第9話 ユノ、住み着く#3
便利屋で働くこととなり、宿舎も提供され、異世界転生初日にしてはかなりいい流れに乗っているユノ。そんなユノの前に、同居人のプレーナが現れ…………た訳ではなかった。これから住む部屋のベッドを見ると、プレーナが眠っていた。
しかし、同居人プレーナは、まさかの、全裸だった。裸だった。生まれたままの姿だった。一糸纏わぬ姿だった。敢えて英語で言うならば、同居人は
女性の裸体自体は見慣れている。特に、恋人であるエルの裸体は、他の誰よりもよく見て、よく知っている。故に、今更女性の裸体を見たところで、動揺などするはずも無い……と、ユノは思い込んでいたが、実際に全裸のプレーナと対面した直後に、ユノは明らかに動揺した。なんと言うか、見てはいけないものを見たような、そんな気分だった。決して嫌悪感を抱いた訳では無い。寧ろ、プレーナは疑いようの無い美少女。そんなプレーナの裸体を見て、嫌悪感を抱く人間なんて殆ど居ない。居たとすれば、余程の女性嫌いか、余程のプレーナ
ユノは即座に目を逸らした。その筈だが、ユノの脳内には、一瞬しか見ていないプレーナの裸体のイメージが、ハッキリと焼き付いてしまっていた。天使のような寝顔、桃色の唇、艶のある金髪、ハリのある若々しく美しい肌、全く主張をしないペッタンコな乳房、そんな乳房に似合った色素薄めな乳頭、細くしなやかな四肢、シワの少ない腋、くびれた胴、細めながらも細すぎない
「……そう言えば、ベッドはこの1台だけなの?」
「そうだよ。今日からは3人一緒に寝るわけだから少し狭くなるけど、床で寝るよりは幾分もマシでしょ」
「3人一緒か……2人一緒はよくあったけど、流石に3人は初めてね」
ユノは生前、自宅かエルのいずれかの家に一泊し、1つのベッドでエルと共に眠った経験が幾度もある。さらに言えば、一泊こそせずとも、放課後や休日に、どちらかの家のベッドで濃密に交わったことも数え切れない程にある。ユノは、2人で1つのベッドを用いるということに慣れているのだ。
しかし流石に、3人で1つのベッドを用いたことは無い。そもそも、合宿や修学旅行でもなければ、ユノはエル以外の人間と共に眠ることはない。故に3人以上でベッドを用いた際の狭さや暑さを知らない。想像もできないでいた。
「……んん……?」
ベッド云々について会話をしていると、その声に眠りを妨げられたプレーナが目を覚ました。開かれた瞼の内側には、当然、眼球がある。しかしその瞳は、左右で色が異なっていた。右眼はシトリンが如く黄色い瞳で、左眼はサファイアが如く青い瞳。所謂、オッドアイというものである。
ユノは生前、オッドアイの人間に出会ったことは無い。それもそのはず。日本人がオッドアイで産まれてくる確率は、10000分の1程度と言われている。対して、日本の人口は約1億3000万人。仮に、10000人中1人が確定でオッドアイだったとしても、日本国内ではたったの1万3000人程度しか居ない。その1万3000人が実在したところで、実際に出会い、オッドアイであると認識する確率など極めて低い。
因みにこの世界でも、オッドアイで産まれてくる確率はかなり低い。故に、今ユノの目の前に居るプレーナは、かなり希少な存在である。
「あ、起きた? プレーナ、今日からルームメイトが増えるよ」
「んん…………んあ、可愛い……名前は?」
「あ、え……ユノ、です」
「ユノ……覚えた。なら、お近付きの印に……」
そう言うと、プレーナはゆっくりと起き上がり、寝起きの猫の様にぐぅっと体を伸ばすと、ベッドに座ったまま、ユノの手を掴んだ。しかしプレーナは、右手で、ユノの左手を掴んだ為、手のひら同士は密着せず、ユノの手の甲にプレーナの手のひらが密着した。
握手のつもりだろうか、とも考えたユノだったが、それは握手ではない。ユノをベッドへ近付けるために、手を引いていたのだ。徐々に引っ張られる手に抗いもせず、プレーナの意を察することもなく、ユノはただベッドに歩み寄る。
「じゃあ私から……」
私から。そう、意味ありげに吐くプレーナは、ユノの左手を握ったまま、腕を天井に向けて伸ばした。なぜかユノのジャケットは、腋部分の布地が欠落しており、常に腋とその周辺が露出している。故に、プレーナにより左腕を天井に伸ばされた時点で、ユノの腋はさらにハッキリと露出した。
別に、恥ずかしくは無い。何せ生前のユノは、よくエルの腋フェチに時間を割いていた為、今更女性に腋を晒すことなど苦ではない。ただ、分からない。プレーナの言う「私から」が、この腋を晒す行為と、一体どんな関係を持っているのかが。
そんなユノの胸中など知らず、プレーナは、「私から」の意味を行動で示した。
「……んちゅ」
プレーナは、キスをした。唇に、ではない。腋にキスをしたのだ。生前は散々エルに弄ばれてきたユノの腋に、一切の躊躇いも無く、プレーナは、その薄くも柔らかい唇で確実にキスをしたのだ。
