第4話 ユノ、異世界へ#4

 夢を見た。2人の少女が戦う夢だった。ただ戦いと言えど、2人の表情は、戦いの最中とは思えぬ程に活き活きとした、笑顔さえも混じえた表情かおだった。

 1人は、白い服を着た、金髪の少女。その少女は、花紺青の刃を生やす刀を持ち、目にも止まらぬ速さで斬撃を繰り出す。

 1人は、黒い服を着た、緑髪の少女。その少女は、深紅の爪を持つ手甲鉤を装着し、残像を残す金髪の少女の攻撃を防ぐ。

 2人は、何かの会話をしている。しかし、それは聞き取れない。否、聞こえていたのかもしれないが、記憶に残らないのだ。所詮は睡眠中に見る虚像。実際に見て、聞いた訳では無いため、何もかもを完璧に覚えていられるはずが無い。

 そんな夢に浸っていたユノだったが、夢の外から感じる風と、聞こえてくる音が、ユノの夢を揺らし、拒み、ユノの夢は消えていく。漠然とした視界がさらに酷くなり、夢の外、即ち現実に近付いていく。


 目覚めの時。

 ユノは、夢の内容を忘れ、瞼を開いた。


「……本当に、来れた……!」


 瞼を開けば、そこはもう、自分の知る景色ではなかった。ビルやら家屋やら店やらが立ち並ぶ世界でも、石のように無機質な立方体の部屋でも、戦いが繰り広げられる漠然とした夢の中でもない。

 ユノの新たな現実。異世界であった。

 目覚めた直後であるにも関わらず、その視界は酷く鮮明で、その思考回路は酷く活発で、その心は酷く昂った。

 ユノが目覚めた場所は木陰。木に凭れる形で地に座り、眠っていた。周囲を見回すと、辺り一面にカタバミが生えており、木も複数本背を伸ばしている。自然味溢れる、とでも言うべきか、とにかく、緑に囲まれ緑に溢れた、そんな場所だった。

 少し上を向けば、延々と続く青空。雲は1つも無く、暑くも寒くもない適温。まさに快晴と言うべき天候である。

 血に座り、木に凭れ、息を吸う。たった一度、意識して息を吸っただけで分かる。この世界の空気は、生前の世界よりも圧倒的に澄んでいる。山中のマイナスイオン云々等とは格が違う。排気ガスや工業物質の匂い、或いはそれ以外の汚染物質の一切を感じない、綺麗で、寧ろ美しい、そんな空気である。


「スタート地点は緑に囲まれた木陰……うん、いいね」


 再び大きく息を吸い、ユノはよいしょと立ち上がる。立ち上がり、ようやく気付いたのだが、ユノの真横には鞘に収められた刀が置かれており、さらに、自分自身の姿が変わっていた。髪色や体型は注文通り、寧ろ予想以上の出来栄えであり、鏡の前に立っていないにも関わらず、生まれ変わった自分自身の美しさが十分に理解できた。

 髪質が違う。肌の白さやハリが違う。首と肩に伝わる乳房の重さが違う。

 これが、新しい私なのか。と、嬉しげに思ったが、その嬉しさは、自らが纏う衣服を見つめた瞬間に少し減退した。


「何……これ……!」


 機動性と軽量化の代償として、多少、布面積が小さくなる。とは聞いていた。確かに、聞いて、承諾した。しかし、なんと言うか、想像と違っていた。単にスカートが短くなるとか、或いはパンツの丈が膝上丈になるとか、或いはシャツ的なものがへそ上丈になるとか、そんな感じだと思っていた。しかし、何か違う。

 まずは靴。勇者らしく、露骨な金属製の、銀色のブーツのようなものを履いている。とはいえこのブーツ、アルミニウムよりも軽く、一般的なブーツと遜色無いように思える。

 次に靴下。黒のオーバーニーソ。質感は普通のニーソである。というか、本当に普通のニーソである。

 次にスカート。ニーソとの間に絶対領域を作れる程度に短い、白いプリーツスカート。そう、確かにプリーツスカートであるが、スカートの左部にはスリットが入っており、スカートだけ若干チャイナドレス風になっているように見える。ただ、スリットが深く、普通にショーツの一部が見えている。しかもショーツはショーツで、紐パンと見間違う程に全体が細く、何かしらアクションを起こせばといきそうな感じがする。色はスカートに合わせて白。否、純白である。

 次にトップス……と言いたいところだが、最早トップスと呼べるものは着ていない。何故なら上半身、肌の上に纏っているのは、深い紫色の眼帯ビキニなのだ。乳頭も乳輪も問題無く隠せているが、ただ、乳房の半分以上を露出している。勿論、腹も背も、エルに愛でられていた腋も露出している。

 最後に上半身。流石に眼帯ビキニだけでは酷であると考えたのか、白を基調としたジャケットを羽織っている。しかし、ジャケットにファスナーやボタンは無く、眼帯ビキニでしか隠されていない乳房が殆ど丸出しである。さらに驚くべきことに、ジャケットの腋部分の生地が何故か欠落しており、ジャケットを羽織っていても腋とその周辺が丸出しとなっている。

 ティナは腋好きなのか?

