ユノ、住み着く

第7話 ユノ、住み着く#1

 ここで働かせて下さい!


 日本人、それも映画好きなら、この台詞を聞けばすぐにピンとくるだろう。

 実際に、何かしらの仕事場に出向き、そこの責任者に「ここで働かせて」と言ったところで、大抵、帰れやら、出直してこい、等と言い返される。何せ働くにあたっては、履歴書を用意し、面接の中で然るべき質疑応答を行い、厳正な審査の後、漸く働けるか否かが判明する。履歴書も用意せず、面接の場も設けず、そもそも事前連絡も無く、突然「働かせて」と押し入るのは、常識を知らぬ余程の阿呆である。

 しかし、そんな話が通じるのは現世のみ。ユノは現世ではなく、異世界に居る。日本の常識が通用せず、それ以前に日本語も通用しない。エマの紹介という形ではあるが、履歴書も何も無しに、ユノは今後働くであろう場所に訪れた。


「ここが私の職場よ。"グランツの"って言ってるけど、リディアに便利屋は此処にしか無いから、街のみんなは普通シンプルに便利屋って呼んでるの」

「便利屋……私の地元にもあったのかな? まあそれはいいや。エマ、私、突然顔出す訳だけど、店の人は怒らない?」

「怒る? そんな訳ないよ。寧ろ就職希望者なんて表れたら、歓喜のあまり叫んじゃうよ」

「……変わってるね」


 エマの後ろをついて歩くユノ。その表情は少し引き攣っていた。そんなことなど気にも留めず、エマは便利屋の前に立ち、出入口となる黒いドアを開けた。


「ボスー、就職希望者連れてきたよー」


 屋内に向け、エマが結構な声量で発言した直後、奥の方から「なにぃ!?」と微かに聞こえた。その声は野太く、すぐに男性だと分かった。声の感じから察するに、恐らくは筋肉質で、高身長で、厳つい顔なのだろう。しかし、エマの砕けた話し方と態度から、人柄自体は悪くないと想像できる。エマの言うボスとは、アニメ等ではありふれた設定の登場人物なのであろう。

 ボス、とは、店名にもあるグランツのことを指している。そんなグランツは、今、バタバタと大きな足音を立てながら、店の中を駆け回っている。そしてある程度足音が近付いた時、ドアの前に立っていたエマは少し立ち位置をずらし、開け放たれたドアの前から明らかに避けた。


「せええええええええええええい!!」


 まるで、曲がり角で、猪突猛進状態の猪に出会ったような。

 まるで、見ず知らずの道を歩いていると、人の言葉を話す巨大な肉塊と出会ったような。

 まるで、戦艦の砲台から放たれた人型の砲弾が、自身の目の前に不発弾として着地したかのような。

 とにかく、凄かった。何が凄かったのかと言うと、件のグランツが、追い風を起こしながら、奇声と共に屋外へ飛び出してきたのだ。その奇声は低く野太く、まるで超大型肉食獣の雄叫びが如く、ビリビリと周辺の空気を震わせた。しかしそれ以上に驚きなのが、グランツの容姿である。

 グランツは色白で、筋肉質で、高身長で、ハゲ。

 隆々とした筋肉は、パツンパツンのタンクトップに半分以上隠されているが、そのシルエットを、肉の形を、全く隠しきれていない。そもそも隠していない腕の筋肉に関しては、ドネルケバブを彷彿とさせる肉質とテカリで、まさに文字通りの巨腕であった。脚も尋常ではないくらいに太く、革製の黒いパンツに覆われている為か、分厚い金属のようにも見えてくる。

 身長は、間違いなく2メートルを超えている。店内から飛び出した勢いで、今は前傾姿勢になっているものの、低身長なユノどころか高身長と思われたエマよりも大きい。例えるならば、シンプルに巨人、と言うべきか。

 そして、ハゲ。そう、ハゲである。

 そんなグランツを見て、一言。


「……グラッ○ラー刃○の登場人物?」


 某筋肉質系漫画に登場しそうな体格カラダ。創作物の中でしか存在できないような超絶ガチムチボディを、現実に、それも眼前で見てしまった。北京ダックもびっくりな程の露骨な鳥肌が立ち、瞬間的に、爪先から頭頂にかけて、電流のような感覚と、まるで毛虫でも這ったかのような気持ち悪さが走った気がした。


