは、魔王側が勝利した……ように思えたが、魔王は突如、死亡した。老衰ではない、殺害されたのだ。魔王の側近を務めていた魔族の女性が、油断し切った魔王に睡眠薬を盛り、寝ている魔王の首を捥ぎ取った。

 反逆者の敗北と、魔王の死。2つの出来事が殆ど同じタイミングで起きてしまい、戦いに関わった種族達は、酷く困惑した。しかし長である魔王が死亡したことで、魔族は衰退。そのまま、気付けば戦いは終わっており、種族間の戦いが起きぬまま、時間は過ぎ、今に至る。

 流れる時間の中で、世代が変わり、思考が変わり、魔族も、比較的無害な存在になりつつあった。しかし一部の魔族や、かつての魔王の力に魅了された他種族の一部は、死した魔王を崇拝し始めた。

 やがて、それらの者達は魔王信者と呼ばれるようになり、さほど迷惑ではないものの、極めて不気味な存在として認知されるようになった。


「うん。魔王信徒達が、リディアの周りを彷徨うろついてたらしくて。とりあえずはさぐって欲しいって依頼だったんだけど、町の人を拉致ろうとしてたから、即取り押さえて収容所送りにしちゃった」

「拉致ってことは、過激派ね。拉致って何するのか知らないけど、とことん不気味で、とことん不愉快だこと。魔王なんてとっくの昔に死んだってのに」

「……魔王って、もう居ないの?」


 ユノは漸くプレーナから離れ、エマとプレーナの会話に割って入った。その発言にエマとプレーナの2人は同時に絶句し、会話は一瞬途切れた。


「……ユノ、一体どんな町に住んでたの?」

「まあ、私にとっては普通の町だよ。人間しか居ない、外部の情報が遮断された町。最低な人間ばっかで、生きてることが辛くなるような場所だった。だからこの町に来て、知らないこと、見たことないものばかりで、楽しみつつも困惑してる」

「情報が遮断……劣悪な場所だったんだね。そうだ、今夜はこの町……というか、この世界について色々教えてあげる」

「ありがと」


 その時、ユノの脳内に、とある名言がクッキリと浮かび上がった。

 計画通り……!

 今は、友利唯乃ではなく、ユノ・トモリ。愛媛県生まれ愛媛県育ちの友利唯乃では無く、異世界生まれ異世界育ちのユノ・トモリという設定で行くことにしている。ただ、異世界育ちにしては、この世界のことを知らなさ過ぎる。そこでユノは、この大陸内に存在する「外部からの情報が遮断された人間種だけが存在する町」という架空を、あたかも真実であるかのように語った。

 この世界には、蜥蜴車こそあれど、自動車も、電車も、飛行機も、自転車も存在しない。長距離の移動手段が皆無ということは、行動範囲が限られてしまうということ。即ちこの世界の人々は、大陸の端から端までを完全に理解している訳では無い。故に、ユノが架空の町を語ったところで、それを疑い、否定する要因が無い。尤もエルとプレーナには、疑う気も、否定する気も無いのだが。

 リディアからは遠くにある、架空の町に住んでいた。その設定が活き、エマとプレーナは、この世界についての説明をしてくれることになった。ユノの手のひらの上で転がされていることになど気付く筈も無く、エマとプレーナは、少し憐れんでいるかのようにも見える笑顔をユノに向けた。


(魔王が居ないんじゃ、勇者には成れない、かな……)


 エマとプレーナ、この2人との共同生活は、きっと楽しいのだろう。異世界での生活も、きっと楽しいのだろう。そんなことを考えていても、ユノの脳内には、この世界には魔王が存在しないという事実が消えずに残っている。

 勇者とは、魔王が居てこそ成り立つ。

 英雄とは、悪が在ってこそ成り立つ。

 魔王を、悪を討たなければ、ユノは勇者にも、英雄にも成れない。

 生前は、電車の脱線事故に巻き込まれ、たった一瞬でその命を枯らした。だがそれ故に、夢にまで見た、異世界転生を果たした。異世界に来たのであれば、アニメやラノベの主人公のような活躍をしたい。勇者として、英雄として、何かしらの功績を遺したい。

 しかしユノは、勇者に、英雄になる機会を失った気がした。

 物語の主人公に成る機会を、失った気がした。


 それは兎も角として。

 異世界転生1日目。ユノは、屋根も壁もある寝床を得られて、且つ、職にも就けた。十分な程に恵まれた。

 ただ、恵まれすぎた。恵まれすぎたが故に、転生後に1日、また1日、また1日と経過しても、俗に異世界ものと呼ばれる作品のような、面白い出来事は起きなかった。

 その恵みは、異世界生活に対する枯渇感を抱かせた。ユノは悟った。何かしらが恵まれれば、同時に、何かしらの枯渇が顕著になるのだと。

 その枯渇は、癒せなかった。癒せぬまま、ユノの異世界生活は、1日、また1日と、ただ静かに過ぎていった。

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