 エルと同じで腋フェチなのか?

 他人ひとの腋愛好家なのか?

 まあ、もう異世界に来てしまった以上は変えられないのだろう。と言うか、もう変えられなくする事を大前提に話を進めていたのではないのか。


「……仕方ない。このまま進めるか」


 服装の露出具合と露出箇所について諦めたユノは、地面に置いてあった日本刀を持ち上げ、進むべき方向を選んだ。

 まずは前方。ただひたすらに平地が続くだけで、建物のようなものは見えず、人も見えない。

 次に右方向。前方と同じく、特に何も見えない。

 次に後方。自らが凭れていた木と、その木によく似た木が数本。その木々の向こう側を見つめてみると、かなり遠くなるが、小さく、建造物のようなものが見えた。

 最後に左方向。少し距離があるが、何か、動いているものが見える。少し目を凝らし、よく見てみると、それは馬車の群れであった。ただ、馬車、とは言ったものの、厳密には馬ではない。車を牽引しているのは、


「……トカゲ?」


 異世界もの、或いはファンタジー系のゲームではお馴染みの、リザードマンであった。

 創作物ではリザードマンとして知られている、人型の巨大蜥蜴。この世界ではリザードマンとは呼ばれておらず、蜥蜴人リザードと呼ばれている。リザードは普段、馬車、改めて蜥蜴車を牽引する仕事をしている。他にも、力仕事に従事する個体も居る。

 身長は2メートル前後。体全体がゴツゴツとして、それでいて分厚い。まるで鎧を纏っているような、見るからに頑丈そうな体である。体色や体表の形状は個体により異なり、黒っぽい個体も居れば、青っぽい個体も居る。生物であるため、当然ながらオスとメスが存在し、生殖器もある。故に人間同様に衣類を身に纏っているが、布製品ではなく、頑丈な革製品を主に使っている。

 蜥蜴車1台につき、牽引するリザードは2人。徐々にこちらへ近付いてくる蜥蜴車を見ていると、牽引する2個体の足の動きやスピードに誤差が無いことが分かる。もしも、あのリザード達がシンクロ競技を行えば、きっと金メダルも夢ではのだろう。そんなことを考えていると、蜥蜴車はすぐ目の前に迫ってきていた。

 先頭を走っていた蜥蜴車のリザード2人が真横に手を伸ばし、それを見た後ろのリザード達も順に手を伸ばしていく。すると、蜥蜴車は徐々にスピードを落としていき、遂には先頭車両は、木陰に立ち尽くすユノの前で停車した。どうやら、先程腕を上げたのは、後続車に対する停車の指示、であったらしい。


「お嬢さん! こんなところで何してるんだい?」


 先頭車両で、リザードの体に縛り付けたリードを握っていた御者が、ユノに声をかけた。御者は小太りの中年男性で、御者がよく着ているような黒い服を着ている。しかしその体型が災いしてか、上着のボタンが少し苦しそうである。


「眠ってました」

「眠ってた? こんな場所で?」

「ええ。旅人なんです。遠い街から来たもので、少し休憩していたのですが……気付いたら眠っていました」


 まるで息をするかのように、まるで決められた台本を音読するかのように、ユノは嘘をついた。その嘘に御者は疑いの色を見せなかった。何故ならその御者は顔が広く、自身の住む町や近隣の町の人の顔はそれなりに知っている。しかし御者はユノを知らない。少なくとも町の人間ではないと、すぐに理解していた。