その瞬間、ユノの脳内は、驚愕と困惑が
生前のユノは、エルに腋を嗅がれ、舐められ、しゃぶられ、吸われ、
言葉が出てこない。言葉が喉を通る以前に、その言葉は脳から喉に行かないのだ。言葉が出てこない為か、この状況に適した反応も分からない。エルの時のように笑みを浮かべればいいのか、或いは恥ずかしがればいいのか。或いは、初対面の相手の腋にキスをしてきたプレーナに、嫌悪の眼差しを向ければいいのか。もう、何も分からない。
ただし、フリーズしかけていたユノの脳内は、再び稼働した。稼働させるに至った要因は、この街、リディアに訪れた際に抱いた違和感である。リディアの風景や人を見ているうちに、ユノは、何故か女性達が腋を露出していることに気付いた。極端に薄着でない限り、男性の殆どは腋を衣類で隠している。しかし何故か女性は皆、衣類の腋部分が露出していた。付け加えると、エマも、さらには自分自身も、腋を露出している。
その瞬間、ユノの脳は瞬く間にフル稼働した。海外では、挨拶にキスを用いる場合がある。恋人でもない限り、日本には無い週間である。そしてここは異世界であり、日本では無い。文化が異なるのだ。一応、転生前に、異世界の文化などを軽く学んだが、学んだことは殆ど脳内から抜け落ち、あまり覚えていない。しかし気付いた。この世界に於ける挨拶の一例としては、頬や唇へのキスではなく、腋へのキスというものが存在するのだと。それも男女問わず、という訳ではなく、女性限定で。
何がどうなってそのような文化が根付いたのかは分からない。下手をすれば、この世界の文明を発展させたティナ、或いはそれ以外の神々のうち誰かが、腋フェチだったのかもしれない。だとするならば、「腋へのキス」という挨拶が定着したこの世界は、性癖により形作られた異常な世界と言う他無い。
「……ユノ? どうしたの?」
「あ、いや……ちょっとビックリしちゃって」
エマの問いを受け、沈黙から醒めたユノは、内心慌てつつもどうにか場を繋いだ。さらにユノの反応から、ユノが挨拶としての腋キスに慣れていないのだとエマは察した。
「ユノが居た町では(腋キスを)しないの?」
「初対面の人とはしないね。恋人としかシた事ない」
「恋人居るの?」
「うん。けどもう、ありえないくらい距離が離れちゃった」
「っ! そう……ごめん」
エマはユノの発言から、ユノの恋人であるエルは、既に故人なのかと勝手に解釈した。故人なのはエルではなくユノの方なのだが、そんなことを説明したところで「異世界転生」という言葉が定着していないこの世界に於いては、その説明はただの虚言にしか聞こえなくなる。
エマが勝手に解釈したことは、「ごめん」という発言から想像できた。しかしユノは弁明を試みなかった。
「こっちでは、女の子同士の挨拶として、腋にキスをするの。だからユノも、私の腋にキスしていいよ」
そう言うとプレーナは、再び右手を天井に向け、自らも腋を晒した。
その瞬間、ユノの心臓は強く脈打ち、ユノの中にあった理性が、大きく揺らいだ。腋へのキスは、されたことはあってもしたことは無い。何故ならユノは基本的に受け側で、自分からエルにアプローチをかけたことはかなり少ない。することよりも、されることの方が好きなのだ。さらに言えば、エルは腋好きであったが、ユノは自らが腋好きだとは思っていない。袖からチラリと覗く汗ばんだ腋に劣情を抱いたことはあるが、それは飽く迄も、相手がエルであったが故。他の人間の腋に劣情など抱いたことがない。
しかし今、疑いようのない美少女であるプレーナが、堂々と腋を晒し、その腋を直視した瞬間に、何かの雛が、卵の殻を破ったような気がした。とは言え、もう分かっている。殻にヒビを入れ、割り、破り、中から顔を出した雛の正体。
それは、ユノの性癖である。
「じゃ、じゃあ……失礼します……」
ユノは、産声を上げてしまった自らの感情に抗えず、寧ろ身を任せ、初対面後数分しか経過していないプレーナの腋に顔を近付けた。そして、そのまま、ユノはキスをした。
キスをしたことにより、性癖を覆っていた殻は完全に砕け散り、砂となり、消滅した。
(この感触、この香り、この優越感、この幸福感、この背徳感……嗚呼、エル……私も、分かっちゃったよ)
陶酔、とでも言うべきか。キスの瞬間にユノは、エルが抱いていた感情を理解した。この腋へのキスが、例え、この世界に於ける普通の挨拶であったとしても、ユノにとってこの挨拶は最早、性交に等しい行為であるように思えた。
海外に行けば人生観が変わる。そんな詭弁を聞いたことがある。しかしユノの場合は、異世界へと訪れ、人生観ではなく性癖が変異した。こんなことになるなど、きっと、誰も予想していなかったのだろう。
(やば……興奮してきた……)
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