「エマァァァ……新入りはどこだ……」

「ほら、そこの金髪の子」


 グランツは首を回し、エマから、ユノの方へと目線を移した。その悪魔が如き真っ赤な瞳は、さながらレーザーポインターが如くユノの姿を捉え、たった数秒で、ユノの体を全身隈無く舐め回すように観察した。前傾姿勢で体を若干丸めているままの巨漢グランツは、まるで獲物を前にした獣が如く、まじまじと、白い息を吐きながら観察を続ける。


「……俺はディノ・グランツ。キミ、名前は?」

「ユ、ユノ、です。友利……ああ、いや、ユノ・トモリです」


 相手からフルネームで名乗られたならば、こちらもフルネームで名乗るべきだろうと考え、ユノも本名で答えた。しかし、この世界は海外と同じで、「苗字 名前」では無く、「名前・苗字」である。故にユノは、本来の名である友利ともり唯乃ゆのではなく、この世界に寄せてユノ・トモリと名乗った。これは即興ではなく、事前にティナから、「名前と苗字は逆」と聞いていたのだ。

 そして今、改めて思う。なんだか、苗字も名前っぽい、と。


「ユノ・トモリ……珍しい名だな。外から来たお方か?」

「ええ、結構遠くの方から」

「なるほど。エマの紹介とあらば、腕は確か……そう捉えていいのか?」

「ボス、ユノは私よりも速く動いて、私よりも先に魔獣に一撃喰らわせる程度の力を持ってます」

「エマよりも速い……なるほど、気に入ったぁ!! 今日からウチで働くといい!!」


 相変わらずの低音で叫び、周りの空気がビリビリと振動し、近隣の建物の窓ガラスまでもがビリビリと音を立てた。その声に、周囲にいた人々は少し驚いた様子であったが、その表情はすぐに呆れ顔へと変わり、また叫んでる、また大声出して、相変わらずうるさいな、等と、ヒソヒソと話していた。人々の様子から察するに、恐らくグランツは日常的に声を張っているのだろう。それも、と笑われる程度ではなく、寧ろ鬱陶しがられる程度に。

 そんな人々の様子など気にも留めず、グランツはその筋肉を動かし、前傾姿勢から直立へと体勢を正す。真っ直ぐ立つと、やはりグランツは背が高く、ユノが目を合わせる為には、それなりに首を傾けなければならない。

 体勢を正したグランツは、その屈強な足で地面を踏み、ユノに歩み寄っていく。徐々に近付いてくる巨体は、あまり男性慣れしていないユノにとっては猛毒で、冷や汗が溢れ、何だか吐き気も催してきた。その様子を察してか否か、ユノとグランツの間にエマが割って入り、グランツをこれ以上近付けなかった。


「ボス、何度も言ってますが、その見た目は普通の女の子にとっては恐怖そのものです。仕事の説明とか宿舎の案内とかは私がやっておくので、ボスは屋内に縮こまって事務作業をしてて下さい」

「任せていいのか?」

「どうせ今日の依頼はもう終わりましたし、問題ありません。ほら、さっさと仕事に戻ってください」


 一応言っておくが、店主ボスであるグランツが上司であり、エマはその部下である。この世界に於いても、職場内の上下関係は存在する。しかし、エマは部下とも思えぬような振る舞いでグランツと接し、グランツもその態度に全く憤りを感じていない。

 ユノは、自転車屋でのアルバイトの経験がある。しかし、その自転車屋では上下関係がキッチリとしており、傲慢な態度を取らない上司と、年下にさえ敬語を使う腰の低い部下とで出来上がっていた。互いに敬語を用い、多少は楽しく会話をしていても、上司と部下という関係を決して忘れない、そんな職場であった。そんな職場で、一時的とは言え働いていたが故に、砕けに砕けたエマとグランツの会話は、極めて不気味で、異常と思う他無かった。


「はぁ……ごめんね。うちの上司、馬鹿力だけが取り柄の脳筋だから、相手の気持ちを察するのが苦手なの」

「……怖かった……」

「安心して。多分、ボスとマトモに話すことは少ないだろうし、仕事に関しては私を頼ってくれていいから」

「う、うん……ありがと」

「……さて、じゃあまずは……とりあえず、宿舎に行こっか」

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