「お嬢さん、ここは魔物やら魔獣やらが出没する地帯だ。安全とは言い難い。私等はこれから町に戻るんですが、良ければ乗っていきますかい?」

「あ、生憎、お金無いんで……」

「バカ言っちゃいけない。こっちから誘っておいたんだ、運賃なんて要りませんよ」

「……なら、お言葉に甘えて」


 ユノは御者の厚意に甘えることにした。後続車両には複数人の乗客が居るようであるが、先頭車両には乗客は1人しか居らず、ユノが乗るには十分な広さだった。

 しかし、ユノが蜥蜴車に乗ろうとしたその時。先頭車両を牽引していたリザードの1人が叫んだ。


「前方に魔獣を確認! こちらへ向かってきます!」


 リザードの叫びに、のんびりとしていた場の空気は瞬間的に凍え、リザード達の眼光が鋭くなった。


「エマ様! お願い致します!」


 先頭車両の御者が、車両内に居た、エマと呼ばれる女性に言った。エマは、鞘に収めたロングソードを床に立て、自らの体に凭れさせていた。しかし御者の声に応え、エマはそのロングソードを杖として、車内のソファから立ち上がる。そして勢いそのまま、蜥蜴車からぴょんと飛び出した。

 車から飛び降り、地面に着地する際、ルビーのように赤く煌びやかなロングヘアがふわりと揺れ、ベリー系の香りがほんのりと感じられた。

 この女性、エマは、御者ではない。蜥蜴車を魔物や魔獣から守るための用心棒……という訳でもない。エマは普段、戦士として、戦闘を伴う仕事等の補助として活動している。今日は御者のガードマンをしているが、明日には、また別の場所で仕事をする。


「魔獣が3匹……了解」


 エマはクールな顔付きと高身長で、大人びた性格をしているが、その中身は、齢16の少女である。年齢だけでいえばユノよりも若い。

 ロングヘアながらも、前髪の右半分だけはヘアピンを用いたオールバック。ショートパンツと黒のパンスト。黒のブーツ。黒のスポーツブラの上に羽織る緑と黒のジャケット。その顔付きや態度だけでなく、髪型と服装も、16歳の少女を大人っぽく彩っている。

 現状、魔獣は3匹確認できる。3匹共が狼のような姿をしている。しかしそのサイズ感は狼というよりも、虎やライオン等の大型肉食獣に近い。エマは、前方から迫りつつある3匹魔獣を見据えながら、左手に握っていた剣を鞘から引き抜く。

 装飾がされていない黒い鞘から、艶のない純白の刃が姿を現す。鞘の細さから大体察しはついていたが、その刃は、ロングソードというよりもレイピアに近い様にも見える。尤もレイピアほど細くは無い。鍔は刃同様に純白であるが、刃とは違い艶がある。柄部分には、黒く、薄く、細長い皮がグルグルと巻かれており、その見た目はさながら、ロードバイクのハンドルに用いられるバーテープのようである。


「あれ、殺せばいいの?」

「え?」

「あの3匹を殺せば、この人達は助かるの?」


 突如、横から声をかけてきたユノに、エマは一瞬とした表情を見せたが、すぐに表情を直し、剣を握ったままユノの質問に答えた。


「助かる。あなたは……見たところ剣士ね。その左手に握ってる剣を使いこなせるなら、この人達を助けられるけど」

「理解した。さすがに無料タダで町まで運んで貰うのは少し罪悪感があったから、あの3匹殺して、少しでも感謝を示す」

「……私が2匹殺す。だからアナタは1匹を相手して。殺し次第、私も応戦するから」

「あいよ。けど、その前に教えておいてあげる。私が持ってるは剣じゃない」


 ユノは、右手で刀の柄を握り、引き抜く。赤と黒で彩られた鞘から、花紺青色の刃が姿を表した。この世界に来る前、ティナとの話し合いの中でデザインされ、完成したその刀は、不思議と、初めて握ったような感覚がなく、まるで幾度となく死線を共に乗り越えた愛刀のような馴染み方だった。


「これは刀。名前は……(えっと)……」


 決めていなかった。しかし、どうせならばこの場で名前を口に出し、かっこよく決めたい。そんな思いはユノの思考能力を加速させ、僅か3秒で名前を決めた。


「そう、降魔ゴウマ


 降魔ごうまとは、悪魔を退く、悪魔に打ち勝つ、妨げを消す、などと言った意味を持つ言葉である。

 生前のユノは、勇者に憧れていた。英雄に憧れていた。故に、この言葉を知っていた。知っていたからこそ、自らの愛刀に、この名を与えた。

 この世界は異世界。日本とは違う。異世界法の行使により、異世界であるにも関わらず、こうして会話ができている。しかし会話ができても、元々の文化や歴史が違うため、互いの知識に齟齬がある。その1つが、刀と剣。この世界には剣がある。しかし、刀は無い。故に、剣という言葉は通じても、刀という言葉は通じない。


「カタナ……ゴウマ……へぇ、世の中には知らないこともあるものね。私はエマ。あなたは?」

「ユノ。後に英雄となる女の名前よ!」

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